2020年10月7日水曜日

90過ぎれば、5つの「ア」。ガンチクのある言葉だね。今が、その時

昨日は、歯医者さんへ。

「車が、ない。頼みます」

元・教頭先生にお願い。

「トマ校長の願いなら、OK」

喜んで、送迎してくれた。

学校で、一緒に、苦労の6年間。

「今は、将棋と、イヌの散歩」

★昨日は、歯の診察日。上の奥歯に、穴があいている。どうしても治療に行きたい。ホームの事情で、車が、ない。高原さんも、出られない。仕方なく、私立校の時の先生にお願いした。こころよく応じてくれた。

★コロナの関係で、久しぶりに、先生に会った。先生は、定年・退職後、奥さんを見送り、自分も病気を患った。学校の苦労の6年間。問題、多責で、あの頃の日々が懐かしい。歯の送迎に、結局、2時間かかった。「用があったら、また電話して」

★ホームの1日は、平凡に、暮れる。人の気をひく事態は、起こらない。今は、それが、いいのかも知れない。いつまで日記が書けるのか。

★90過ぎれば、5つの「ア」で行こう。「ア」というのは、「アタマ」と「アシ」と「アセ」だね。アタマを使わないと、ボケてしまう。使えば、使うだけ、よくなる。アシも、そうです。出来るだけ、車を使わないで、歩く。足を、きたえる。とは言え、足は弱ってしまった。アセというのは、汗を流す。そういいながらも、汗は、かかない。

★ところで、後の、2つは、なんだろう?

★「アソビ」だよ。遊びと言っても、ただの遊びじゃない。自分の好きな事を、趣味だね。自分に適している事を見つけて、悠々自適、好きな事を途中で止めないで、つづけていく。楽しみにする。そこに最後の「アンシン」がある。これで5つの「ア」になる。

★今の自分に、ほんに、適した言葉だと思います。人生は、繰り返されるんですね。

2020年10月6日火曜日

月下美人。1夜だけ華麗に咲いて、朝には、しぼむ。人の生涯も同じ

昨夜、月下美人が、花開いた。

1夜だけ、闇に華麗な、白い花。

今朝、ミサ帰りには、この姿。

見られ、誉められ、なぜ咲かぬ?

ひっそり、精一杯、咲いて、しぼむ。

「こころ生き」は、なにも、ない。

人の生涯も、また同じ、か。

★これまで何度も、月下美人の満開の白い大きな花を日記にも載せてきた。この度も「ふくらみ」のツボミが、首をもたげていた。「ああ、これなら、今夜あたり、咲くかな」と、期待はしていた。残念ながら、夜勤の職員さんに、写真を撮るのを頼み忘れる。今朝、見たら、既に精気は抜けて、この状態。何やら、人間の生涯を思わせた。芽を出した。根気よく育てて行く。成長し、やがて花、開く。平凡な人生でも、すばらしい。それなのに、なぜ、人の世には、悪や汚れや、ダマし合いがあるのか。

★こんな旅の経験を思い出した。外国に1人旅したとき、民衆が大勢集まる「お祭り」があった。バッグを背負って、喜々として、雰囲気にハマっていた。人が一杯。もまれ、押される。するとバッグに、なにやら異変を感じた。バッグを見ると、鋭い刃物で、バッグの底を「スパーッ」と切られていた。危(あわ)や、ギリ、ギリのところで、サイフ、パスポートを抜き取られる災難だった。これは「悪」だよね。ところが、そこへ女性が現われて、バッグを修理してやるという。家に連れて行かれて、バッグの底を、糸で縫ってくれた。これは「善」だよね。お礼をしたか、どうか、覚えていないが、もし、その女性も、脅しを迫ったら、どうなるか。今、思えば、いちばん怖いのは人間だ。油断は出来ない。善もあれば、悪もある。交差する中で生きるのが、世の中。月下美人のように、美しく咲きたい。

★今日は、午後から、トマは、歯科へ診療に出かけます。入れ歯がないのが自慢です。だが、老いは、歯にも来る。歯は大切に、長生きの秘訣。

2020年10月5日月曜日

ホームに暮らして、6年。ボンヤリじゃない。光る足跡。出会いの切り札

 イッパイの、うどん。

昼食に出た、うどん。

なぜか「峠の、うどん屋」が浮かんだ。

「あそこの、うどん、ウマかったな」

峠を下って、温泉地へ。

療養気分で、塩湯に、ひたる。

食べるのは、牛肉のてんぷら。

10月で、ホームに入居して、まる6年になる。入居した当時は、落ち込みが、ひどく、全く希望を失っていた。6年が過ぎて、思う事は、これほど充実した人生の歩みはなかった、と言う事です。1年、1年が、ふしぎと満足した年になった。これは、なぜでしょうか。その切り札になったのが「出会い」です。人生には、計り知れない出会いがある。その出会いが、次へ、次へと、幸せの連鎖を運ぶ。「まだ、生かされている」。ふしぎです。老いは、決して、楽ではない。しかし生かされているのが、喜びです。嬉しいです。

生かされた恵みに感謝しながら
砂浜の まっさらな砂の上に
足を置こうか 置きますよ
そんな気持ちで おります

2020年10月4日日曜日

憧れる修道士の道。祈りと兄弟意識で乗り越える。聖への追求は残る

 アシジの聖フランシスコの祭日。写真は、ホーム・湯江教会に飾られた聖フランシスコのご像です。「フランシスコ」は、教皇さまのお名前でもある。またホームの名前も聖フランシスコ園です。ホームのお祝い日でもある。昼食には、ちらし寿司と刺身が出ました。

★聖フランシスコのどこに惹かれて、フランシスコ修道会の修道士になったのだろう、と考える。お互いに「フラテル=兄弟」を呼び合う「平等性」。父なる聖フランシスコは、主イエスのように生きたいと望んだ。魚や小鳥に説教し、オオカミと仲良くなり、市民を和解させる。流れる小川や、きらめく星座を仰いで、兄弟よ、姉妹よ、と愛しんだ。清貧に徹した聖人の跡を歩みたい。

50年前、初めてポーランドのコルベ神父創立の二エポカラヌフ修道院を訪問。そこには250人の修道者たちがいた。トマと同じ修道服を着た、こんなに多くの修道士たちを見た感動に、心が湧いたね。大きなカラダで、同じ服を着て、明るい表情をしていたね。「アリガト」「ヤポンスキー」「ブラチェ=兄弟」。彼らは愛想が好かった。笑っちゃう、よ。でも考え、道は、1つ。國は違っても、そう思った時、嬉しかったね。
祈る修道士たちの姿。修道士だからといって、欲や我が侭が消えたわけではない。人間なら、同じように誰しも持っている。コケる事もあれば、落ちる事もある。しかし一方で、聖なるものへ向かう気持ち、願いも確かにある。回心しては、少しだけ前に進む。その繰り返しの毎日です。こういう大勢の修道士たちの中に、日本人のトマが1人ポツンと立っていると、ふしぎな感覚に捕らわれた。そんな昔の思い出を今日は考えました。
★「いけないことは、無くしていこう。これが人間、本来、持っている、姿です」

2020年10月3日土曜日

誕生会だよ。出たーッ。「浪花節だよ、人生は」踊り。生きて老いとなる

誕生会だよ。

職員さんの「出し物」は、何んね?

「浪花節だよ、人生は」

義理か、人情か、懲悪か。

蓄音機が、あってね。レコードで、子供の頃、よく聞いたモンだよ。おとな連中に混じって、ね。「森の石松」「清水のジロウ長」。こりゃ、受けるバイ。

出たーッ。
職員さん達、家に帰れば、「ママ」だよ。それが、このカッコウ。
「エーィ」。楽しか、ばい。
誕生会を祝う人は、4人、居った。
100歳近い女性も、居る、ばい。
みな、長生き、たいね。
食事のヨカもん。介護のヨカもん。
それで、長生きタイ。
若さが、老いに、伝わって、くるケン。
老いが、また、若モンに、伝わるタイね。
トマの食卓、写真、撮るのは、難し、か。踊って、動き、回るのが、激しかケンね。顔、写したら、ダメ。
やっと、最後の挨拶が、撮れた。
「ナニワ・ブシ、だよ、ジンセイは」
そうたい、ね。ここに居る者、みんな、その人生、生きた。
義理、人情、思い出すだけ、ワク、ワクさ。
浮き、沈みの、ある世の中。
「コロナ」だけは、初めて、よ。
早(は)よーゥ、良(よ)ゥ、なれよ。
ごちそう、メニューは、これタイね。
食欲、旺盛。モリ、モリ、食べる。
栄養士さん、見て回る。
食事の終わり頃、歌が出る。
森さん、歌った。「酒は、飲め、のめ」
昭一さんは、童謡のハーモニカ。
フワ、フワのお菓子。160カロリー。
カンパイは、ジュ―スだね。
こうして、今日の楽しい会は終わった。
マンゾクでした。
ありがとう。奉仕の上に、笑いが、ある。小さな幸せがある。

2020年10月2日金曜日

稲穂が、稔る。秋だね。『こころの時代』長崎地方で、再放送。有り難い

流れる小川。細い田舎みち。遠くに、山。広がる稲穂。泌尿器科へ診察へ行ったとき、「高原さん、脇みちに入ってくれる、写真、撮りたいから」と願った。ハンドル切って、入った所が、ここ。「川に、落ち、ちゃイケンから、な」と言いつつ「逆光線だ、ね」。でも、景色に満足した。「秋だ。早か、な」。ホームに居れば、最近は、農村の風景も見られない。高原さんは、よく願いを受け入れてくれる。だが人には誰しも気分があるからね。ハンドル操作を気にするよ。

いい場所に、車が止まった。一見、豊かそうな稲穂が「デン」と広がる。だが、水が残るのが気になるな。「一粒のタネが死ねば、多くの実を結ぶ。死ななければ、一粒で終わる」。そんな考えが、アタマに浮かんだ。
★今頃になって、他県の86歳の男性から手紙が届いた。「NHK『こころの時代』を見て、92歳、超高齢にかかわらず、1時間、泰然と話され、感動的でした。終始しっかりとした口調で、みごとでした。20年ほど前、家族で、聖母の騎士修道院を訪ねて、お会いしました。写真が残っております」
★人生には、必ず、よい出会いがある。振り返れば、沢山、あった。出会いによって、人は豊かになる。あなたに出会って、よかったよ。幸せになったよ。そう言えるのが、喜びです。感謝しよう、よい出会いを。心の宝にしよう、よい出会いを。
★ホームの近くの女性が、『こころの時代』に出てくる地元の中学校に、DVDを届けました、と事務室に伝えて、お菓子の『おみやげ』を置いて行かれた。感謝して、食卓の6人で分けて食べる。
★NHKのディレクターから電話があった。10月9日(金曜日)、午後7時30分から、8時30分まで、長崎地方だけ、再放送を流します。「ああ、うれしいな。ありがとう」。また、元気が出るな。 

2020年10月1日木曜日

昨日の診察は?大曾昭神父の命日。2年目。幼いイエスの聖テレジアの日

昨日の診察。待つ間、トマは考える。いま、必要なのは、何か?「辛抱」と「気力」は勿論。そして「信頼」だね。神さまへの信頼だよ。自分に起こることは、神さまの「愛」につながっている。「摂理」だと信じる。起こることは、神の愛だと「信頼」して受け入れる。それが、なければ、いまのトマは、生きては、行けないよ。そう思いながら、名前を呼ばれるのを待った。検査の結果は、「まあ、大丈夫。腎ゾーに変わりはない」。ステント入れ替えの月日が決まった。

★大曾昭神父さんの命日。逝って、まる2年になる。彼は「神父」であり、「校長」だったから、シャンとしていたね。誇りがあった。女性の介護職員さんから「可愛」がられた。大曾神父さんも、これに応えるように、食事は、ゆっくりと、いつも完食していた。今朝、朝食のとき、トマが話題に出した。瀧神父さんが、総合病院で診察後に、大曾神父さんを見舞った。一緒に「アヴェ・マリア」を祈る。その3時間後、死去。91歳。

★昼食のときは、今日の聖人、幼いイエスの聖テレジアの話を出した。「テレジア」の洗礼名を持った女性は多いだろう。聖テレジアと、コルベ神父は関係がある。写真は、聖コルベ館の旧・展示だが、左側に「聖テレジア」の額を掲げていた。聖テレジアは「宣教師の保護者」と言われる。コルベ神父が長崎に宣教に来た頃は、テレジアは、まだ日本にそれほど知られていなかった。それでコルベ神父はテレジアにある約束を交わした。
★私が、聖母の騎士誌で、あなたの宣伝をするので、あなたは、天国から「バラの雨」を降らせてください。最初の騎士誌には、テレジアの記事を載せた。幼いイエスのテレジアが、自叙伝と共に、著名となる。聖人にも挙げられた。約束通り、天国からは「バラの雨」も降った。特に、インドに宣教に行った際、コルベ神父の足元に、バラの花びらが落ちた。「コルベ神父は、宣教師として、成功した」
★老いた修道士のアタマには、いろんな記憶が詰まっている。時代が変わって、その記憶が遮断(しゃだん)されていくのが、さびしい。