朝食も取らずに、高原修道士の車で、長崎へ出かけた。市内に入ると、浦上天主堂の下の道路を通る。クリニックで診察を受けた。あと1ヶ月で、原爆70周年を迎える。新聞にも関係の記事が目につくようになった。70年といえば、本当に長い。直接・被爆者の平均年齢も、80歳を越えた、とあった。当時のことを思う。永井博士の如己堂あたりから、夜、真っ暗な闇のなかで、炎々と燃える崩壊した天主堂を眺めて、毎夜、毎夜、泣いた事が忘れられない。終戦のとき、誰もが「戦争は、もう絶対にイヤだ」と心から思った。70年、あの思いは未だに消えない。★昼食どきに、ホームへ帰った。すぐ食堂へ急いだ。皆さん、食事の真っ最中であった。ホームへ帰ると、なぜか、ホットする。「きょうの洗濯物は出しましたか」と職員さんが戸をひらいて声をかけてくれた。「ハイ、お願いしてから出かけました」。洗濯物は、きれいに小さな籠に収まって、渡してくださった。平和な1日が、きょうも暮れる。
長崎往復、おつかれさまです。青空が美しいですね。
返信削除前後しますが、8日のブログ、一つの言葉で元気が出る。
を拝読して、逆に元気をいただきました。
ホームで、小崎修道士さまのお姿、一言に元気をもらっている入居者の方々、そして介護にあたっておられる職員の方々は、きっとたくさんいらっしゃると存じます。
いよいよ夏ですね、どうぞくれぐれもご自愛のうちに
おすごしあそばされますよう、お祈り申し上げております。