山道で見つけた昭和の電灯です。珍しいのでデジカメを向けた。
★何年か前に、こんな経験があった。聖コルベ館に居たとき、立正佼成会から話を頼まれ、中古車の軽で出かけた。高速道路に3つの長いトンネルがある。3つ目の所で、急に車に異変が起こった。「ガクン、ガクン」と揺れたかと思うと、軽が馬力を失った。ちょうと、出口の近くであった。何とか、車を滑らせて、やっとトンネルを出た。幸い、路肩があった。軽をそこへ停めた。まだ携帯を持っていない頃だった。
★高速道路を通過する車を停めようと、手で合図するが誰も止めてくれない。やっと1台が停まった。「携帯、貸してもらえませんか?」「どうしたの?故障?電話なら、そこに有るよ」。車の人が指した、すぐ傍に、「緊急電話」があった。電話をかけると、30分ほどで故障処理車が到着した。修理工場は近所にあった。代車を借りて、走行をつづけた。
★そのとき思った。もし故障がトンネルの中央あたりだったら、どうなるか。片側一車線の道路だった。恐らく大混乱になっただろう。考えただけでも寒気がする。トンネルを出た所でよかった。しかも緊急電話が直ぐ傍にあった。だから助けられた。
★立正佼成会に行って、この経過を話すと、『妙』の世界がある、と言われた。お恵み、導きとは、いわない。『御守護』です。言葉は違うけど、確かに『妙』のふしぎな導きがある。そう感じた次第で、なぜか、この件は忘れることが出来ない。
★生活の中で、本当に、順調に事が運んでいくと、確かに神の導きが有ったと素直に感じて感謝する。そういう『妙』な出来事は、大なり小なり、生活の中で起こっている。それも信仰かも知れない。問題は、人生は平坦ではないことです。
★意に反する、逆らうことが、しばしば起こる。病気、がん、倒産、家庭の不和、裏切り、だまされる、借金など、様々な苦難が現実に起こる。そのとき、いかに、それらを乗り越えるか。そこが各人に信仰と共に問われるところです。
★神と、自分の現実を、どう考え、越えていくか、毎日、誰にでも問わされいる難題です。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2017年7月5日水曜日
2017年7月4日火曜日
原爆は怖い。小学生たちの作文。傾聴ボランチア
赤い字で「氷」の旗が揺れていた。子どもの頃を思い出して、「食べたい」。300円でした。作る動作が全く違う。子どもの頃は、機械で、ハンドルを回して、「サク、サク」と削り重ねて、山の形にして、蜜をかけていた。現在のは、何やら黒い箱のなかで、「モグ、モグ」と操作しながら出たのが、これです。「え?これ?」。イメージが違うな。先日、嬉野温泉へ行った帰りの休息場所でした。
★最近、変わったこと、あったか? ありました。
★①先日、小学校で、原爆の語り部を勤めた児童さんや教師から、お礼の文集が送られてきた。これを1枚1枚読むと、戦争は怖いと、わかるんですね。話甲斐はありました。2年生の作文に、こんなのが目についた。「また、げんしばくだんが、おちるかも、しれないと思いました。げんしばくだんが、おちても、なく(亡く)ならなくて、よかったですね。わたしは平和をまもるとめに、友だちと、なかよく、するようにします」。子どもたちの心に何かが残ると期待しています。
★②傾聴ボランチアの女性がきた。1時間、しゃべりました。女性は聴くだけです。時折、言葉を繰り返す。話をしているうちに、自分のアタマの中が、何やら整理されて行くのを感じた。もう女性が来るようになって、5回目です。島原半島の町から、バスに乗って、諫早でバスに乗り継いで、わざわざ来てくれるのです。奉仕です。全く感心します。月に1度ですが、最近は待つようになりました。
★③元日のエリザベットさんから携帯に電話があった。娘さんと2人で、個人で、ポーランド旅行へ行ってきた。クラクフでは、コンラードさんのお世話になった。アウシュヴィッツでは、日本人の案内人、中谷さんの詳しい説明を受けた。小崎さんのことも知っていた。「トマさんのことば」を中谷さんに差し上げたので、代わりに本を送ってください。ニエポカラヌフ修道院も巡礼した。いい旅ができましたね。写真を数枚送ってください。
★最近、変わったこと、あったか? ありました。
★①先日、小学校で、原爆の語り部を勤めた児童さんや教師から、お礼の文集が送られてきた。これを1枚1枚読むと、戦争は怖いと、わかるんですね。話甲斐はありました。2年生の作文に、こんなのが目についた。「また、げんしばくだんが、おちるかも、しれないと思いました。げんしばくだんが、おちても、なく(亡く)ならなくて、よかったですね。わたしは平和をまもるとめに、友だちと、なかよく、するようにします」。子どもたちの心に何かが残ると期待しています。
★②傾聴ボランチアの女性がきた。1時間、しゃべりました。女性は聴くだけです。時折、言葉を繰り返す。話をしているうちに、自分のアタマの中が、何やら整理されて行くのを感じた。もう女性が来るようになって、5回目です。島原半島の町から、バスに乗って、諫早でバスに乗り継いで、わざわざ来てくれるのです。奉仕です。全く感心します。月に1度ですが、最近は待つようになりました。
★③元日のエリザベットさんから携帯に電話があった。娘さんと2人で、個人で、ポーランド旅行へ行ってきた。クラクフでは、コンラードさんのお世話になった。アウシュヴィッツでは、日本人の案内人、中谷さんの詳しい説明を受けた。小崎さんのことも知っていた。「トマさんのことば」を中谷さんに差し上げたので、代わりに本を送ってください。ニエポカラヌフ修道院も巡礼した。いい旅ができましたね。写真を数枚送ってください。
2017年7月3日月曜日
ステント入れ換えの苦難。これなくして生きられない
病院はイヤだね。右の腎臓を結核で摘出して、70年近く、左の腎臓だけで生きてきた。その左の腎臓も結核に侵されて、死に目にあった。助けてくれたのは看護師のシスターだった。「せっかくなら最後まで診てくれよ」と言いたいよ。
★残る左の腎臓から、ボウコウまで1本のクダ・ステントが入っている。そのお陰で尿が出て、生きているわけです。祈りも出来るし、食事も、入浴も、笑いも出来るし、パソコン日記も書ける。ただ残念なのは、6ヶ月毎にステントを入れ換えなくては、ならない。苦悩があるわけです。シスターに言いたい。「最後まで、腎臓、診てくれよ」
★今日、予約の病院へ行った。高原修道士さんが運転して、付き添った。ステント入れ換えのため、日にちを決めた。その日にちは、ここには書きたくない。弱気になるな。「ああ、シンドイよ」。出るは、ため息ばかりです。後、半年は頑張りたい。すると90になる。区切りがいいじゃありませんか。そこまで生きれば、もう幕を引いてもいいでしょう。
★生きているのを感謝しよう。多くの友人たちは早々と天に召された。生きているのは、どんな状態であれ、幸いです。喜びです。わが身に、そのように説教しております。
★残る左の腎臓から、ボウコウまで1本のクダ・ステントが入っている。そのお陰で尿が出て、生きているわけです。祈りも出来るし、食事も、入浴も、笑いも出来るし、パソコン日記も書ける。ただ残念なのは、6ヶ月毎にステントを入れ換えなくては、ならない。苦悩があるわけです。シスターに言いたい。「最後まで、腎臓、診てくれよ」
★今日、予約の病院へ行った。高原修道士さんが運転して、付き添った。ステント入れ換えのため、日にちを決めた。その日にちは、ここには書きたくない。弱気になるな。「ああ、シンドイよ」。出るは、ため息ばかりです。後、半年は頑張りたい。すると90になる。区切りがいいじゃありませんか。そこまで生きれば、もう幕を引いてもいいでしょう。
★生きているのを感謝しよう。多くの友人たちは早々と天に召された。生きているのは、どんな状態であれ、幸いです。喜びです。わが身に、そのように説教しております。
2017年7月2日日曜日
森の中のお店。癒しの里。美紀さんのお店を訪問
人生には、夢がある。「こう、したい」「ああ、したい」。夢を実現するのは、困難もあるが、叶えば更に希望と夢は広がる。以前、聖コルベ館に勤めていた納富美紀さんが、山の中に木造、古風なお店を開いている。
★美紀さんは聖コルベ館に居たとき、来館者たちが彼女の応対に心を開いて、悩み事や、困難を打ち明けていた。美紀さんも、それに応じて相談に乗って、慰めを与えていた。美紀さんを慕って、訪れる人がいたのです。「その延長なんです、この店は」と美紀さんは言った。1度は訪ねたい所だったが、今日、お店を訪ねることが出来た。
★長崎の白浜さんがホームに来たので、頼み込んで、美紀さんのお店に車で連れて行ってもらった。国道から、少し山道に入ると、木々の茂る林か、森か、とにかく山があった。9軒のお店が固まって点在している。森の中にある木造りの建物ばかりだから、静かで、気持ちが落ち着いた。車が次々に入ってくる。
★美紀さんのお店は「ひつじのじかん」という。軒下に、フィンランドの旗が下がっていた。美紀さんのお店に入ると、美紀さんは、びっくり。非常に喜んで迎えてくれた。特性の紅茶を飲ませてくれる。店内には、ロザリオ、マリア像、手製のバッグ、サイフなど、多様な品が置かれている。中でも目を引くのがフインランドの食器類がだった。日曜日は、カップルや家族連れが多いが、平日は、美紀さんの話を聞く人が時間をかけて長居するという。美紀さんの顔はイキイキとしていた。彼女には、人の心を包みこむ優しさ、人を慰め、癒すオーラがある。ここは平安の里でもある。
★美紀さんは聖コルベ館に居たとき、来館者たちが彼女の応対に心を開いて、悩み事や、困難を打ち明けていた。美紀さんも、それに応じて相談に乗って、慰めを与えていた。美紀さんを慕って、訪れる人がいたのです。「その延長なんです、この店は」と美紀さんは言った。1度は訪ねたい所だったが、今日、お店を訪ねることが出来た。
2017年7月1日土曜日
7月。いきなり誕生会。踊れ、踊らにゃソン。愉快
★会食が始まると、恒例の出し物が出現する。「今日の出し物は何ですか?」。先ずは炭鉱節を踊った。写真の右。次に、クチに何やら三角コップをつけて、手に羽をつけて、踊り始めた。「スズメの踊りだよ」「電線にとまったスズメ」などの声が聞こえた。突然、現われ、急に踊りだすので、こちらのアタマが付いてはいけない。ただ面白いのは確かです。みなさんは拍手したり、笑ったり、愉快なひと時になった。「モッテ、コーイ」の声もかかった。この後、のど自慢があって誕生会を終わりました。職員の皆さん、ご苦労さまでした。みんなは、この日を楽しみにしているのは確かです。
2017年6月30日金曜日
長崎・聖コルベ館へ。大学院生はゼノさんに憧れる
いつも聖コルベ館へ来館者があると、必ず一緒に、この場所、聖コルベの聖絵の前で写真を撮っていました。その時は、修道服を着ていました。今日は、3年ぶりに、この場所で、1人の大学院生と写真を撮りました。懐かしい場所ですよ。
★この青年、1度、ホームに面会に来た。福祉のこと、ゼノ修道士の奉仕のこと、修士論文に書きたいという。「それなら聖コルベ館に写真や遺品がある。教えてあげます」
★青年はホームまで連れに来ました。車に一緒に乗って聖コルベ館へ。途中、お弁当を買った。聖コルベ館の奥の部屋に、資料室がある。ここにはゼノさんのカバン、靴、お礼の手紙、衣類、集めた名刺が大きな箱に7つほど保存されている。ゼノさんの声が入ったテープもある。久しぶりにゼノさんの声も聞きました。「ああ、あの声、そうです、やさしいゼノさんの声」。ゼノさんは戦争中は、憲兵隊や特攻警察から、迫害を受けた。それでも恨みには思わない。終戦になって、兵隊や警察が謝りに来た。ゼノさんたちは彼らを許して、それ以上に、戦災孤児、原爆孤児を率先して助けた。日本人からイジメられたのに、助けの手を差し伸べた。キリストの愛ですよ。この小さな者に一杯の水を飲ませる者は神の恵みを受ける。その精神で貫いた。ゼノさんたちの行動には迷いが全く無かった。偉いことです。
★ひさしぶりにポーランド人修道者や、ゼノ修道士を偲び、温かい心になって、3時間ほど聖コルベ館に居て、ホームに帰ったのは、午後3時過ぎでした。
★頑張れ、若者よ、ゼノさんの福祉の心を論文にまちめたい気持ち、希少じゃないですか。応援したくなります。ゼノ修道士を復活させるなら、応援しますよ。惜しまない。
★この青年、1度、ホームに面会に来た。福祉のこと、ゼノ修道士の奉仕のこと、修士論文に書きたいという。「それなら聖コルベ館に写真や遺品がある。教えてあげます」
★青年はホームまで連れに来ました。車に一緒に乗って聖コルベ館へ。途中、お弁当を買った。聖コルベ館の奥の部屋に、資料室がある。ここにはゼノさんのカバン、靴、お礼の手紙、衣類、集めた名刺が大きな箱に7つほど保存されている。ゼノさんの声が入ったテープもある。久しぶりにゼノさんの声も聞きました。「ああ、あの声、そうです、やさしいゼノさんの声」。ゼノさんは戦争中は、憲兵隊や特攻警察から、迫害を受けた。それでも恨みには思わない。終戦になって、兵隊や警察が謝りに来た。ゼノさんたちは彼らを許して、それ以上に、戦災孤児、原爆孤児を率先して助けた。日本人からイジメられたのに、助けの手を差し伸べた。キリストの愛ですよ。この小さな者に一杯の水を飲ませる者は神の恵みを受ける。その精神で貫いた。ゼノさんたちの行動には迷いが全く無かった。偉いことです。
★ひさしぶりにポーランド人修道者や、ゼノ修道士を偲び、温かい心になって、3時間ほど聖コルベ館に居て、ホームに帰ったのは、午後3時過ぎでした。
★頑張れ、若者よ、ゼノさんの福祉の心を論文にまちめたい気持ち、希少じゃないですか。応援したくなります。ゼノ修道士を復活させるなら、応援しますよ。惜しまない。
2017年6月29日木曜日
聖ペトロ・パウロの祭日。瀧神父さまのお祝い日
聖ペトロ・パウロ使徒の祭日。ペトロ瀧憲志神父さまの修道名のお祝い日です。ペトロ瀧神父さまは、ホームで暮らしています。
★ホームに瀧神父さまが入居したことで、ホームの雰囲気も良くなりました。優しい神父さまです。今朝は、ミサで、力強い声で司式を努めました。杖をついて、ゆっくりと歩けます。自分の足で歩ける機能が残っているのが何よりのお恵みです。毎日、共同のロザリオにも参加されます。祈りが、仕事、生活です。
★ペトロ瀧神父さまは、昭和6年5月生まれ、86歳になられます。入所は、今年の4月5日でした。「憲志」(けん・し)。どうして、こんな名前になったのですか?お父さんが、憲輔(けんすけ)、祖父が、憲章。それで、憲を受け継いだ。
★昨夜は、修道会の者たちが集って、外食で、瀧神父さまの修道名を祝いました。集ったのは湯江修道院の4人と、小長井修道院の2人、それに私と、瀧神父さまです。司祭4人と修道士4人でした。
★瀧神父さまは鹿児島県奄美の喜界島の出身です。高校生を終わってから、コンベンツアル・フランシスコ修道会に入会しました。アシジの聖フランシスコ修道院に勤めた時期もあります。
★人は誰でも老いる。老いた後、いかに生きるか。介護の問題は深刻です。私は、老い行く滝神父さまに、よくよく勧めました。「もし、将来、ホームに入る意思があるなら、まだ歩けるうちに早めに入った方がいいです。車椅子になって入るのは、環境も理解できず、困難があります」。神父さまも体力の限界を体感したのでしょう。その勧めに従って、早めに入居された。よかったと思います。日々、安らかな生活を送っておられます。食卓は、9人のテーブルです。隣が西山神父さまの席です。
★今夜は、ホームの男性(カトリックでない)が、「瀧神父さまのお祝いをしよう」と積極的に声かけがあった。入江さん、私、全部で6人で出かけます。食事処の車が迎えに来ます。
★このところ、毎日、食べることで忙しいよ。
★ホームに瀧神父さまが入居したことで、ホームの雰囲気も良くなりました。優しい神父さまです。今朝は、ミサで、力強い声で司式を努めました。杖をついて、ゆっくりと歩けます。自分の足で歩ける機能が残っているのが何よりのお恵みです。毎日、共同のロザリオにも参加されます。祈りが、仕事、生活です。
★ペトロ瀧神父さまは、昭和6年5月生まれ、86歳になられます。入所は、今年の4月5日でした。「憲志」(けん・し)。どうして、こんな名前になったのですか?お父さんが、憲輔(けんすけ)、祖父が、憲章。それで、憲を受け継いだ。
★昨夜は、修道会の者たちが集って、外食で、瀧神父さまの修道名を祝いました。集ったのは湯江修道院の4人と、小長井修道院の2人、それに私と、瀧神父さまです。司祭4人と修道士4人でした。
★瀧神父さまは鹿児島県奄美の喜界島の出身です。高校生を終わってから、コンベンツアル・フランシスコ修道会に入会しました。アシジの聖フランシスコ修道院に勤めた時期もあります。
★人は誰でも老いる。老いた後、いかに生きるか。介護の問題は深刻です。私は、老い行く滝神父さまに、よくよく勧めました。「もし、将来、ホームに入る意思があるなら、まだ歩けるうちに早めに入った方がいいです。車椅子になって入るのは、環境も理解できず、困難があります」。神父さまも体力の限界を体感したのでしょう。その勧めに従って、早めに入居された。よかったと思います。日々、安らかな生活を送っておられます。食卓は、9人のテーブルです。隣が西山神父さまの席です。
★今夜は、ホームの男性(カトリックでない)が、「瀧神父さまのお祝いをしよう」と積極的に声かけがあった。入江さん、私、全部で6人で出かけます。食事処の車が迎えに来ます。
★このところ、毎日、食べることで忙しいよ。
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