長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年3月4日日曜日
入院・余談。2人部屋。私の話、なぜ、はずまない?
写真は、この2月、入院していた病室の窓から見た風景です。結構な建物の間に、病院は建っています。私は2人部屋。最初は誰も居なかった。看護師さんが「窓の方が、いいですか。それとも入口?」。私はトイレが近い入口のベッドを選んだ。すぐ隣にも患者さんが入った。私は入口だから、この窓からの景色も殆ど見なかった。同じ部屋に2人の患者が居て、気が付いたことがある。日に何度も、看護師さんが検温や、点滴や、処置に来るのだが、窓の患者は私よりも若い男性なのに、看護師との話がはずむ。笑い、息がつながる。私は、というと、用件だけ、やり取りして簡単に話は終る。「どうもヘンだ。なぜ、だろう?」と考えた。私の持つ雰囲気が寄せ付けないのか。隣のテンポは、ゆっくり話す。世間なれも、している。私は、というと、「ポン、ポン」と応対して、「ハイ、それで終わり」。ダメだよね。人間の性格によるものなのか、「今さら、変えよ」と言ってもねえ。もう少し、人間に、話に、幅を持たせたいと、今でも、思っている次第です。
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