2018年7月7日土曜日

さァ、さァ、待ってた誕生会だよ。何が出るかな?


月の初めの土曜日の昼食は、待ちに待った「誕生会」です。7月は4人がお祝いした。全員が一緒に集るんですね。普段は、3ヶ所に別れて食べている。「誕生会」だけは、みんな一緒。だから楽しみでもある。集いが始まる前に、女性職員が言った。「ワッショイ、ワッショイ。掛け声をかけてね」「おーまかせておきなさい」
★司会の声で始まり、園長神父さんの挨拶があって、「ハッピバスデイ」。1人、1人にお花と、小さな灯と、おみやげが渡される。いつもの順序です。それから職員の出し物の出番です。「ナンですか?」「お祭りマンボ」。3人が入って来て、食堂は賑やかになる。こころ、ウキ、ウキ。ワッショイ、ワッショイ。「喜ぶ者と共に、喜ぶ」。それですよ。
★誕生会で祝ってもらった中に、1人、注目の女性がいた。90歳の女性。ホームに29年、在園している。「どの人?」。終わった後でも、まだ片隅の席に残っていた。近寄って、聞いた。カトリック信徒の女性が寄り添った。90歳の女性も信徒。五島出身であるのは分かっている。「生まれは、どこね?」「ヨネ・ヤマ」「ああ、知っている。行った事、あるよ。聖アンドレアのご像が強烈に印象に残っている」。米山と書く。「コメは付いているけど、コメは採れん。上を見れば、青空、下を見れば、青い海」と女性は言った。「たいした病気もせずに、この歳まで生かされた」「よかったね」。誕生会は、やっぱり嬉しい。神への賛美でもある。
★上五島の中通島は、北部に細長く延びている。教会が、青砂ガ浦、曾根、大水、江袋、赤波江、仲知とつづいているが、その先に、米山教会がある。印象に残る白い教会だ。聖アンドレアのご像がある。聖書によれば、彼はイエスから呼びかけられると、すぐに父と網を残して従った。船と、網と、殉教のときのⅩ型の斜めのクルスが像にある。手に本を持つ。背後は広い海。トンビが音もなく風に乗って海へ舞い降りていた。信者は50戸ばかりと聞いた。今も、変わらぬだろうか。ああ、もう1度行きたい。

2018年7月6日金曜日

世界遺産。出津ド・ロ神父の家来だった仙太郎を想う

かつての外海・出津の風景です。ムシロの上に、白く、干しているのは常食、「カンコロ」(芋を切ったもの)です。出津の集落が「世界遺産」になって、テレビで「ド・ロ神父」や「記念館」も紹介された。
★「ド・ロさま」と言えば思い出されるのが、仙太郎さんの思い出です。昭和31年(1956年)に記事を書いた。ド・ロ神父さまの家来を努めた「坂本仙太郎」の聞き書きです。当時、仙太郎さんは72歳。尋常3年を終えて、11歳で、ド・ロ神父(パーテル様と呼んだ)の司祭館に住み込み、家来になったと言う。また16歳のとき、芳五郎(後の枢機卿)の洗礼代父になった。
★彼の話は本当に面白かった。武勇伝というか、彼は家の中でも、水兵帽子に似た格好の帽子をかぶっていた。「ド・ロさまの家来は何年務めましたか」「6年。前の3年はイタズラばかり。後の3年、教えられた」。面白い話は、こうだ。賄いに、コメさんが居て、パーテル様が「西洋のセリを煮ろ」と命じた。コメさんは耳が遠くて、「セリ」を「キセリ」と間違えて、パイプを煮て驚かせたそうだ。コメさんが退職して、エチさんが来た。村人がワナで大きな「うさぎ」を捕まえて、パーテル様へ持って来た。「キンタにやれ」。教会の上に「金太」が居た。エチさんは「アッタレゲーナ(おしいことよ)」言いつつ、金太にくれてやった。金太は喜ぶ。「キンタ」は、ラテン語で「木曜日」で、「その日に、やれ」と言ったのだった。
★彼は何も失敗しなかったのか。前の3年は色々イタズラばかり。後の3年は教えを講うた。「在るもの、在らせられるもの、在らせられずして、在るものなし」「無きものを、他に与うるあたわず」
★仙太郎さんは伝道士として生涯を貫いた。熊本に10年、福岡に4年、長崎に4年、長州の萩に8年、伝道生活で働いた。昭和11年に出津に帰ってきた。
★古い記事を読み返すと、私も色んな人の話を聞いてきたと、当時が懐かしい。

2018年7月5日木曜日

良いホームは設備もあるが、人間信頼、家族愛が一番

ホームの朝です。教会のミサから帰る。辺りは静寂。右上の時計は、6時半を指している。介護の詰所には職員は居ない。今が一番忙しい時です。各部屋を廻っている。
★いま、ホームに69人が入園している。そのうち、カトリック信徒は、44人です。カトリック信徒の多いホームと言える。信徒の中には、ホーム在園29年の女性も居る。99歳の女性は、18年在園している。以前は、ホームに見舞いに来ていた女性信徒は、自分が今度はホームに入った。見舞っていた3人は亡くなった。五島列島出身者も、多々居る。五島の話や、教会、神父さまの話も出る。「ああ、五島に帰りたいよ。1度でいいから、帰りたい」。そう声を発する女性も居る。
★先日、日帰り旅行で、大村へ行った。バスは山の坂を上ったり、下ったりした。森の中も通った。途中で、「有料老人ホーム」の看板もあった。「え?こんな森の中に」が率直な感じだった。聖フランシスコ園は小高い丘にあり、広い空と、周りの家々は一段と低く、緑の広い庭もある。開放的だ。
★良いホームの条件は何だろうか。設備の良さもあるが、最も大事なのは、職員と入園者との人間関係、家族的な思いやりにあると思う。我がままな願望は通らないが、「守られている」安心感が、ホームの良さに繋がっている。
★昼食は、じゃが餅、三色ソーメン、とり天、コーヒー牛乳だった。栄養師さんが、ソーメンの入った大きな皿を抱えて、皆さんの周りをまわって「いかが」と声をかけていた。ホームの三食を食べれば、健康に最も良い。ホームの入園者は長生きです。
★看護師さんが3人居て、月の初めには、体重・血圧測定がある。私は、53.8Kgで、変化なし。週に2度、町のお医者さんの診察があり、月に1度、眼科の女医さんの診察がある。健康面では守られています。
★ボリ、ボリ、アタマが「カユーイ」。「老人になると、アブラが抜けて、カサカサになり、かゆい」「老人って?」「アンタは何歳で、老人と思っているんだ」「90歳です」「ハ、ハ、ハ」

2018年7月4日水曜日

何が人の心を惹くのか。どこからか呼ぶ声が聞こえる

20年程前、カトリック雑誌に、各年代の司祭のコメント集が載っていた。その中に、1つの言葉、80代の日本人司祭のコメントを切り抜いて、今も自分の手元に置いている。それは次の言葉です。
★「人間とは、自分で考えて、自分で決めて、この世に生まれたのではない。気がついたら、自分がこの世にいた。人間とは、そういうものです。神が私たちに存在を与えられた。すべての営みは、そこから始まる。司祭に出会い、要理を学んだ。学校の教えは時代と共に変わりますが、教会の教えは変わらない。永遠のものに惹かれて、今日まで来たわけです」
★私も、80代を過ぎ、90になって、この司祭のコメントに全く共感できるわけです。そりゃ、神さまの道に進んだとはいえ、いろいろ、ありましたよ。迷いも、倒れたことも、ありましたよ。しかし今は「いのちの源である神を認める」「神の限りない愛と、御子イエスを認める」「孤独じゃない。イエスが共に居てくださる」「人は神から出て、神に帰ることを認める」「いのちは永遠であることを希望します」。生物的や物理的を越えて、今、在るのは、それだけです。
★先程のコメントと共に、私が大事に保存している1枚のハガキがある。聖コルベ館に時々来ていた女性で、国立大学を卒業し、更に国立大学院で学び、臨床心理士の資格を持ち、公の役所で活躍していた。また教会の青年会でも、中心となって行動していた。その有能な、前途明るい女性が突然、最も厳しい観想修道女会に入会するという。神に、徹底した愛と出会いの道に進むという。その信仰の清さ、真っ直ぐさに、熱いエールを送った。女性には、何処からか招かれる声が聞こえる。
★何年も経って、「あの女性はまだ勤めているだろうか」。半信半疑の思いもあったが、近くを通るチャンスがあったので、山の中の、緑に囲まれた静寂な修道院を訪ねた。受付のシスターに「修道士です」と告げると、「ああ、以前に、26聖人の映画に来てくださった方ね」「院長さまに許可をお願いして下さい」。だが思った通り、面会は出来なかった。受付のシスターが慰めるように言った。「昨年の11月1日が、その方の終生誓願でした。お祝いのとき、記念のカードを作ります。その方は、聖母の騎士のルルドの聖母を印刷お願いしたいと、騎士社に頼みました」。終生誓願と聞いて、安心した。名詞の裏に「祈っています。神さまへの愛を生涯、貫いてください」と書いて渡した。
★「昨日、院長を通じて、メッセージを賜りました」と、ハガキが届いた。神の恵みの中で生活されている事が記されていた。
★「入会して七年以上が経ちましたが、長崎で信仰を、また様々な恵みを主より頂きました事、一日たりとも忘れた日はございません。本河内のルルドのマリア様からも、たくさんの恵みを取り次いで頂きましたので、修道名に感謝の意味を込めて『ルルドの聖母』をつけさせていただきました」。消印を拡大して見ると、6年前の絵ハガキになる。裏の絵は、何か、名前も知らない草花の絵が描かれていた。
★あのコメントの司祭は健在だろうか。観想シスターも健在だろうか。そんな事を考えた日でした。「苦しみは、のち、愛の喜びに、変わる」。私の好きな言葉です。存在の意味を示すものでもあり、追い求める希望でもある。

2018年7月3日火曜日

「月下美人」の華麗な花、夜の暗闇に見事に咲いた

昨夜、「月下美人」の花が、見事に咲いた。いつものように、7時半過ぎに、まだ明るいうちにベッドに横になった。寝て間もなく、自室のスピーカーで、夜勤の職員さんから「花が、咲いたよ」と起こされる。「すぐ行きます」と、デジカメを取って、2階へと急いだ。「おお、咲いている。すばらしい」。神々しくさえ思える。
★昼間、見たときは、ツボミが2つ離れ離れになっていた。それが見事に、対照的に、ツイになって花開いているではないか。この自然の神秘に感動した。
★昼間は、ツボミのままで、固く閉ざしている。夜になって、誰も居ない、誰も見ていない、ひっそりと咲かせる。しかも素晴らし花、美しい花ではないか。こんなに装っているのに、隠れて、静かに咲いている。「誰も、見ていなくても、いいのです。見てくださる御方が、いらっしゃる」。その心情が花から溢れている。そう花は語っているかに思える。
★隠れた処から、隠れたものを見ておられる御方がいる。隠れていても、この花のように輝いている。すばらしい生き方だ。子供の頃、言われた。「お天とう様が、見ているよ。悪いことは、出来ないよ。良いことも、隠れてするなら、もっと良いことだ」。ラッパは吹くな。月下美人のように、ひっそりと、善行を実行せよ。夜咲く花は、生き方の心底を教えてくれる。
★今朝、ミサ後に、月下美人を見ると、精力を付き果たしたかのように、しおれていた。役目が終わったのか、華麗な花は、そう語っているかに思えた。「よく、がんばったよ。見事だったよ、月光美人さん」

2018年7月2日月曜日

今日の、あれこれ。歌に、猫に、花に、安堵の眠り

月に1、2度、「コーラス」といって、20人ばかりが食堂に集まって、老年のシワ声を絞り出して歌う日がある。担当の女性職員さんに、日頃、お世話になっているから、入浴もしたいが、義理で、参加する。40分間程で、後半で「ヤクルト」が出る。今日は、あいにくのお休みで、代役の女性職員さんが相手をされた。「たなばた」「上を向いて」「幸せなら」などを歌った。
★椿原の小・中時代を思い出す。いつも「ジーッ」と、していない、音楽がキライな子ばかりだった。あの子たちを連想しながら、オレは「ジーッ」と、して、受け入れて歌う。
★「コーラス」の食堂を出て、すぐ医務室がある。1ピキの、小さな、軽い、黒いキジ猫がじゃれている。生後、すぐ広い庭の隅に捨てられた。拾ったからには、「いのち」が大切。貰い手が見つかるまでと、仕方なく飼っている。これが、また老人たちの心を癒している。お年寄りの女性が寄り添って、「かわいい」「かわいい」と、ナデ、ナデ、して満足して、ニコッと笑う。「名前はナンというの?」「キイロ」「黄色って、クロじゃないの?」「幸福の黄色いハンカチ、から付けたのよ」と看護師さん。猫用の粉末食で育てている。小猫は、ここが何処かも知らず、ゲンキにじゃれている。
★ホームの玄関にある「月下美人」が、今にも咲きそうだ。ホームにきて、1度、この月下美人の見事な花を撮ったことがあった。今夜、咲くだろうか。もう少し、ふくらみが足りないか。夜中に咲くので、今年は、花が撮れるか、どうか。
★自分のベッドで、夜、目をつぶって、遠い彼方の記憶から、子供の頃の手のヒラの感触を思い出しながら、我が胸を、しばし、さすりつづけて、安らかに眠る。「目に見えないものの気配を感じる、みたま」

2018年7月1日日曜日

七夕への願い事。老人は何を願うのか。希望か現実か

瀧神父さんと、トマ。先日「大村・三彩の里」に、焼き物の絵付けに行った時の写真です。屋外に出て、外気を吸うのは気分転換になる。どんな皿が出来るか、待っている。待つというのは、希望もあり、楽しみでもある。
★七夕(たなばた)が近づいた。女性の職員さんが「竹ざおに飾るので、願いを書いてください」と、食堂に、札をおいて自由に取るように、皆さんに頼んだ。「じゃ、わたしも、書いてみようかな」。考えて、5枚書き上げた。
★老人は、天空の星々を仰いで、何を願うのか。個人の内面は記したくない。やはり世の中の動きだろう。「いのちの大切さを総ての人びとが理解し、安心できる世の中になりますように」。若者たちが自死するのが一番悲しい。「老いに負けず、これからも平安な余生を過ごすことが出来ますように」。確かに、それは、ある。ホームは聖フランシスコ園だから、「平和と善、アシジの聖フランシスコの『こころ』が、人種、国境を越えて、広まりますように」。やっぱり身近な願いもある。「ホームに暮らす皆さんが、お互いに理解し合い、許しあい、家族的なフンイキになりますように」。楽しい、トゲの無いホームでありたい。職員さんたちの苦労も思う。「養護・介護で働く皆さんが、十分な報酬を受けて、安定した、ゆとりある生活が出来ますように」。書き終わっての感想。「ちょっと、硬・苦しくなったか、な」
★今朝の空です。昨日の朝は、豪雨と雷光で、激しかったが、梅雨は明けそうな感じがする。昨夜のテレビ・ニュースで、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、世界文化遺産に登録が決まった、と報じた。喜ばしい決定です。全部、訪問した場所、教会だが、もう1度、改めて関連の教会や集落を身近かに引き寄せて、深く考え直すべきだと思った。