長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年9月12日水曜日
入院15日目。あなたに、とって、隣人とは、だれか?
今度は、長がーィ、入院でした。でも、あっと、言うまの、病院生活でした。最初は苦労しました。高熱が、あり、悪寒が、あり、尿が、出ず、透析を告げられ、苦難のなかでしたが、最初の日から介護してくださったのが、千草さんです。不具合のときの介護は、大変でした。人の心を動かす基本は、やはり家族的な心情です。千草さんは言う。「お父さんや、家族の介護をしてきたから、馴れているのよ」。だれが、サマリア人なのか。聖書に出てくる、看護された怪我人の目は、どんな目をしていたのだろう。何も言えない。ただ目は、ありがとう。だれでも、願うのは、言葉よりも、暖かい手です。千草さんの家は、病院から徒歩2分にあるそうです。訪ねた事は、ありません。毎日、朝食まえに来て、小まめに動き、片付けが終わると、いったん帰り、昼食まえに、2度目、晩食の前に3度目も、それぞれ笑顔を出して、奉仕してくださった。夕食後は、毎晩、2人で、声をあげて、ロザリオと、聖母マリアの連祷を唱えた。最初は息も辛かったが、快復した。「もう、あした、退院、ね」。しばらく、この笑顔は、見られない。
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千草さんは、「良すぎるサマリア人」。
返信削除今回も、お疲れさまでした。
千草さん、今回もお疲れ様でございました。
返信削除千草さんの笑顔は素敵ですね。
小崎修道士さんも気持ちが明るくなったことでしょう。
明日はいよいよご退院ですね。おめでとうございます!