ホームの食堂です。何十人の男性・女性が、ここで一緒に食事をしているか、数えたことはない。わたしの席は、右側の、洗い場近くになります。席の、右となりが、入江さん。左の隣には、五島出身の女性が、2人。一緒に、祈りの声をあげて、十字を切って、食事をしている。
★前にも書いたが、数年前、ホームに入っていた先輩・修道士を見舞い、この食堂で彼を見たとき、「ああ、自分は、とても、ここでは、生活できないなァ」と雰囲気から感じていた。
★それが、そのまま我がジンセイになろうとは・・・。人の世の流れは、わからないものですね。幸い、覚悟もあり、2年も経てば、もう抵抗はなくなりました。仲良く、食事に溶け込んでおります。
★きょうで、10月は終わりです。職員さんが朝食のときに告げた。「きょう、昼食から、席かえをします」。みんなは、ザワザワ、なるわね。どこへ行こうか。でも、思いのままには、いきません。先ず、車椅子の人や、食事に手がかかる人の席が優先的に決められる。長年の智恵でしょう。「後は、ご自由に、思いの席に」
★入江さんが、「おまえと、オレは、いっしょだ」という。更に、入江さんが、キリエさんに、「あんたは、いっしょに、風呂にはいっているから、いっしょに、な」と念を押す。こんな、ところの、運び具合がオモシロイ。
★わたしは、ガラス戸・側の明るいところが、いいな。右手には、朝の牛乳を温めるレンジもある。便利です。そして、昼食になった。思い思いに、目当ての席に散ったわけです。
★結局、おさまってみれば、わたしの右となりは、入江さん、キリエさん。左側には、今まで通りの五島の女性2人が席に収まった。こんな、ホットした、一日でした。キリエさんは、前に居たときの席と一緒でした。
★それに午前中は、理髪屋さんが、親さん、夫妻さん、3人で来られて、20人近くのサンパツをしてくれた。気持ちも、すっきり、なったよ。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2016年10月31日月曜日
2016年10月30日日曜日
イエスが呼んでいるよ。何をすべきか、わかるのが信仰
長崎の聖母の騎士では、5月の最後の日曜日は、「ルルド祭り」、10月の最後の日曜日は、「ロザリオ祭り」が行なわれる。ホームからも、必ず、参加して、祈っています。
★きょうは、ロザリオ祭りでした。園長神父さま初め、10数人が参加しました。ミサの司式とお説教は、院長の赤尾神父さまでした。大きな声で、歌いながら祈り、「キリエ」も「グロリア」もラテン語で歌いました。
★お説教では、きょうのミサの福音、ルカの「ザアカイ」のところが語られました。ザアカイが、背が低かったので、イエスを見るのを、先まわりして、木に登っていた。「ザアカイよ、おりて来なさい」と、イエスから声をかけられる。イエスから名前を呼ばれた。イエスが呼んだ。気づかれないように木に登っていたのに、名前を呼ばれた・・・これが信仰ではないか、と心にビビっときた。イエスは「あなたの家に泊まる」と言っただけなのに、ザアカイは、「わたしは、これから、これを、します」と、方向性を理解した。呼ばれたら、自分が何をしなければ、ならぬか、わかる。それが信仰。
★そして、イエスは「神を愛しなさい。隣人を愛しなさい」と言ったが、隣人への愛のなかに、イエスを見つけなさい。人を愛する真意は、そこにある・・・と、お説教のなかで感じた次第でした。
★ミサの後、ロザリオを唱えつつ、ルルドへ登った。ホームの人たちは、足が弱く、登れる者は居なかった。園長神父さまが、登った。「ルルドのマリアさまは見たいが、もう足が進まない。申し訳ありません」。そう祈りつつ、お水だけ飲みました。
★昼食は、学園の食堂で、いなり寿司、五島うどんを食べました。210円でした。
★きょうは、ロザリオ祭りでした。園長神父さま初め、10数人が参加しました。ミサの司式とお説教は、院長の赤尾神父さまでした。大きな声で、歌いながら祈り、「キリエ」も「グロリア」もラテン語で歌いました。
★そして、イエスは「神を愛しなさい。隣人を愛しなさい」と言ったが、隣人への愛のなかに、イエスを見つけなさい。人を愛する真意は、そこにある・・・と、お説教のなかで感じた次第でした。
★ミサの後、ロザリオを唱えつつ、ルルドへ登った。ホームの人たちは、足が弱く、登れる者は居なかった。園長神父さまが、登った。「ルルドのマリアさまは見たいが、もう足が進まない。申し訳ありません」。そう祈りつつ、お水だけ飲みました。
★昼食は、学園の食堂で、いなり寿司、五島うどんを食べました。210円でした。
2016年10月29日土曜日
長崎の千草さんの言葉。身に沁みて、そうなんだ
長崎の千草さんが来た。彼女が言った言葉です。
★小崎さんには、お母さんの存在をものすごく感じるのよ。お母さんが、将来、困らないように、ルルドに度々お参りして、熱心に祈った。自分は女性だから、修道院(男子)の中に入れないけど、この子は頼みます。原爆に遭って、お母さんは亡くなったけど、すぐに聖母の騎士に入った。
★コルベ神父さまには会わないけれど、コルベ神父の伝記を書くことによって、小崎さんの役目があったのです。
★病気も、いろいろ。カリエス、結核、腎臓一つでも、何十年も生き延びた。小崎さんには、助ける人がいた。いろんな人から助けられた。人は、一人では生きられないのよ。
★小崎さんが、腎臓に結石が溜(た)まって、全身麻酔で手術したとき、無意識のなかで、「コルベ、コルベ、コルベ」と叫んで、びっくりしたのよ。小崎さん、その時の体験を聖母の騎士誌に書いたでしょう。わたし、持っていますよ。(2012年6月号「みむねのままに春」だった)
★あの時、40度の熱が出て、大変な苦しみだった。からだを拭いて、背中を拭いてあげたとき、からだの傷跡を見て、幾つものキズに、びっくりした。しかしキズがあっても、背中に温かいものを感じたんです。
★からだが温かい。背中に、お母さんを感じました。この子を守ります。死んでも守ります。小崎さんにはお母さんが付いている、それを、すごく感じますよ。
★病気したことで、司祭への道を断られた。普通の人なら、途中でやめたかも知れない。わたしは小崎さんは司祭にならずに、良かったと思っている。修道士で、ポーランドにも10回も行って、(千草さんも巡礼団に入って参加した)、沢山の本や記事を書いて、コンベンツアル(と、彼女が言ったのには、ちょっと、びっくりした)の一員として、つづけて勤めているでしょう。
★お母さんが、縁を結んでくれた。見守っています。背負ったものがある。
★それで、わたしの願いなんだけれど、一週間に一度でも、いいから、聖コルベ館に、車椅子でもいいから勤めて、居ってくれたら、小崎さんに会いにくる人もいる。最期まで、聖母の騎士に居てほしい、それが願いです。出来ないでしょうか。
★千草さんは、これだけ長々と話して、赤い袋を渡して帰った。
★袋の中には、パックに入った歯磨きセット、3個と、キャラメル、2個、それに、小さなクマさんのぬいぐるみ(手と足が動く)が入っていた。「毎月、歯ブラシは変えてね」
★小崎さんには、お母さんの存在をものすごく感じるのよ。お母さんが、将来、困らないように、ルルドに度々お参りして、熱心に祈った。自分は女性だから、修道院(男子)の中に入れないけど、この子は頼みます。原爆に遭って、お母さんは亡くなったけど、すぐに聖母の騎士に入った。
★コルベ神父さまには会わないけれど、コルベ神父の伝記を書くことによって、小崎さんの役目があったのです。
★病気も、いろいろ。カリエス、結核、腎臓一つでも、何十年も生き延びた。小崎さんには、助ける人がいた。いろんな人から助けられた。人は、一人では生きられないのよ。
★小崎さんが、腎臓に結石が溜(た)まって、全身麻酔で手術したとき、無意識のなかで、「コルベ、コルベ、コルベ」と叫んで、びっくりしたのよ。小崎さん、その時の体験を聖母の騎士誌に書いたでしょう。わたし、持っていますよ。(2012年6月号「みむねのままに春」だった)
★あの時、40度の熱が出て、大変な苦しみだった。からだを拭いて、背中を拭いてあげたとき、からだの傷跡を見て、幾つものキズに、びっくりした。しかしキズがあっても、背中に温かいものを感じたんです。
★からだが温かい。背中に、お母さんを感じました。この子を守ります。死んでも守ります。小崎さんにはお母さんが付いている、それを、すごく感じますよ。
★病気したことで、司祭への道を断られた。普通の人なら、途中でやめたかも知れない。わたしは小崎さんは司祭にならずに、良かったと思っている。修道士で、ポーランドにも10回も行って、(千草さんも巡礼団に入って参加した)、沢山の本や記事を書いて、コンベンツアル(と、彼女が言ったのには、ちょっと、びっくりした)の一員として、つづけて勤めているでしょう。
★お母さんが、縁を結んでくれた。見守っています。背負ったものがある。
★それで、わたしの願いなんだけれど、一週間に一度でも、いいから、聖コルベ館に、車椅子でもいいから勤めて、居ってくれたら、小崎さんに会いにくる人もいる。最期まで、聖母の騎士に居てほしい、それが願いです。出来ないでしょうか。
★千草さんは、これだけ長々と話して、赤い袋を渡して帰った。
★袋の中には、パックに入った歯磨きセット、3個と、キャラメル、2個、それに、小さなクマさんのぬいぐるみ(手と足が動く)が入っていた。「毎月、歯ブラシは変えてね」
2016年10月28日金曜日
一枚のハガキでも、心は癒される。通じる何かがある
廊下の窓から見える朝の太陽。ミサが終わったときの時間に、見事な太陽が登るのは、この時期です。これから太陽は右手に移動して、時間的にも陽の登るのは見えなくなる。
★「一日、今日も、戴きました。ありがたいです。生かされているのを感じます。それだけで、いいじゃ、ありませんか。この歳になって何を望むのですか」
★誰か、わからないが、一枚のハガキが届いた。「日記の記事に、コスモスのことが書いてありました。つい先日、購入したハガキに、コスモスの絵があったので、このお便りを書いてみたくなりました。お身体の面で、辛いことも、おありかと思いますが、様ざまな楽しい出来事が小崎さんを待っていてくれますように」。一読者、とあった。ひと言なのに、心が癒される。ハガキは、ウラも、オモテも、沢山のコスモスが揺れていた。
★先日、ホームに小学生たちが交流の慰問にきた。そのとき、子どもの一人が、「手品に使うので、この紙に、何でも、いいから、絵を描いてください」と頼んだ。わたしは、ちゅうちょなく、コスモスを2つ描いて、左手に、山を書いて、光る太陽を書いた。コスモスは、その太陽に向かって、枝をまげて、なびいている絵だった。先生が、「あら、まあ、じょうず」と感心していたよ。だが哀れ、手品だから、その絵は、クルクル丸められ、シワくちゃになった。「ヒカリに向かって、君たちも、かがやけ」と、字までかいたのに、あれは、ちょっと、心が痛んだな。
★「一日、今日も、戴きました。ありがたいです。生かされているのを感じます。それだけで、いいじゃ、ありませんか。この歳になって何を望むのですか」
★誰か、わからないが、一枚のハガキが届いた。「日記の記事に、コスモスのことが書いてありました。つい先日、購入したハガキに、コスモスの絵があったので、このお便りを書いてみたくなりました。お身体の面で、辛いことも、おありかと思いますが、様ざまな楽しい出来事が小崎さんを待っていてくれますように」。一読者、とあった。ひと言なのに、心が癒される。ハガキは、ウラも、オモテも、沢山のコスモスが揺れていた。
★先日、ホームに小学生たちが交流の慰問にきた。そのとき、子どもの一人が、「手品に使うので、この紙に、何でも、いいから、絵を描いてください」と頼んだ。わたしは、ちゅうちょなく、コスモスを2つ描いて、左手に、山を書いて、光る太陽を書いた。コスモスは、その太陽に向かって、枝をまげて、なびいている絵だった。先生が、「あら、まあ、じょうず」と感心していたよ。だが哀れ、手品だから、その絵は、クルクル丸められ、シワくちゃになった。「ヒカリに向かって、君たちも、かがやけ」と、字までかいたのに、あれは、ちょっと、心が痛んだな。
2016年10月27日木曜日
トマさんの日記で、西山神父さまの見舞いに来ました
午後からのロザリオが終わると、後ろの席に、大きなカラダの見知らぬ男性がいた。私に出会うと、「小崎さん、ですか?」「ハイ、そうです。あなたは・・・?」と連れ出し、隣の部屋で聞いた。
★昔から、小崎さんを知っているという。でも、お会いするのは初めてです。小崎さんの本も、何冊も読みました。1年ほど前、ブログ(日記)を見るようになり、日記で、西山神父さまが、こちらのホームに居られるのを知りました。
★西山神父さまは、私の恩人です。自分が高校生のとき、ローマへ旅行したが、ローマに居られた西山神父さまに大変お世話になり、それからも度々お世話になっています。兵庫県から、神父さまに面会に来ました、という。
★コルベ神父が聖人になった頃、高校生だったとき、洗礼を受けた。霊名は「コルベ」です。「それは、よかった」
★私の知らないところで、こうして日記を読んでくれて、わざわざ恩人の神父さまを見舞いに来てくれる、そういうこともあるんだなァと、今日の日の出会いを感謝した次第です。
★お仕事は、お茶の販売をされているそうで、台湾に、日本のお茶を売る店があり、台湾のお茶を日本へ持ってきて商売をしている。「台湾語で、聖コルベって、どう書きますか」「聖國柏、と書きます」「へェ、おもしろいですね」
★彼は、台湾のお茶、ウーロン茶を送りますからね、と約束して別れた。お茶の達人の「台湾ウーロン茶」を楽しみに、待っていますよ。
★昔から、小崎さんを知っているという。でも、お会いするのは初めてです。小崎さんの本も、何冊も読みました。1年ほど前、ブログ(日記)を見るようになり、日記で、西山神父さまが、こちらのホームに居られるのを知りました。
★西山神父さまは、私の恩人です。自分が高校生のとき、ローマへ旅行したが、ローマに居られた西山神父さまに大変お世話になり、それからも度々お世話になっています。兵庫県から、神父さまに面会に来ました、という。
★コルベ神父が聖人になった頃、高校生だったとき、洗礼を受けた。霊名は「コルベ」です。「それは、よかった」
★私の知らないところで、こうして日記を読んでくれて、わざわざ恩人の神父さまを見舞いに来てくれる、そういうこともあるんだなァと、今日の日の出会いを感謝した次第です。
★お仕事は、お茶の販売をされているそうで、台湾に、日本のお茶を売る店があり、台湾のお茶を日本へ持ってきて商売をしている。「台湾語で、聖コルベって、どう書きますか」「聖國柏、と書きます」「へェ、おもしろいですね」
★彼は、台湾のお茶、ウーロン茶を送りますからね、と約束して別れた。お茶の達人の「台湾ウーロン茶」を楽しみに、待っていますよ。
2016年10月26日水曜日
地元の小学生とホームで交流会。楽しい、ひと時
ホームの坂をくだった所に、小学校がある。小学生の1クラスが老人たちのお見舞いに来た。若い子どもたちの笑い声、仕草、出し物などに接すると、気持ちも和む。嬉しかったよ。
★楽しい一日だった。まず、小学生たちは舞台に並んで、秋の歌を唄った。その後、5、6組に分かれて、老人も交えて、ゲームや出し物で盛り上った。
★コマや、スゴロク、手作りのトランプ、手品など、小学生たちが考えて準備した遊びだった。
★わたしの組は、子どもが、7人ほどで、彼らが考えたのが、手品でした。字を書いた新聞紙を破って、丸めたら、字のない新聞紙に変わっていた。ヒモをハサミで切ったはずなのに、ヒモはつながったままだった。手作りのカードの1枚を覚えてもらい、カードを切りながら、その1枚を当てる手品もあった。お年寄りたちが不思議に思っていると、タネあかしも教えてくれた。
★紙袋に、ペットポトルを入れる。「ハイ」と声をかけると、入れたハズのペットポトルが消えていた。紙袋の下に穴をあけて、そこからペットポトルを抜き取って、自分のポケットへ隠してしまう、ヘンに思うのは当然だよね。
★最期に、お手紙をくれて、40分ほどでお別れとなった。でも地元の小学生が、こうして老人ホームにお見舞いに来てくれるのは、ありがたいと感謝しつつ、アイキョウの手を振ってわかれた。
★手紙には、「今日は、たのしかったです」「つぎ、くるとき、たのしみにしていてください」。写真の2人です。
★楽しい一日だった。まず、小学生たちは舞台に並んで、秋の歌を唄った。その後、5、6組に分かれて、老人も交えて、ゲームや出し物で盛り上った。
★コマや、スゴロク、手作りのトランプ、手品など、小学生たちが考えて準備した遊びだった。
★紙袋に、ペットポトルを入れる。「ハイ」と声をかけると、入れたハズのペットポトルが消えていた。紙袋の下に穴をあけて、そこからペットポトルを抜き取って、自分のポケットへ隠してしまう、ヘンに思うのは当然だよね。
★最期に、お手紙をくれて、40分ほどでお別れとなった。でも地元の小学生が、こうして老人ホームにお見舞いに来てくれるのは、ありがたいと感謝しつつ、アイキョウの手を振ってわかれた。
★手紙には、「今日は、たのしかったです」「つぎ、くるとき、たのしみにしていてください」。写真の2人です。
2016年10月25日火曜日
コスモスの枝は、夕暮れの太陽に向かい、なびいていた
ホームに入居した頃の私です。いい顔、しているでしょう。それでも悩んでいたんだよ、この頃は・・・。背景には、きれいな、コスモスの花がイッパイに咲いていた。あれから、まる、2年が経過して、最近、天草から来た幸男さんからは、「おまえ、ずいぶんと、フケた、な」と言われました。顔がどう変わっているのでしょうか。
★2014年の8月中旬までは、長崎の聖コルベ館で何事もなく働いていました。そして、10月の下旬に、ホームに入った。その2ヶ月間に何があったのでしょうか。日記にも書いていません。「語れば、複雑です。気持ちも、自分でない気がします。声が出ません。体力が落ちたのは、ほんとうです」
★ホームに入ったあの頃、咲き乱れる「コスモス」の花々が印象的でした。沢山の、白や赤のコスモスの細い枝が、全体的に、いっせいに暮れゆく晩秋の太陽になびいているのです。太陽はゆっくりと大地に落ちて行く。そのヒカリに向かって、みんなが、横たわしになっている。ここには精一杯、生きる姿があった。あのヒカリになびく光景は、私に希望を与えた。今でも忘れない。
★「生きなさい」「生きるんだよ」「生きるとは、ありがたいことなんだよ」。そう、コスモスが叫んでいた。今も、その余韻が残っている。高まっている。
★2014年の8月中旬までは、長崎の聖コルベ館で何事もなく働いていました。そして、10月の下旬に、ホームに入った。その2ヶ月間に何があったのでしょうか。日記にも書いていません。「語れば、複雑です。気持ちも、自分でない気がします。声が出ません。体力が落ちたのは、ほんとうです」
★ホームに入ったあの頃、咲き乱れる「コスモス」の花々が印象的でした。沢山の、白や赤のコスモスの細い枝が、全体的に、いっせいに暮れゆく晩秋の太陽になびいているのです。太陽はゆっくりと大地に落ちて行く。そのヒカリに向かって、みんなが、横たわしになっている。ここには精一杯、生きる姿があった。あのヒカリになびく光景は、私に希望を与えた。今でも忘れない。
★「生きなさい」「生きるんだよ」「生きるとは、ありがたいことなんだよ」。そう、コスモスが叫んでいた。今も、その余韻が残っている。高まっている。
登録:
投稿 (Atom)