2013年12月31日火曜日

司祭は言った。「日記を、ヤメなさい」。夢の中で、ショック。

とうとう年末、大晦日になりました。日記・ブログを読んで、見守ってくださった皆さん、応援をありがとう。今年は無事に過ごすことが出来ました。神に感謝し、皆さんに感謝します。今夜は、11時30分から聖堂で、感謝のロザリオがあります。つづいて、12時から、新年のミサが捧げられます。ミサで、祈ります。どうぞ、今年も良い年でありますように。★はっきり、その姿を覚えている。顔も、覚えている。それは司祭だった。まぎれもない、あの人だ。なぜ、その人が意見したのか、分からん。誰だったかは、口がさけても、いわないよ。姿は、はっきり、いまも焼きついて、この人だったよ、と言える。おそらく忘れないだろう。その司祭が、言った。「日記を書くのを、ヤメなさい」。それを聞いて、「ギョ、ショックだ、え?なんで」と思わず叫んだ。「日記は、人に見せるために書いているのでない。自分の記録です。病気になった。ガンだと言われた。さあ、ニンゲンって、どのように死に行くのか、そんな気持ちがあって、整理しよう、記録しよう。それで書き始めたのです。もう6年目を迎えます。それなのに、ヤメナサイ、とは。酷ですよ。タマランよ」。イヤだ、ダメだと叫びつつ、目がさめた。「ああ、夢だったのか」。目覚まし時計を見ると、11時30分であった。(30日、晦日)。初めてだよ、こんな夢を見たのは。6年、書いて、自分の記録になっています。それは、メイワクを、かけたことも、あったかも知れん。修道士らしからぬ記事、写真と思われたかも、知れん。でも、本心を書きたいのです。ただ、それだけです。リッパな、飾りモンクは似合わない。自分に正直になりたい。これからも、書き続けます。夢の司祭よ、許し給え。

2013年12月30日月曜日

映画・現代と戦争をつなぐ愛と命の物語。感動し涙を流す。

映画を見に行く。感動のナミダを流す。どこの部分で泣いたのか。やはり最後の部分でした。戦争のところは、あまり感動しない。実際の状況・雰囲気を知っているから、凄みが、ないのです。今の若者の顔が違うんですね。飛行機乗り達が生き残って、空中戦を語る。ある老人はガンに侵され、余命3ヶ月と言われる。それでも、それ以上に生きている。なぜ自分が生きているのか、分からない。そこへ、飛行機乗りの「爺ちゃん」のことを教えてくださいと、現代の若者が訪ねて来る。老人は語るんですね。そして言う。「ああ、自分が生かされている理由が、いま分かった。この話を教え、伝えるためだった」と。生き残った者も、ツライ。この作品は、テレビでは絶対、描けない物語だった。映画で無いと、見れない。戦争は悲しい。今の時代も、いわば、戦争です。「後の時代の人たちが、戦った自分たちの生き方を、どう思ってくれるか」「10年経てば、もう戦争を知っている人たちは居なくなる。戦争は受け継いで、行って欲しい」。物語の後半は、上官が、若者の飛行機兵と出撃する。上官は、古い飛行機に乗るように、交代し、戦死する。変わってもらった若者は生き延びて、戦後を生きる。戦後、生き残った兵士は、上官の家族、残された妻や子の家を訪ねて、援助を申し出る。妻は、「夫は必ず帰ってくると言った。死んでも帰ると約束した」。ああ、いま、夫が戻ってきたのですねと、最後には若者を受け入れる。このヘンから涙が出たのだった。戦争って、悲しいよね。死んでも、酷。生きても、酷。あんな時代も、あったんだな。感想は、何を書いてよいのか、わからぬ課題の多い映画だった。無念なり。★夕食のとき、10人がいた。「今日は映画を見てきた」と打ち明けた。ゼロ戦闘機や、徴兵制度のこと、戦争へ行った先輩の司祭のことで、食卓の話は盛り上がった。

2013年12月29日日曜日

心は大阪にあるよ。うれしいなあ。出会いは楽しいよ。

台湾人の絵本作家が、今月の11日に、聖コルベ館を訪ねた。日記にも載せた。その女性、許さんから手紙がきた。台湾で発行した絵本も入っていた。1冊は、アシジの聖フランシスコと狼の物語で、「古比欧的大野狼」と題に書いてあった。古比欧とは、グッピオと読むそうだ。確かに、読めるな。大野狼は、おおかみ。台湾の読み方は、おもしろいです。「なにか、絵を添える記事があったら、頼もうかな」の魂胆があったのです。「今回の長崎の旅で、トマさんにお会いできて、本当にうれしいでした。26聖人の映画で思い切って泣けたこと、コルベ神父さまの部屋で静かに祈ったこと、全部、貴重なお恵みでした。トマさんの色紙を3枚頂きましたので、1枚は自分に、2枚は芦屋教会の2人の親友に差し上げました。親友といっても、86歳と91歳ですよ。そしたら91歳の岩崎さんがビックリして、「この修道士さんの本を読んだことがありますよ」って。2人とも大変よろこんで宝物にするって言いました。私の場合は、うちの赤子イエスさまのご像の横に置いています。トマさんのこころ、コルベ神父さまのこころ、今、大阪と芦屋にありますよ」。知らない場所で、本を愛読する人がいる、うれしいね。許さん、ありがとう。出会いは楽しい。また聖コルベ館へいらっしゃい。コルベ神父さんの絵、じょうずだよ。


2013年12月28日土曜日

ライモンド、年の暮れだよ。足を骨折した。気をつけるんだ。

ライモンド君を、抱きかかえて、ハイ、ポーズ。ライモンドは、抱かれるのを、イヤがるんだよね。手に乗せるのに、苦労したよ。おとなしく、しなさい。ライモンドは、左側の前足を、骨折したのか、折れ曲がっている。痛いのかなあ。それで、イヤがるのか。ほかのネコと争いが、あったらしい。ライモンドは弱いからね。エサも、ほかのネコに、しょっちゅう取られている。クリスマスだからね、サシミのごちそうが有ったよ。その、おこぼれを、あげるよ。ライモンドは、満足して食べていたよ。いつもは、朝に、エサを貰いに来ていたが、最近は、朝は姿を見せない。寒いからか、どこかに隠れているのかなあ。★この日記を書いていると、ピン、ポン。見学者が入ってきた。男女4人連れ。高速を、車で、1時間あまりの県外・教会から巡礼に来ました。皆さん、明るいカオをしていた。こちらまで楽しくなるよ。長崎ミカンを1ツづつ食べさせた。喜んで、ルルドへ登って行った。

2013年12月27日金曜日

生き延びて、口笛も出るさ。寒い風には負けないぞ。ピープー。

つい、つい、出た、口笛が。ピー、プー、気分が、いいんだな。寒ムーィ日なのに、なんで、クチブエなんか、出るの。北風が、日本列島に吹き荒れている。今朝は、泌尿器科の予約の診察日だった。朝食も、ゆっくり出来ない。早々に片付けて、白浜さんの軽で、聖コルベ館を出た。歳の瀬も近づいているので、車が込んでいる。雨も降ってくる。病院に着いた。今年は、ステント入れ替えの1泊入院が、数回だけで、まあ無事だった。昨年がひどかった。尿が全く出ないで、四苦八苦。今年は、ウソのように調子は良い。「変わり、ありませんか」とお医者さん。「ええ、まあ、大丈夫でした」。尿の細胞診も、1だった。病も治まっているらしい。ガンは良くなったが、50年前に病んだ腎臓結核の後遺症、石灰化が剥げて、それが今になって、苦しむとは、全く予想もしなかった。ステントを入れて、やっと生き延びている。「1ヵ月後の予約の診察のとき、ステント入れ替えの日を決めましょう」。診察は、1時間弱で終わった。ありがたい。タクシーで移動して、もう1つのクリニックの診察を受けた。「心電図を撮りましょう」。タクシーで移動して、耳鼻科へ。患者がイッパイなので、「また来ます」と退散。昼食前に、聖コルベ館へ戻った。東京から、「長崎は初めて」の女性が1人資料室に居た。大きな「長崎ミカン」を2個差し上げる。「長崎のコルベ神父」「身代わりの愛」を購入して、ルルドへ登って行った。昼食のあと、聖体訪問の後で、口笛がいつの間にか、とんがりクチビルから、出ていた。「寒い風に、負けないぞ」

2013年12月26日木曜日

すき焼きを食べて、心も和んだ。話して、笑って、楽しい夜。

クリスマスの夜の食事は、すき焼きでした。写真に写っている10人に、ほかに10人を足して、20数人で賑やかでした。長崎地区で働いているフランシスコ修道者です。忘年会の意味もありますね。みんな揃って、楽しいでした。最初に、ビールのカンや、ワインのセンを抜いたとき、瞬間、思った。(いま、ここに居る皆んなの中で、いちばん歳上は、ボクだから、乾杯の音頭は、「トマ、頼む」と言われるかも、と。やっぱり、ボクに指名があって、カンパイさせられた。直感は、まともに当たった。信念は、創立者・コルベ神父さまの心を大切にしたい。聖母の騎士を守りたい。祈り、働きのお勤めを、果たしたい。そんな気持ちがあるのは、確かです。「今年は、なんとか、皆さんの援助のおかげで、過ごしてきました」。これはホンネです。「トマは、自分の健康に気をつけて、不具合になったら、すぐ医者に行く。健康管理がよい」。との声もあった。自分のことばかり言っても何だから、「また来年に向けて、皆さんと一緒に、励みましょう」。それが気持ちです。目的は一緒だから、笑って、話して、盛り上がりました。クリスマスが終わると、今度は、年末、年始に向けて走り出す。「誰とでも、仲良くしょう」


2013年12月25日水曜日

我が主の御降誕。馬小屋で祈った。歌った。グロリア、幸せ。

我が主の御降誕、クリスマス、おめでとう。夜の8時。聖堂が真っ暗になった。集まった人びとは、手に灯をもって、歌いながら、行列を組んで歩き出した。「静ずけき、真夜中、貧し、うまや」「神のひとり子は、み母の胸に」。行列はつづく。聖堂の中央に設けられた「馬小屋」の前に進み、持っている灯を、幼子の前に、並べて置いた。心をこめたトモシビです。主任司祭の柳本神父さんの力強い声がひびく。「主は、皆さんと、共に」。大勢の人が集まって、歌い、ミサで祈った。願いは「家族は幸せに」「自分は清らかに」「素直に神さまを信じるものに」「誘惑や、悪に負けない強い心を持ちたい」。誰もが、求める祈りです。お祝いなのに、教会へ来れない人、病気の人、自由を奪われている人、戦火のなかにある人、神さま、見捨てないでください、と叫びたい。祈れるだけ、幸せです。歩けるだけ、喜びです。「ああ、今年も、クリスマスを迎えることが出来た」。ミサが終わる頃は、実感として、そう思いました。神さま、ありがとう。