着物を、きちんと、着こなした女性が聖コルベ館へ来た。着物姿で旅行するなんて、珍しい。「どこから?」「北海道から」「え?あの、ホッカイドウ。その姿で?」「ハイ、いつも着物を着ています」。(こりゃ、ただ者では、ないな?)とは、胸のうち。「どうぞ資料室へ」と案内した。このとき私は、月末近くで、騎士誌の原稿の期日が迫り、記事で悩んでいた。11月号の内容は、8月、9月の入院のことで、病者の塗油を受けたこと、などなどを書こう。骨子は「苦しいときに、主は、ソバに居られましたか」。本当に、寂しかったよ。もし主が居てくださったら、何と心強い。恐れるものは、ない。現実には、満足した内容には、なっていない。そこで悩みが、迷いが、あるわけです。ところで、着物の女性ですが、しばらくして、ビデオ(8分)見せた後、興味もあって、話しかけてみた。女性は言う。「学生の頃、目にとまった本、遠藤周作さんの本に共鳴して、愛読しました」と言われて、びっくり。「え?北海道に居て、遠藤さん、ですか?」「『イエスの生涯』を読んで、最近、地元の文芸誌に、遠藤さんについて、3ヶ月、連載の記事を載せました」「えーっ。そんなに。その記事、読みたいな」「送って、差し上げます」「遠藤さんの、何に、惹かれます?」「『同伴者』と『赦し』ですね。孤独な者には、同伴者。罪を犯せば、赦し、ですね」。それ聞いて、ビッっと、きたよ。私が今、書いている原稿、「主よ、ここに居られますか」は、まさしく同伴者の存在じゃないですか。まさか、この着物の女性を迎えて、こんな話題になるとは、ね。小さな救いを得た気持ちになったのです。★作家が描いた復活のイエスは、奇跡は起こせないけれども、弱者に最後まで付き合い、一緒に苦しみ嘆く『同伴者』であった。
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