2020年12月10日木曜日

「ガンバレ、トマさん。落ち込むな」。そんな声が、宅急便と届いている

沖縄から、「紅芋まつり」というお菓子箱が、3つも届いた。沖縄の紅芋は、中身の色が鮮やかで、紫色をしているのが特徴だそうです。
今年は、コロナの性か、テレビに出た影響か、贈り物が多く届く気がする。北海道からは、ジャケット。沖縄からは、お菓子の詰め合わせ。有り難いと、感謝する。
皆さん、いつの日かの、ご縁をつづけて下さっている。「トマ、ガンバレ」「トマさん、落ち込むな」。そんな声が一緒に届いている。
お菓子は、もちろん、自分で食べると、食い過ぎになる。健康も考える。お世話をして下さる方々に、配って喜ばれている。「受ける恵み、与える愛」です。トマの目標でも、ある。皆さんが幸せに成れば、幸せの「風船」は、ふくらんで、ホームも幸せになる。小さな愛も、大きな恵みとなり、こころ安らぐ。
★食堂の、自分の席から見た、ガラス戸の屋外の風景です。いい眺めでしょう。山も見えるし、憩いの家もある。植木に囲まれたマリアさまに、左手、下には、両手を広げた、白いアシジの聖フランシスコのご像もある。
★携帯に、連絡があった。1年ほど前に、ホームで、小崎さんの原爆の絵と、お話を聞いた。小・中学生に、大きな画面で見られるように工夫をして、解説も仕上げた。「見てほしいけど、どうですか?」「今は、コロナが拡大しているので、面会は出来ません」「残念ですね。それでは、絵と、解説文を送ります」
★今年は、あと20日で、終わる。正月は平静に明けたのに、1年を通して、コロナ困難に落ち込んだ。ホームだけは、何事も無く、平和な日々がつづいている。
★「感動、何に、感動するか、です。常日頃、ぼんやり見ている風景でも、出来事でも、何か、そこに一瞬、アッと、パッと、ひらめきを感じる。それが、今日の人生に、シュンパツ・リョクを与えるでしょう」

2020年12月9日水曜日

パソコンの不備。イラ、イラ。脚力の不備。ガックン。苦労が多い老後よ

日記を書こうと、パソコンを開いたが、日記が出てこない。「ログイン」だけが、出る。日記が書けない。調子が、狂うと、気持ちが、イラ、イラする。自分には、解決の技術は、ない。事務室の職員さんに見てもらう。
WiFiが、つながっていない。ツメをあけて、電池を少し動かした。すると、日記が開いた。時々、自分では理解できない事態が起こるので、パソコン打ちが重荷になる。
★書道クラブがあった。いま時の言葉を選んで、墨字をすべらせた。「聖夜」があり、「師走」になり、「歳末」となる。コロナで悩んだ、今年は終わる。
★水曜日には、職員さんが、部屋の掃除をしてくれる。有り難い。若者のファイトが伝わる。幸い、トマには、他と比べて、一番、大きな部屋を与えられている。快適に過ごしているが、最近は、歩行に困難を生じるようになった。押し車を使っているが、両ヒザの裏側が痛む。教会で、ミサのとき、杖で、聖体拝領へ進む。これが危ふくなった。
★これから先、脚力が、どうなるか。不安が残る。日記も、いつまで、つづけられるか。この部屋を使える間は、つづけたい。体調によっては、介護詰所の近くに、部屋は変わっていく。
★安らかに、平穏に暮らしたい。他人の事は、干渉せず、自分の事を見守りたい。立って、スタ、スタと、歩ける人が、うらやましい。それが普通の人だった。歩ける事を感謝したことがあったか。なんの恩も感じず、当たり前の事と思っていた。その当たり前が揺らいでいる。
★もう、誰も、ホームに面会に来なくても、寂しくは、ない。自分のカラダを支えるのが、精いっぱい。その心境から、何が生まれるか。車椅子の生活を想像すると、心が痛む。長生きすれば、そういうツラさの試練も受けなければ、だろう。明るく、楽しく、笑って、生きたい。願いは、そうだが、現実は厳しい。
★「だから、今が、ある。苦しみがあっても、逆境に立っても、ハネのけて来た。のりこえてきた。その証拠に、今がある。今が有ることが、尊い。まわりから冷たくされても、踏まれても、それでもハネのけた。過去に耐えてきた。生きて、こそ、イノチだ」

2020年12月8日火曜日

無原罪の聖母マリアの祭日。コルベ神父「マリアを通してイエスへ」理想

コルベ神父が、現在地にある場所に建てた、木造の修道院です。昭和7年、1932年頃の写真です。
四角い、黒い建物(3階建て)が、住居。その左側の平屋の建物が、印刷所と、チャペル。まだ正式な教会は建てていなかった。
問題は、赤い矢印。白く立っているもの、これが『無原罪の聖母マリア像』です。
修道院から、長崎市民を、いや日本人全体を、祝福する願いで、コルベ神父が、こだわって立てた。手前の家々は民家で、その下は、桜の名所になっていた。
★この写真には写っていないが、左手には、巨大な水源地がある。ある可哀そうな女性が失望して、水源地に飛び込み自殺を計ろうとした。その時、見えたのが、コルベ神父の白い『無原罪の聖母マリア像』だった。聖母の騎士を訪ねた。コルベ神父は女性に食事を与えて、慰め、励ました。知り合いの、安心できる家庭に連絡して、女性を救った逸話がある。
★現在の、聖母に騎士の、無原罪の聖母マリア像です。同じように、長崎市民を、いや日本の人たちを見守っておられる。
今日は、『無原罪の聖母マリア』の祭日です。
コルベ神父にとって、この『マリア』さまを理想としていた。『マリアを通してイエスへ』が目標です。その手段として、自分の身体、能力、働き、生活、人生のすべてを、完全に『けがれなき聖母マリア』さまに奉献することにあった。
コルベ神父は、「マリア」「マリア」を呼吸として生きていた。身代わりになった時も、餓死室でも、マリアさまの声、慰めを受けたに違いない。
★今日は、太平洋戦争が始まった日でもあった。新聞には、何の記事も見なかったが、昭和一桁生まれには、この日は忘れない。真珠湾の攻撃。13歳の少年だったが、「やったぞ、バンザイ」と歓声を上げたもんだった。
★聖母の騎士会会報に、NHKテレビ『こころの時代』の感想文が載っていた。

 

2020年12月7日月曜日

従弟・修道士ユスチノさんの命日。8年前、73歳で逝った。思い尽きず

従弟の修道士の命日。名前は、田川幸雄。修道士名は「ユスチノ」。2004年、東京で、逝った。73歳。
写真は、イタリア・アシジの聖フランシスコ大修道院の回廊に立つ、ユスチノ田川修道士。この修道院に、6年、勤めた。
ユスチノ修道士は、弁が立った。トマも入れての話だが「田川家は、『話が大げさ』『整理整頓がジョウズ』『心臓が弱い』」と、そんな声を聞いたことがある。
現地、アシジで、ユスチノ田川修道士の語る「聖フランシスコ大聖堂」の説明は、それは流ちょうで、中世期の貴重な壁画を通して、聖なる感動を多くの訪問者に与えた。洗礼を受ける人までいた。
彼が着任した年の日本人巡礼・観光客は、1万4千人だった。それが2年目、2万5千人。3年目、3万3千人。4年目、4万4千人。5年目、5万4千人と増え、6年目、彼が帰国する9月までに、5万8千人と増加している。実は、数字は、一桁・単位まで分かる。これも『整理・記録』する、田川家の一面を示している。「ユスチノ」さんは、アシジの地元の、おばちゃん、おじさん、ガイド仲間に、好かれた修道士だった。気楽に、だれ、かれ、となく、イタリア語で声をかける。トマも、その実態を見た。
アシジの修道院では、聖フランシスコのお墓と、遺品室の係りをしていた。日曜日には、信徒の間をまわって、献金を集めた。トマも何度か、ユスチノさんを訪ねたが、献金集めを強いられた。いまは思い出になる。大修道院の食堂の彼の席は、院長の至近距離だった。
★アシジへ行く前は、ユスチノさんは、養護施設の指導員を20年近く勤めた。子供たちは、彼の話を好んで聞いた。『大げさ』な話が心を引きつけた。夢があったのだ。
★アシジから帰国して、東京の修道院付きとなった。お通夜のとき、ホームレス達が、焼香に来た。逝った後、彼の部屋に入ると、タンスの中は、靴下、ハンカチ、タオル、下着など、『整理・整頓』きれいに分けて、乱れがなかった。感心したよ。
★トマは、彼の遺骨を抱いて、飛行機で、長崎へ。修道会の納骨堂に納めた。
★トマが、聖母の騎士へ入って、その後、彼も聖母に騎士に来た。2人とも、司祭を目指していた。2人とも、病いのため、修道士の道を選んだ。トマの父と、ユスチノの父が、兄弟になる。もっと、優しく、親しくしてやれば、よかったな、いま悔やんでいるトマが居る。 

2020年12月6日日曜日

20年勤めた介護の職員さんとの別れ。世話になった記憶。幸せを祈る

介護の職員さんが、退職することになった。
山内園長神父さんと、お別れの写真。
20年勤めた介護の職員さんです。
退職が惜しまれる。介護の主任を勤めていた。
看護師の資格も持っている。テキ、パキと仕事をこなし、頼りになる職員さんでした。
トマが、肺炎に罹った冬があった。夜中に、呼吸困難になる。ちょうど、その夜の勤務は、この介護・職員さんでした。自室に、大きなサンソ・ボンベを持ち込んで、看病してくれた。その朝、救急車で運ばれる。
★この職員さんは、芸達者。誕生会での「出し物」では、芝居がウマかった。
昨日の誕生会の「出し物」にも出演した。左側が、そうです。
声掛け、元気、明るさ、親切などで、ホームの人たちを介護した。20年だよ。その愛情は消えない。
★人、それぞれに、その人の人生がある。家庭もあり、事情もある。20年は、人生の足跡で長い歳月だが、別れは辛い。「幸せになって下さい」。それが願いです。
ホームと聖フランシスコ、忘れないで下さい。
★日曜日。待降節第二の主日。今朝のミサは、瀧神父さんが司式して、お説教を行なった。マイクに声が大きく通る。老人たちは、聞きやすい。「どんな話だったのか」。いま、アタマをしぼるが、思い出せない。サンタ・クローズの話はあった。
★ホームに居ても、人と、人の、つながりは、ある。特に、介護してくれる人との「つながり」は大切だ。どのような状態になっても、その人には、潤沢な過去があった。介護されて、動けなくなっても、その人にも、生きる価値はある。尊敬の念で、見詰めたい。皆さんのイノチ、誰でも、尊く、長く、生きてほしいと思う。
★「次は、何を、するのか。新しい、自分を、見つけたい」

2020年12月5日土曜日

誕生会と忘年会。今年は、いっしょに。出し物とゴチソウで、盛り上がる

月の初めの土曜日は? もう、皆さん、わかりますよね。ホームの誕生会です。
誕生会といえば、職員の出し物です。ホームの伝統の名物ですからね。
「おや、おや、そぎゃん、顔して、何んば、すっと?」。今は、準備中、後のお楽しみたい。事務長さんが、真ん中。介護の職員さんも居れば、看護師さんも居る。大きなマユ、おハナの上のチョン。それだけで、こんなに人相が変わるとタイね。なんか、楽しそう。誕生会は、スキばい。
★「や・すき・ぶし、ばい」
「なんで、安木節なの?」
「きょうは、誕生会と、忘年会も、いっしょ、たい。派手に、パアッと、やらんばね」
「ホントウは、ウナギば、食べさせたかった。ウナギの代わりの、ドジョウ・すい」。食堂には、ホームの全員が集まった。今月、誕生日を迎える人は、3人。みんなで、「ハッピバスデイ」を歌い、祝った。
★いよ、いよ、食堂に、入ってきた。
音楽に、合わせて、踊るよ。オドル。
床(ゆか)に、黒か、モンが、落ちとろう? それが、ドジョウたいね」
のぼせ上がって、踊るから、写真が、ウマク撮れんタイね。職員さんは、名・役者が多いからね。踊りが、ウマイ。
セリフなしだよ、ただ、ただ、踊る。見ている人たち、唖然、爆笑、拍手、それしか、ないよね。今年も、ホームは平和な日々だった。来年にも、希望を持とうよ。
「アンコール」で、又、入ってきた。
★ごちそうは、3組に分かれた。いろいろ有るよね。牛肉が好きな人、豚肉がいいと言う人、サカナが食べたいという人。
好みによって、席が変わる。トマは、牛肉だね。席は、いっしょ。瀧神父さんは、遠くの席に居た。何・組か、わからない。
栄養士さん、調理の職員さん、70人からの人に、一挙に食べさせる、大変だよ。感謝しかないね。
★きょうは、又、ホームの創立記念日でもあった。紅白の大きな箱入り饅頭も頂いた。めでたし、めでたし。

2020年12月4日金曜日

生きて下さい。生きる事に価値がある。短い一言が元気。聖ニコラオの日

大粒のブドウ。好んで食べるブドウ。
長崎の千草さんが送ってくれた。
「ゲンキを出しなさい。まだ、まだ生きて、皆さんに、希望と勇気を与えて下さい」
★今度の入院中に、ほど、ほど考えました。片方の腎ゾーで、70年、この歳まで頑張った。残る腎ゾーも、病んだり、ステントで突かれたりしたけれど、腎機能も、スレ、スレの所を維持して、よくぞ、この歳まで生きた。自分でも、『ふしぎ』としか思えない。呼吸しておれば、また、いい事も、ある。
★入院中、看護師さんに聞いた。「この病院で、ステント入れ替えの人、居る?」「ええ、居ますよ。きのう、退院されました」「え?そうなの。お歳は幾つ、ぐらい?」「80歳代ですかね」。この一言が、トマに、ググっと、希望と勇気を与えた。「ああ、居るんだ。じゃあ、オレも、がんばらんと、ね」。ジカに、心に入ってくる言葉って、有り難いよね。下を見れば、まだ、まだ、苦しんでいる人が居る。生かされている事に、感謝ですね。
★昨夜は、疲れが抜けたのか、ホントに、充分な眠りが取れました。気持ちが、明るくなる。
★きょうは、教会では、聖ニコラオ司教の記念日でした。4世紀のこと。貧しい家族がいて、父親は病気。生活に困窮し、娘が身売りの悲しい話が出た。すると、ある男性が、窓からお金が入った袋を投げ込んだ。その家族は助かった。
男性は、その後、司祭になり、司教になった。『ニコラオ』は、オランダ語で、サンタ・クロースというそうです。
北欧では、子供へのプレゼントは、きょう、渡すそうです。
★戦後、昭和20年代、30年代、聖母の騎士では、サンタ・クロースは、司教さまの姿をしていました。上の写真が、そうです。天使の姿は、神学生たち。ゼノ修道士の姿も見える。戦災孤児の施設の子供たちに、プレゼントを渡して、喜ばれた。懐かしい写真です。トマも、何度か、司教姿のサンタ・クロースを勤めた思い出もある。
★「人は、一人では、生きていけない。助けたり、助けられたり、お互いに、共存する社会でありたい」