長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年1月31日木曜日
1月も終わる。仲間の修道士は、ピクピク、反応を示した
2013年1月30日水曜日
3日目。この日に帰る。ゲンキにジンセイを送りたい
2013年1月29日火曜日
オバマ温泉、2日目。共同湯の温度は、43度。こりゃ熱い
温泉街の裏通りを歩いて、山沿いを行くと、共同湯がある。山の学校に居た時代は、よく通った穴場だった。久しぶりに訪ねてみた。昔からのお湯。地元の人たちだけが入る。帽子をかぶって行った私を、皆はジロジロ見た。男湯、女湯。がたピシ、木戸を開けて入ると、低い番台に男性の老人が毛布に包まれ、背中を低く呼吸している。「いくらですか?」「150円」。板の間にあがると、着物入れの箱があった。年代を思わせる。「このハコは、いつ作られた?」「昭和12年」「ええ、そーなんだ。12年といえば、小学3年だったか」。ハコに着物を押し込んだ。この共同湯は、湯の温度が高温な事で定評がある。湯船は、2m四角の湯が、2つある。1つは、43度はあるだろう。もう1つは、それより熱い。「たまらんわい」。直ぐには、入れない。ゆっくり、入ったり、出たり、踊ったり、初心者には時間がかかる。4,5人の男が、じーっと、こちらを見る視線を感じる。背中を彼らに見せた。大きなキズが、3箇所もある。「参ったか」と自慢はしないが、暗黙のうちに、威厳を示した。湯につかると、広い窓から、朝陽が、さーっと光がまっすぐに入って、湯に、キラキラと揺れていた。癒される朝となった。この日は、富士屋さんの湯には入らなかった。
2013年1月28日月曜日
オバマ温泉へ。1日目。シスターの墓参り。心に生きる
2013年1月27日日曜日
孤独の人、苦しむ人を助ける、本当に寄り添うことの難しさ

2013年1月26日土曜日
汝、殺す勿れ。イノチは最も大切だ。悲しい思い出の写真

2013年1月25日金曜日
ルルドの梅はマダ咲かぬ。早く、来い、来い、春のぬくもり
2013年1月24日木曜日
冬の花、スイセンが咲いた。木曜日は入浴の日。カゼは引かない
2013年1月23日水曜日
今日も扉を開ける。コルベ神父が「いらっしゃい」呼んでいるよ
2013年1月22日火曜日
真理よ、我を正しい方向へ導き給え。安心するために願う

2013年1月21日月曜日
坂道に、気おつけてね。危ないケンね。そのこと、お忘れなく
2013年1月20日日曜日
こんな正月もあった。修道院も1人1芸で盛り上がった

2013年1月19日土曜日
サザンカが咲く。冬の厳しさ、つづく。カゼ引くな。もう少し
2013年1月18日金曜日
「ひらめさんのコメント」。短文の中にも、温かいドラマ

2013年1月17日木曜日
予約の診察へ。結核菌で苦しんで、結核菌で癒された

2013年1月16日水曜日
開館後、すぐ散髪へ。トコヤさんでの話。暗い話題が多い

2013年1月15日火曜日
親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは神のお恵み

2013年1月14日月曜日
日帰りで、ルルドのお水を求めに来た男性。冬なのにアセ

2013年1月13日日曜日
ポーランドの写真からか、コンラードさんよりメール届く

2013年1月12日土曜日
ポーランドの思い出から。平和を願う世の中でありたい

2013年1月11日金曜日
まわりの人から大事にされる。喜びであり、ありがたい

2013年1月10日木曜日
「一」イチは何を思わせるか。この1人の愛を、出会いを大切に
2013年1月9日水曜日
将来、どうなるか。わからないから、恐ろしさ、悩みも無い

2013年1月8日火曜日
毎月の宿、島原・オバマ温泉へ出かけます。気持ち安らぐ

2013年1月7日月曜日
ライモンドの日だよ。ずいぶん大きくなったな。甘えるな
2013年1月6日日曜日
正月が明けて、やっと休みを取った。映画・牛めし・観覧車
2013年1月5日土曜日
送金・郵便局でのイラ、イラも、後で、出会いの恵みになった
ルーマニアの家庭に、200ユーロ、2回目、郵便局から送金した。送り先は、東京在住のペトロ・イシトク神父さん(オレと一緒の背丈の小柄な親友神父さん)に聞く。円安になり、前の時より、3000円も高く支払った。送金のお金は、色紙を売った資金。25枚分。郵便局員も馴れていないらしく、手続きに45分を要した。こっちはイラ、イラ。コラ、お前は、早く処理・作業をしないか、とグチをこぼす。こっちは短気だからね。ガマンして、やっと終わって、聖コルベ館へ戻ると、ちょうど、タクシーから降りて、聖コルベ館に入る1人の男性にかち会った。あと1分、遅いと、タクシーで去るつもりだった。うまい具合に、ピッタシに出会ったわけです。なんと、その男性は、20年ぶりに出会った貞雄さん(昭和4年うまれ・神奈川・逗子出身)だった。「小崎サンは居りますか?」「わたしです」「ああ、会えて、よかったなあ」。20年前だよ。逗子で出会った。1992年だった。奥さんのチセさんがこの年、1月6日に62歳で亡くなった。チセさんは腎臓病を病んで、長年、透析をされていた。奥さんは言う。「苦しみは神さまの御摂理です。聖書にもあるでしょう。『我が成すところ、汝、いま知らざれども、後の又これ知るべし』。与えられた御摂理なんだ、いま試練なんだ、そして道を開いていく。最もそこまでが大変ね」。28年間、病気で耐え抜いた。ダンナの貞雄さんも大変だった。こんな夫妻を何で忘れよう。「よー、訪ねてくれたね」「正月、沖縄で過ごして、帰りに立ち寄った」「ああ、よかった」。子どもは2人だった。いろいろ思い出してきたよ。郵便局でのイラ、イラも、ちょうど時が合って、これも良かったんだ。ジンセイなんて、こんなもの、だから捨てがたい。おもしろい。明日に期待もするよ。「いま苦しみあれど、きっと、いい巡り会わせが、やってくる」。貞雄さんと楽しい語らいの時を過ごした。色紙を2枚買ってくれた。「亡き妻の写真のソバに飾るよ」
2013年1月4日金曜日
昨日の娘さんに参ったな。修道士も、タジタジ。ワイルドだぜ
2013年1月3日木曜日
今年の正月、最初の入館者は、昨年と同じ娘さんだった
そして今日、3日目だよ。我が思うは「ジンセイ、成り行きに、つながる縁が、ある。これが不思議なり」の実感がある。昨年を思え。最初に来たのは、東京の母親と娘さんだった。その娘さんが、午前中、1番に入って来るではないか。「おお、来たか。よー来たな」。感動ものだったよ。「ゲンキしていた?」「ハイ」。資料室に入らせて、黒い長イスに座らせる。去年も、こうして母とこの娘を座らせた。あのとき、母に聞いた。「いま、漢字の一言で言い表すなら、何ですか?」。母は答えた。「悟」です。「え?サトルとは」と思いつつ、(ああ、この家族には、何か、あるな)。娘さんは、高校へは進学せず、就職した。17歳と言う。(ああ、やっぱり)。その娘さんが、18歳になって、1番乗りでやってきた。おもしろいじゃないですか。そこで娘さんに、いろいろ質問攻めをしたわけです。中学しか出ていないが、音楽関係の出版社編集に応募した。500人が集まった。その中で、編集長が真っ先に採用を決めたのが、この娘さんだった。「ありのままの経歴、目をかけてくれた」と幸運をつかんだ。娘は言う。「沈みそうになっても、沈まない。船体に沢山の部屋があるから」。85歳は、マイッタよ。向こうは18歳だよ。少女時代の困難を淡々と語る18歳。夢があると、目を輝かせる。興味は増して、彼女の人生を聞いてしまった。帰りに、色紙を2枚買った。1枚は母のため。1枚は自分のため。彼女が選んだ色紙には、「ほんとうの愛に、1度でも出会えば、十分、生きていける」と筆字であった。サイン帳には「・・・」と記していた。★午後から、外国人が1人、家族連れが3人、入館者があった。
2013年1月2日水曜日
年賀状のコメント。日記に人生模様、信仰の大切さをみる

2013年1月1日火曜日
2013年、平成25年、みの年始まる。85歳。頑張る
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