2016年4月30日土曜日

ピオ中島神父さまの修道名の日。聖ピオ五世教皇

午後、散歩の途中で出会った「ピオ・中島神父さま」です。
朝、ミサのとき、「きょうは、聖ピオ五世教皇(1504-1572)の任意の日です」と司祭の説明があって、祭壇の前に、車椅子のピオ中島神父さまの姿があった。いっしょに祈りました。ミサの後で、修道名の「おめでとう」を申しました。
★そして午後、ホームの庭で、お会いしたのです。多分、前にも書いたことがありますが、本当の生まれは、昭和3年4月22日で、23日に洗礼を受けた。教会の洗礼名簿が最も正しいのです。当時は、お父さんは、漁船に乗っていたこともあって、役所に届けたのは、昭和4年1月2日になっている。昔は、こういう手続きが、度々行なわれていた。
★ピオ中島神父さまは、ホームに入って、7年になる。五島出身で、司祭になって、いろんな役職を勤められ、司祭叙階60年・ダイヤモンド祝いも過ぎた。歳をとると、休みの時です。ホームに入所当時は、まだ歩けたが、最近は足が弱って、歩行器を使って歩きます。付き添いは、増山さん(56歳)です。ピオ中島神父さまに要理を習い、洗礼に導かれた。いまは毎日、午後に来て、面倒を見ている。そのお陰で、神父さまは健康です。ありがたい。塀の上のイヌに注意。よく吠えるワンちゃん、友達です。
★きょう、ピオ中島神父さまが言った。「ロザリオを信徒間に奨励したのは、教皇ピオ五世だったのだよ」。えー、そう、なんだ。ロザリオの祈りは、1500年代から愛唱されていた。歴史ある祈りです。
★いま、教会で、そのロザリオを共同で唱えて、祈って、自室に来たところです。ピオ中島神父さまも、いつまでもお元気であってほしいと願います。

2016年4月29日金曜日

食べて、入浴して、きょうも平凡に夕方になりました

ホームの湯は、広くて、銭湯気分で、いいですね。風邪ぎみのため、風呂は控えていましたが、午前中に、一週間ぶりに、ゆっくり入浴しました。92歳の入江さんと一緒でした。体調に合わせて、入浴するのも気をつけます。
★午前中に、長崎から、白浜さんが「登明日記」をファイルにして来ました。聖コルベ館のようすなど聞きました。地震の関係か、韓国からの巡礼者が減少しているそうです。
★きょうの、お昼のメニューです。ご飯、めだま焼き、大根の油揚げの煮物、つけもの、南瓜そうめん汁、リンゴ、でした。
★食事の後で、入江さんと2人で、大曾神父さまの部屋を訪ねることにしています。お元気で、おられる。サカナ釣りの話など、語り合いました。
★日記を書くのが遅くなった。きょうは、これにて、休みます。

2016年4月28日木曜日

きょうも一日、無事に過ごしました。生かされ、感謝

湯江カトリック教会の祭壇・生け花です。いま、ロザリオを祈ってきました。大正生まれの女性も、押し車を頼りながら、祈りに来ていました。自分は朝のミサも、ロザリオも欠かしたことが、ないと言います。五島出身の、根からの信者です。これらの人を見ていると、感心するというか、降参します。信心が身についているのです。信仰している中で、喜びを感じ、悲しみも体験し、ここまで生かされてきたのでしょう。子どもも、おります。孫も、おります。信仰を守ってくれれば、それが幸せです。60数人、ホームの入居者がいるなかで、半分の30数人がカトリックです。信仰に恵まれたホームです、といえるでしょう。異なる宗教の人も、もちろん大切にされています。部屋からお経も聞こえます。他人のことは、いいけれど、お前はどうなのか。いつも反省して暮らしています。朝、ミサで祈り、午後からはロザリオを祈れば、何となく心が安らぐのです。5時15分から、夕食です。食事が終わると、「おやすみなさい」と挨拶をかわして、自室へ戻っていきます。歯をみがいて、部屋に座って、「教会の祈り・晩の祈り・寝る前の祈り」を唱えます。そのときが、修道会への「つながり」を自室で、一人でも、意識するときです。その後は、メモ程度の日記を書きます。手が振るって書けなくなると困ります。録画したテレビを見て、8時過ぎには、寝る準備にかかります。起床は、5時です。なんのために生きるのか。生きる意味はなにか。熱心に介護してくれるホームの若い職員さんたちを見ると、そういう疑問は湧きません。人は、生きていることが、尊いのです。お恵みです。それで、いいのです。

2016年4月27日水曜日

フランスの若者から、ルルドのお水が届けられた

ホームで生活して、何も事件が起こらない一日ですが、慰めをふくむ声や、励ましの文字が届くことがあります。
★聖コルベ館での出会いが多いですね。フランスの男性ですが、一昨年の夏休みに、聖コルベ館で、小崎サンから、「イッパイの飲み物」をくださった。それが忘れられない。今度、長崎まで来たが、ホームまでは行けない、それで「フランスのルルドのお水」を、聖母の騎士に託けます。手紙と、8cmほどの小瓶が回送されてきた。ありがたいことですね。
★小崎サンが書いた「長崎のコルベ神父」を買いましたが、一年間をかけて、ついに読み終わりました。わたしはフランスの西南にある一番大きな町のトゥールーズに住んでおります。ルルドまで車で2時間ぐらいかかります。毎月、騎士誌を購読して、小崎サンの記事を読んでいました。今はブログを見ながら、お祈りしています。最近、日本人の友人と一緒にルルドへ行きましたから、ルルドのお水を持って行きます。
★実際に会えたら、嬉しかったであろう。ホームは長崎から遠いので、会えないのは残念です。でも、こういう人が地球のどこかに居るのが分かると、きょうの「活力」になりました。
★けがれなきマリアの愛と平和でお大事にして下さい、と最後に書いてあった。ジャム・ブリュノさん、ありがとう。君の日本文、すばらしかったよ。

2016年4月26日火曜日

今年も、アンネのバラが咲いた。平和を願う花だ

「アンネのバラ」が咲きました。一輪のバラは、いろいろな思いを連想させてくれます。2日前の新聞の「読書」欄に、「アウシュヴィッツの囚人写真家」(ポーランドの写真家『2012年死去』のアウシュヴィッツ体験を、2人のイタリア人ライターがノンフィクッション・ノベルとしてまとめた本があった)。紹介の評を見た瞬時に、「ああ、読みたい」と思った。
★なぜ、アウシュヴィッツに心が捕らわれるのか。人は生きて、70年か、80年か、人生の中で、思わぬことを体験する。そして行なわれた現実を見たり聞いたりして直面する。その一つがアウシュヴィッツだった。なぜ人は、沢山の同じ人間の、自由を奪い、孤独のどん底に突き落とし、ガス室で、平気で殺すのか。人間は変わる、平穏さが、豹変する。それが恐ろしい。「もし、あのとき、自分がその場に居たら、どうなったか」。考えるのだ。
★原爆も、戦争も、そうだったが、もっと人間は、同じ人間として、仲良く暮らしたい。それが出来ないのは、なぜ、なんだろう。「一輪のバラの花」は教えてくれないか。
★風邪は良くなりました。ただ声が本調子でない。

2016年4月25日月曜日

皆さん幸せですか。幸せって、なに?考える    

年寄りは、コマめに手を動かしたり、カラダを動かすのが大事です。ホームでは、職員さんの指導で、手で、「グー」や「パー」を作って、アタマ、胸、ヒザへ動かしながら、それも茶摘の歌や、海は広いなを歌いながら、リズムに合わせて動かします。
★次いで、タオルを使って、両脇からタオルを巻いたり、広げて「クルクル」回したり、これも歌に合わせて動かします。これが結構、運動になるので、いつも参加しています。ホームでは、これを「コールス」といいます。まあ、笑いの多い、20人から30人が集ります。
★いつも最後は、「みなさん、幸せですか?」の問いかけで、「幸せなら、手をたたこう」。あれですね。手を、肩を、足を、「みんなで手をつなごう」。これを、やります。平穏で、幸せですよ。
★幸いに、風邪の症状も治まりました。熱っぽいカラダも正常になった。ただ声がまだハナ声です。
★でも、ちょっと考えるな。「幸せって、何だろう?」。幸せって、変わらない体調ですね。体力が衰えず、どこにも痛みが無く、おいしく食べて、ゆっくり休めば、それが幸せ。それに、お祈りも出来るしね。人生の軸は揺るがない。
★明子さんは、わたしを見ると、いつも手を、クルクル回すんです。エンジンかけろ、という意味かな。「キリョクーだ」「気力だ」。これが今、自分には、一番、必要に思う。
★昨日の日記のコメントに、「ゼノ修道士の命日」とあった。ほんとう、忘れていました。ゼノさん、死にヒマない、と言った。天国で、まだ忙しいでしょう。

2016年4月24日日曜日

この日、コルベ神父、ゼノ修道士、ニッポン上陸す

きょう、4月24日は、コルベ神父とゼノ修道士が、汽船で、長崎港に入港して、出島岸壁で、下船。愛するニッポンへ上陸した日で、この日を我々は忘れることが出来ません。昭和5年、1930年のことでした。
★日本を去ったのが、昭和11年5月ですから、6年間、宣教・生活をつづけたことになります。5年後、昭和16年8月、コルベ神父はポーランド・アウシュヴィッツで、殉教死をとげます。
★コルベ神父のことを教えてくれたのは、コルベ神父の時代に、ポーランドから日本・長崎に宣教に来たミロハナ神父や、ゼノさん初め、ポーランド人の修道士たちでした。
★コルベ神父の目標は、「マリアを通して、イエスへ」。これでした。イエスのことを一番愛している御方、いつも近くにおられる御方は、けがれなき聖母マリアさまです。だからマリアさまの御手に、全てを委ねて、自分はマリアさまの道具となって、動き、働けば、最も早く神さまのところへ到達できる。「マリア」「マリア」を、呼吸して、生きておられた。書くときや、言葉では、いつも「けがれなき」マリア、を使っておられた。これが特徴です。
★先日、北海道の親友から、ハガキが届いて、久しぶりに電話で話したとき、彼はミロハナ神父から薫陶(くんとう)を受けている。その彼が、言った。「M、I 」(エム・イ)。忘れていないよ。ミリチア(騎士)、インマクラータ(けがれなき聖母)。彼の言葉から、それを聞いて、本当に久しぶりに、エム・イを思い出した。
★朝から、ミサへ。午後からロザリオへ。教会へ行きました。