山の修道女院の墓地です。ここには、ポーランド人の司祭、ミロハナ神父さま、サムエル神父さま、カシアノ修道士なども眠っている。私が知っているシスターも「神のイノチ」に入っている。今日は、死者のために祈る日です。
★私がホームに来てからも、ホームで、ポーランド人のローマン修道士(2014年。享年100歳)、五島・久賀島出身のフランシスコ中村修道士(2015年。享年93歳)、五島・水の浦出身のピオ中島神父さま(2016年。享年87歳)が亡くなった。ローマン修道士さんとは一緒にポーランドにコルベ神父のゆかりの地を巡礼したことがある。中村修道士はコルベ神父の時代に入会した人で、心優しい、愛の深い修道士だった。ピオ中島神父さまは、ボランチアの男性の介護で、毎日、車椅子で屋外を回りながら、恵まれていたのに、急に亡くなった。
★生かされているのが、感謝です。「亡くなった両親、兄弟、親族、恩人、煉獄の霊魂ののために、祈るように生かされている」。浦上の古老たちは、そう言いながらロザリオを熱心に祈っていた。死者の供養は、生きている者の勤めでしょう。
★あるシスターの話。亡くなる2週間前、がんの痛みで苦しんでいた。見舞いに来た人が、「苦しい時は、苦しいと言いなさい。ラクになりますから」。シスターは答えた、「ありがとう。どうしても天国へ行きたいから、ガマンします」
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2017年11月2日木曜日
2017年11月1日水曜日
諸聖人の祭日。ホームの礼拝の日。幸せと平和を祈る
2017年10月31日火曜日
ロザリオの月、終わる。ホームでは祈りは続ける
ロザリオの聖母マリアの聖絵です。御子イエスの御手から、また聖母マリアの御手から、ロザリオが与えられています。左は聖ドミニコ。ロザリオを広めた聖人。右は聖女シエナ・カタリナ。13世紀頃から、ロザリオは唱え始まった。成聖と改心のために、「ロザリオを唱えてください」「祈ってください」。これがルルドでも、ファチマでも聖母ご出現のお願いでした。
★ホームでは、毎日、午後に、20人ほどの皆さんが集って、ロザリオを唱えています。山内園長神父さまが率先して、ロザリオを唱えています。瀧神父さまも参加します。今朝の園長神父さまのミサの初めに、「ロザリオの月でした。今日で終わりですが、頂いたお恵みを感謝しながら、祈りましょう」とお勧めがありました。ロザリオを唱えると、心が安らぎます。
★長い歴史を持つているマリア信心です。隠れキリシタンたちも、木を輪切りにして、芯を繰り抜いて、穴をあけて、縄でつないでロザリオを作って、祈っていました。ロザリオは思いがけないお恵みを人生に与えます。
★瀧神父さまのお姉さんが、鹿児島で、100歳で神に召されました。お祈りください。
★ヨハネ村山修道士さんが、入院しました。お祈りください。
★ホームでは、毎日、午後に、20人ほどの皆さんが集って、ロザリオを唱えています。山内園長神父さまが率先して、ロザリオを唱えています。瀧神父さまも参加します。今朝の園長神父さまのミサの初めに、「ロザリオの月でした。今日で終わりですが、頂いたお恵みを感謝しながら、祈りましょう」とお勧めがありました。ロザリオを唱えると、心が安らぎます。
★長い歴史を持つているマリア信心です。隠れキリシタンたちも、木を輪切りにして、芯を繰り抜いて、穴をあけて、縄でつないでロザリオを作って、祈っていました。ロザリオは思いがけないお恵みを人生に与えます。
★瀧神父さまのお姉さんが、鹿児島で、100歳で神に召されました。お祈りください。
★ヨハネ村山修道士さんが、入院しました。お祈りください。
2017年10月30日月曜日
愛は、いつまでも枯れることはない。喜びのご縁
この世で一番大切なのは「愛」と「いのち」です。愛と、いのちは、神さまから出ているからです。
★久しぶりに、ロザリオ祭に参加して、聖コルベ館に入り、「聖コルベの居室」を見ました。聖コルベは五年間、この素朴な部屋で生活しました。右側に、ベッドがありました。ベッドは残っていませんが、ワラを敷いて、眠りました。部屋の係だったセルギウス修道士は、毎朝、ベッドのワラをほぐして、軟らかくしました。するとコルベ神父は「私が犠牲をするのを妨げないで下さい。ワラはそのままにして下さい」と願ったそうです。肺病を病み、この部屋で、永井医師から診察を受けました。長崎に上陸した後、大浦で一年間仮の修道院を設け、日本の宣教は六年でした。その後、アウシュヴィッツでの身代わりの愛の殉教が待っていました。「コルベ神父の愛は、いつまでも枯れることはない」
★コルベ神父が聖人になった年、1982年に生まれ、「マリア・コルベ」の洗礼名を受けた女の子が、母親となり、ご主人、俊雄さん(アシジのフランシスコ)と五人の子どもさん達が、ロザリオ祭に来て、私と出会いました。私は彼らをコルベ神父の資料館に連れて行った。聖コルベの身代わりの場面のビデオも見せました。
★帰りの車の都合もあり、彼ら家族と早めに別れましたが、今日、電話でお母さんに「その後、どうでした?」と聞いた。ビデオの後で、長男・小6の子は、洗礼名がコルベだから、興味を持ち、色々と質問をしたそうです。「どこの国か」「なんで、そうなったのか」「なぜ毒殺されたのか」。ミサの後で、皆さんに、お土産のご像と聖母のカレンダー、小さなペットポトルに入った「ルルドの水」をもらいました。小6の男の子は、それを飲んでしまって、家族でルルドへ上り、小さなポトルに水を入れた。ご主人は、自分の霊名から、コルベ神父と「つながり」があると喜んでいた。この後、原爆資料館を見て、町を走る電車を楽しみました。夜遅く、下関に帰ったそうです。
★長い人生で、この家族との出会いは、私にとって記憶すべき出来事となった。今日もその余韻は残っている。電話で、喜んでいるお母さんの声が聞けた。
★久しぶりに、ロザリオ祭に参加して、聖コルベ館に入り、「聖コルベの居室」を見ました。聖コルベは五年間、この素朴な部屋で生活しました。右側に、ベッドがありました。ベッドは残っていませんが、ワラを敷いて、眠りました。部屋の係だったセルギウス修道士は、毎朝、ベッドのワラをほぐして、軟らかくしました。するとコルベ神父は「私が犠牲をするのを妨げないで下さい。ワラはそのままにして下さい」と願ったそうです。肺病を病み、この部屋で、永井医師から診察を受けました。長崎に上陸した後、大浦で一年間仮の修道院を設け、日本の宣教は六年でした。その後、アウシュヴィッツでの身代わりの愛の殉教が待っていました。「コルベ神父の愛は、いつまでも枯れることはない」
★帰りの車の都合もあり、彼ら家族と早めに別れましたが、今日、電話でお母さんに「その後、どうでした?」と聞いた。ビデオの後で、長男・小6の子は、洗礼名がコルベだから、興味を持ち、色々と質問をしたそうです。「どこの国か」「なんで、そうなったのか」「なぜ毒殺されたのか」。ミサの後で、皆さんに、お土産のご像と聖母のカレンダー、小さなペットポトルに入った「ルルドの水」をもらいました。小6の男の子は、それを飲んでしまって、家族でルルドへ上り、小さなポトルに水を入れた。ご主人は、自分の霊名から、コルベ神父と「つながり」があると喜んでいた。この後、原爆資料館を見て、町を走る電車を楽しみました。夜遅く、下関に帰ったそうです。
★長い人生で、この家族との出会いは、私にとって記憶すべき出来事となった。今日もその余韻は残っている。電話で、喜んでいるお母さんの声が聞けた。
2017年10月29日日曜日
長崎・聖母の騎士ロザリオ祭。5人子供の家族に会う
日曜日。朝、台風の影響で、風が荒れ吹き、雨も激しく降る。聖母の騎士のロザリオ祭なのだ。天候が心配された。「ナンとしてでも出かけねば」。今日は、現地で、下関の夫妻と5人の子供たちに会う約束もしている。
★心配を乗せて、雨のなか、修道院の浜田神父さまの車で、瀧神父さまと入江さんと私、4人でホームを出発した。休みの日なので、道路は空いている。長崎市に近づくと、幸いにも雨も風もやみ、空の雲も大きく上がりだした。1時間ほどで、聖コルベ館に着く。
★車から降りて、坂道を横切ろうとすると、下関の家族が道の上から姿を現し、ピッタリと見事に出会ったのには、おどろいた。お母さんを除いて、ご主人と5人の子供たちとは初めての出会いだった。
★先ずは、教会へ。ロザリオ祭のミサで祈った。大勢の信徒が参加していた。もう、すっかり天候は回復して、教会の中には、陽も細い窓から入り込んでいた。ファチマの聖母像が安置され、飾られている。ファチマの聖母出現から、100周年を迎える。お説教でも、その説明があった。それに「けがれなき聖母の騎士(信心)会」がコルベ神学生(当時)によって創立されて、100周年を迎える。その事もお話に出た。ミサ歌は、ラテン語で聖歌が歌われ、荘厳さを感じた。
★ミサが終わって、下関の家族を聖コルベ館に案内した。既に日記(ブログ)にも書いたが、この家族とのご縁は出会いの粋たる出来事であろう。お母さんの尚子(ひろこ)さんが生まれ、洗礼を受けたのがコルベ神父がローマで聖人に挙げられた日だった。騎士誌では、記事のため、その年に生まれた幼児で、聖コルベの洗礼名をつけた子どもを募集した。尚子さんの1歳の写真も送ってきた。騎士誌に載せると共に、写真と手紙をアルバムに残した。尚子さんが中学生になったとき、下関の3つの教会が、中・高生の長崎巡礼を行なった。聖コルベ館にも来たが、尚子さんは、小崎修道士からアルバムを見せられ、写真に撮った。そのとき、小崎修道士から「愛の花びらは、いつまでも枯れない」の言葉を贈られる。中学生は、この言葉が気に入り、大きくなって結婚して女の子が生まれたら、名前に、この言葉をつけよう、と考えた。
★その家族が、この人たちなのです。お父さんに、「今朝は、何時に出発しました?」「6時半です」。3時間半かかって着いている。子ども達が可愛い。お母さんの願い通り、女の子3人は、愛花(あいか・小4・マザーテレサ)、結花(ゆいか・小1・マリア)、聖花(せいか・年中組・ベルナデッタ)、男の子たちは、祖父の名前を分けて、照悟(しょうご・小6・コルベ)、雄悟(ゆうご・小3・ヨセフ)とした。こういう家族、こういう名前のつける家族が、私の人生にとっては始めての出来事です。家族に会えて、お母さんのアルバムや騎士誌の記事を見せて、本当に嬉しい日となりました。お母さんの歴史がある。小6の照悟君の修学旅行は、長崎だった。家族は、これから長崎見物に行きますと言って、別れを惜しんだ。
★下関の名物「刀の形をしたマンジュウ・小次郎」も2箱いただき、祖母の「のりこ」さんから、ピンクの封筒をいただきました。ありがとう。5人の子たちよ、健やかに、心優しく、育って欲しい、そう願って、ホームへ帰った。いま、窓から空を見ると、青空だよ。
★心配を乗せて、雨のなか、修道院の浜田神父さまの車で、瀧神父さまと入江さんと私、4人でホームを出発した。休みの日なので、道路は空いている。長崎市に近づくと、幸いにも雨も風もやみ、空の雲も大きく上がりだした。1時間ほどで、聖コルベ館に着く。
★車から降りて、坂道を横切ろうとすると、下関の家族が道の上から姿を現し、ピッタリと見事に出会ったのには、おどろいた。お母さんを除いて、ご主人と5人の子供たちとは初めての出会いだった。
★先ずは、教会へ。ロザリオ祭のミサで祈った。大勢の信徒が参加していた。もう、すっかり天候は回復して、教会の中には、陽も細い窓から入り込んでいた。ファチマの聖母像が安置され、飾られている。ファチマの聖母出現から、100周年を迎える。お説教でも、その説明があった。それに「けがれなき聖母の騎士(信心)会」がコルベ神学生(当時)によって創立されて、100周年を迎える。その事もお話に出た。ミサ歌は、ラテン語で聖歌が歌われ、荘厳さを感じた。
★ミサが終わって、下関の家族を聖コルベ館に案内した。既に日記(ブログ)にも書いたが、この家族とのご縁は出会いの粋たる出来事であろう。お母さんの尚子(ひろこ)さんが生まれ、洗礼を受けたのがコルベ神父がローマで聖人に挙げられた日だった。騎士誌では、記事のため、その年に生まれた幼児で、聖コルベの洗礼名をつけた子どもを募集した。尚子さんの1歳の写真も送ってきた。騎士誌に載せると共に、写真と手紙をアルバムに残した。尚子さんが中学生になったとき、下関の3つの教会が、中・高生の長崎巡礼を行なった。聖コルベ館にも来たが、尚子さんは、小崎修道士からアルバムを見せられ、写真に撮った。そのとき、小崎修道士から「愛の花びらは、いつまでも枯れない」の言葉を贈られる。中学生は、この言葉が気に入り、大きくなって結婚して女の子が生まれたら、名前に、この言葉をつけよう、と考えた。
★下関の名物「刀の形をしたマンジュウ・小次郎」も2箱いただき、祖母の「のりこ」さんから、ピンクの封筒をいただきました。ありがとう。5人の子たちよ、健やかに、心優しく、育って欲しい、そう願って、ホームへ帰った。いま、窓から空を見ると、青空だよ。
2017年10月28日土曜日
1つの言葉、よい言葉は、イノチにチカラを与える
絵手紙教室で描いた「枯れた葉っぱ」です。役目を終えても、人生、うつくしい。そんな気持ちで生きたいと思う。
★「出会い、喜び」。人との出会いも大切だが、1つの言葉に出会う。これも魂を揺るがせ、自分の背骨をまっすぐにする。1つの言葉、よい言葉は、イノチにチカラを与えます。
★最近は、そういう言葉が自分の奥底から湧いてこない。残念なことです。例えば、「トマさんのことば」のように。
★女子高校生に語り部を勤める。記念に、カードを贈りたいと考えた。いつもカード作りをしてくださるのは大分県の恵理子さんです。何が好いか。言葉選びに、悩んだ。「今は辛いけど、道の向こうに、幸せがある」「生きているからには、いい思い出を沢山つくろう。それが幸せ」「人間、なんとか、いきていかなきゃ、ならない。孤独であっても、苦しみ、あっても」「ほんとうの、愛に出会えば、苦しみ、痛みは、のり越えられる」「他人と比べるな。自分らしく、生きよ。それで足れ」「どんな逆境でも、希望と、勇気で、今を生きる」「小さな歩みだが、大きな力が、守り導いてくださる」「コルベ神父、身代わりの愛、お礼を、求めない、こころ」「愛の花びらは、いつまでも枯れない」(登明修道士)
★明日は、長崎・聖母の騎士の「ロザリオ祭」です。日記も遅くなるでしょう。
★「出会い、喜び」。人との出会いも大切だが、1つの言葉に出会う。これも魂を揺るがせ、自分の背骨をまっすぐにする。1つの言葉、よい言葉は、イノチにチカラを与えます。
★最近は、そういう言葉が自分の奥底から湧いてこない。残念なことです。例えば、「トマさんのことば」のように。

★明日は、長崎・聖母の騎士の「ロザリオ祭」です。日記も遅くなるでしょう。
2017年10月27日金曜日
長崎へ。クリニック診察。平和学習の願いも来た
月1度のクリニックへ行く日。ホームの朝食は食べない。時間が遅い。修道院にお願いして、パン1枚・チーズ付き、牛乳コップ1杯。熟した柿を頂く。8時に、修道院の車で、高原修道士の運転で、ホームを出る。長崎には、9時10分に「坂本町」のバス停に降りた。高原修道士は聖母の騎士へルルドの水を汲みに去った。写真では、バス停の直ぐ先の青色の扉がクリニックです。
★幸い、待合室には、2,3人の患者さんしかいない。ホッと安心する。先ず看護師さんから呼ばれて、体温、血圧、「調子はどうですか」と聞かれる。もう1度、待合室に戻って、しばらくして先生の声で呼ばれる。「田川ブラザー」と大きな声だ。私は、よろよろと立ち上がる。神父さんや、シスターの姿も、ちょい、ちょい見る。診察室に入るときは、必ず「お世話になっています」と大声を出す。このところ、調子は好い。20年来、通院している。「心電図の検査をしましょう」「ブラザー、大丈夫、100まで生きるよ」。いつも、そう言われる。ホームに帰ったのは、11時過ぎだった。こんなに早く戻る診察日は、めったにない。
★神奈川県のカトリック女子高校から、便りが届いた。「今年も『平和と巡礼』をテーマに郊外学習を実施します。11月8日(水)、聖コルベ記念館を訪問し、祈りと聖歌を捧げたいと思っております。例年のように小崎登明修道士さまのお話しを伺う機会を頂きたく宜しくお願いします」。生徒数185名。聖歌は「愛」「ハレルヤ」。例年の通りです。昨年もお話をした。もう26年になる。しかも生徒さんたちは、自著「十七歳の夏」を全員購入して、夏休みに読んで、感想文も書いている。その一部も別便で送ってきた。お話しするのを、私も楽しみにしている学校です。「一番大事なのは、愛とイノチだよ」。そう語りたい。「愛の花びらは、いつまでも枯れない」
★幸い、待合室には、2,3人の患者さんしかいない。ホッと安心する。先ず看護師さんから呼ばれて、体温、血圧、「調子はどうですか」と聞かれる。もう1度、待合室に戻って、しばらくして先生の声で呼ばれる。「田川ブラザー」と大きな声だ。私は、よろよろと立ち上がる。神父さんや、シスターの姿も、ちょい、ちょい見る。診察室に入るときは、必ず「お世話になっています」と大声を出す。このところ、調子は好い。20年来、通院している。「心電図の検査をしましょう」「ブラザー、大丈夫、100まで生きるよ」。いつも、そう言われる。ホームに帰ったのは、11時過ぎだった。こんなに早く戻る診察日は、めったにない。

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