2016年11月30日水曜日

楽しみの「日帰り旅行」。笑った、唄った、愛がある

小型のバスは、朝食の後、ホームを出発しました。20人が乗っていました。動き出してから、胸中に、ムラ、ムラと、かつて「長崎オラショの旅」の一行を連れて、案内して廻っていた頃のことが、思い浮かびました。
★案内する者、ガイドですよ。ホームから、雲仙の山に登って、宿に着くまで、1時間30分はかかる。その間、車内を如何に賑やかにするか。女性職員の宝崎さんが見事なガイドを努めました。説明あり、歌あり、クイズあり、ホームの職員さんも大変ですよ。感心しました。
★雲仙の山は、ごらんの通り、紅葉は見られません。右側、上の写真は、右から、入江さん、私、岩田事務長・運転さん、キリエさんです。
★雲仙温泉は、小地獄の方です。食事処は、国民宿舎の青雲荘です。案内された部屋が「さざんか」の間でした。先ずは、温泉に入りました。白く濁った、流れぱなしの湯です。「熱ッーい」。43度あるそうです。でも、温泉は気持ちが良かったなァ。生き返りました。
★お湯の後は、食事です。豪華な和食を楽しみ頂いた。
★その後が、カラオケです。男性職員の青木さん、園長神父さまも歌って、盛り上げました。杖をついて、腰がまがった女性も、好きな歌を思う存分、唄いました。手拍子に、笑いに、「これが、ホームのニンゲンかよ。普通の人ジャン」。あたりまえさ。普通の、おじさん、おばさん、たい。
★帰りの車中でも、宝崎さんのガイドで、青木さんと「ジャンケン、ポン」あり、勝った者には賞品もあった。
★最後は、入江さんの提案で、「11月、死者の月も終わるので、亡くなった人のため、ロザリオを祈りましょう」と呼びかけると、皆さんは賛成して、女性の1人がマイクで先唱して、お祈りで、今日の楽しみに感謝しながら、すばらしい「日帰り旅行」を終えたのでした。本当に、ヨカ・旅でした。

2016年11月29日火曜日

明日の楽しみ。雲仙へ、日帰り旅行へ出かけます

いきなり、春の「つつじ」の写真を出して、すみません。
★ここは島原半島の雲仙温泉の山です。去年の春の写真で、仲良しの入江さんと楽しく写しました。シャッターを押してくれたのが、高原修道士さん。3人で、登ったときで、1年半まえになります。
★さて、明日は、ホームの行事で、雲仙温泉へ「日帰り旅行」に出かける予定です。
★普通、「ドライブ」というのは、午後から出かけるのですが、「旅行」が付くと、同じバスに乗って行っても、午前の出発で、お昼には、宿でくつろぎ、豪華な食事がいただけるのです。そこが楽しみも違うわけです。
★もちろん、いまどき、雲仙に「つつじ」はないでしょう。紅葉の残りが少し見れるかも、と思っています。以前は、小中学生たちを引率して、旅行をした身分だったが、今は連れられて行く境遇になった。それでも、抵抗は感じないで、子どものような気持ちになって、楽しみにしております。ゲンキがあれば、老いても、どこへでも行ける。いいですね。
★今朝は、朝の祈りのとき、「今日は、全フランシスカン家族の諸聖人の祝日です」といわれて、祈りました。アシジの聖フランシスコの名前をいただいている修道会は幾つもあります。全フランシスカン家族といいます。それらの諸聖人のお祝いです。
★ミサのなかで、司祭4人、修道士3人は、祭壇の前に並んで、「誓願を更新する誓い文」を読み上げ、誓いを新たにしました。老人になろうとも、現場を離れても、任務がなくても、最後まで修道士であるのを忘れてはならぬ。厳粛に、誓いました。
★「魂の平和や、澄みわたる良心のほかに、何も必要ではない。そこに聖性のしるしがある」と、ポーランドから来られた司祭の言葉を、かみ締めております。

2016年11月28日月曜日

映画「大いなる沈黙の修道院」のDVDが手元に届く

新聞の広告(左)で、一冊の本が目についたのが、7月31日でした。
★「この本は、読みたい」と、日記に載せると、「元日のエリザベット」さんが、早速、8月8日に、本を送ってくれた。
★ゆっくりと、日にちをかけて、読み終わったのが、10月20日でした。この本に出ている厳しい沈黙の修道院が映画になって上映されている。もちろん私は見ていない。「ぜひ、見たい」と日記に書いたら、エリザベットさんから、「11月末に、日本でも発売になるそうです」とコメントがあった。
★エリザベットさんに頼んでおいたら、そのDVDが、昨日、届いたのです。映画「大いなる沈黙」の修道院のDVDです。私は喜んで、感謝の携帯をエリザベットさんに掛けました。30分は話したでしょう。
★DVDは、2本あり、本編は、2時間48分39秒と長編です。最初から、最後まで、通して見たいと観念しました。
★今日は、午前中、覚悟して、DVDを観賞しました。ふしぎな映画です。音楽なし、ナレーションなし、ただ、鐘の音と、足音と、祈りの歌があるのみです。修道士の耳が、よく出ているのに気付きました。神の声を聞くというのでしょうか。やっと見終わって、この現実にある、厳しい修道院の生活に何を感じたか、といえば複雑な気持ちです。
★最後に、目が不自由な修道士の言葉があった。「前略・・・基本は常に神は限りなく善だということ。すべては我々の幸せのためだ。だからキリスト者は悲しむ必要なんかない。起こることは、すべて神が望まれることで、魂をよくするために起こることだ。それが我々にとって最も大事なことだ。神は限りなく善で、我々を助けてくださる」
★午後からは、最も気が重くなる、諫早総合病院・泌尿器科へ予約の診察に行った。高原修道士さんが付き添ってくれた。

2016年11月27日日曜日

言行一致の人、これは中々、難しい。聖人の印し

修道会の集いのとき、写しました。うどん屋の今井君と、真ん中は、中一の小神学生です。
★今井君は、長崎での修練も終盤に差し掛かり、ますます修得に励んでいます。応援してあげて下さい。
★今井君の英語力には感心しました。修道者一同がホールに集り、ポーランドから来られた神父さまのお話を聞いたとき、英語でした。「質問がある人は・・・?」と求められると、今井君が立って、英語で、ぺラ、ぺラと、質問していました。「彼は、やる、な」。そう、思った。問いは、「数か、質か、の問題」です。今は更に、修練長神父さまから、イタリア語を学んでいる。若いうちに、勉強するのを勧めた次第です。うどん屋だったが、彼には新たな未来が、開けるなァ。
★集まりのときに、「コルベ神父は、どんな人だったか」の話しが出た。一人の司祭が、こんな話をした。「コルベ神父さまと生活を共にしたゼノ修道士さんに、『コルベ神父さまは聖人でしたか?』と聞いたことがあった。ゼノさんは、しばらく黙って、首を少し傾けて、言った。『コルベ神父さまは、言うこと、行なうこと、いっしょ、でした』」。言行一致でしょう。これは中々、出来ないことです。平凡でない印しです。心に残りました。

2016年11月26日土曜日

聖コルベの身代わりの日は、7月29日です

今回の、修道会管区の集いに、ポーランドからアンデレ・スイカ神父さま(写真・右)が来日されて、長崎で講話を行なった。そのなかに、こういうお話があった。
★今年、ポーランドで開催された「ワールド・ユース・デー」で、7月29日に、ニエポカラヌフで、16か国の若い人のために、48人の司祭が共同ミサを捧げました。朗読は、コロンビアの少女が読み、詩篇を台湾の18歳の男性が歌いました。
★同じ、7月29日、この日は、聖コルベが、アウシュヴィッツ強制収容所に於いて、見知らぬ男性のために、自分の命を捧げる決意をして、餓死牢に入った日です。教皇フランシスコさまは、餓死牢の前の木の下に座って、祈りに満ちた静かなひと時を過ごされました。
★私は、感じることがあった。それは日にちです。身代わりの愛を申し出た日は、7月29日と申された。実は、私も、その日は、いつだったのか調べたことがあったのです。
★コルベ神父さまが身代わりを申し出た日は、定かではなく、「7月の終わり頃か、8月の初め頃」と伝えられていた。はっきり、しなかったのです。
★1993年7月、5度目にポーランドを訪れたとき、アウシュヴィッツ強制収容所の事務所で、記録書を調べた。907ページに及ぶ大書物「KALENDARZ・WYDARZEN・W・KL・AUSCHWITZ」で、次のように記されていた。所長フリッチは、ヘス(司令官)が居ない日だったので、逃亡者のかわりに10人を死刑に選んだ。そのとき、ポーランドの神父、フランシスコ会のコルベ(No・16670)は、フリッチに「私を死のグループに入れて下さい」と頼んだ。家族の将来を心配する人=フランチシェク・ガヨヴィ二チック(No・5659)=のために代わります。

2016年11月25日金曜日

沖縄の司教さま。おひさしぶり。忘れないよ

今度の修道会の集会に、沖縄の押川司教さまが出席され、お祝いのミサを司式されました。チカラ強いお説教も、心に伝わりました。「クワを手にして、後を振り返っては、いけない」
★ミサ後の会食のとき、司教さまに近づき、「トマ、です」と挨拶した。もちろん覚えてくださっており、ポーズもとっての・・・写真が、これです。
★聖コルベ館に居た頃は、毎年、正月休みは沖縄で過ごしていた。2年前の正月も、そうだった。沖縄に着いて、連絡すると、「司祭たちの新年会があるから、来なさい」と誘いがあった。
★押川司教さまの居られる教会は立派で、屋根や造りも沖縄らしく、すぐに分かる。1つ、小さな思い出がある。坂を登ると、マリア像があり、像の前で、ファスナーの付いた小袋を見つけたのです。「あれ、なんやろーう、な?」と開けると、生まれたばかりの子犬だった。「教会の人が助けてくれる、と思って置いたのだろう」
★昼食会が始まった。沖縄で宣教する司祭と、助祭が4人、合わせて20人ほどが居て、司教さまとの会食は楽しかった。捨て子の小イヌが話題になり、小イヌを見て、ベトナム人の神父さまが、「かわいい、飼います」と、引き取って解決した。
★犬といえば、もう1ピキ、教会へ入ろうとすると、小さな犬が、チョロ、チョロ、出てきて、足元に親しく寄って来る。毛が、ムジャ、ムジャした、なんという犬種か分からない。じーっと、こちらを見ては、聖堂へと誘うのだった。犬は、聖堂内部を、巡回していて、司教さまから可愛がられている。司教さまに甘えている犬だった。「名前は、なんですか?」と聞くと、「ピカ・・・」「ピカって、それ、アシジの聖フランシスコのお母さんのお名前でしょう?」。リッパな名前をもらって、光栄だよ・・・と、思った。
★司教さまに、「あの、ピカちゃん、ゲンキですか?」と聞くのを忘れた。

2016年11月24日木曜日

「オー、会えたぞ」。背丈も一緒、心も一緒だよ

修道会のなかで、一番の親友が、ペトロ・イシトーク神父さんです。昨日、長崎の聖コルベ館に着いたとき、玄関で、待っていたかのように、真っ先に出会ったのが、この背の低いペトロ神父さんでした。「やーァ、ペトロ・・・なつかしい」「おゲンキ、トマさん」。2人は抱き合って、喜び合った。
★背丈が、いっしょ、というのが、いいね。歳は違うけど、心もいっしょ、だよ。7年前の秋に、突然、ルーマニアからやってきた。あのときは、本当に、ビックリしたな。「オレと、同んなじだ。かわいい神父や、な」
★ニッポンはどういう国か、見に来たのだった。そのときから、仲良くなった。次の年の秋にも、また、やってきた。デジカメをプレゼントして、和食をごちそうした。心の優しい、えんりょがちな神父さんだった。
★1年置いて、3度目に来日。本人は日本で働きたいと、修道会の管区本部にお世話になった。先ずは、日本語の勉強から始まる。これが、なかなか進まず、まだ、まだ、ボチ、ボチ、らしい。
★日本語をしゃべらなくても、ボクたち、2人一緒に居るだけで、心がなごみます。私が聖コルベ館に居た2年前まで、私は手描きの色紙を描いて、そこから得たお金を郵便局からユーロに変えて、ルーマニアのペトロ神父さまの弟や妹の家族に何度か送金して、喜ばれたご縁もある。ますます神父さんとの仲が良くなっている。
★私の唯一の望みは、ペトロ神父さんと2人で、ルーマニアの教会を巡礼することだった。ボクと2人で並んで歩く姿を、ルーマニア人に見せたかったのです。望みが叶わず、残念です。
★ペトロよ。コマカク(小さく)ても、がんばろうよ。「人は、目で、見る。神は、心で、見る」。カラダは、小さくても、生きる価値の問題だ。規格外でも、愛のある、優しい表現で、すばらしい活躍をするならば、リッパじゃ、ないか。
★「他人と比べるな。自分らしく、生きよ。それで足れ」