2013年1月31日木曜日

1月も終わる。仲間の修道士は、ピクピク、反応を示した

いま、長崎では、サザンカ(山茶花)が、あちこちに咲いています。オバマ温泉へ行く途中で、仲間の修道士のお見舞いに、寄った。いつぞや、ブログにも書いて、お祈りを求めた修道士さんです。2階の病室へ上がり、看護師・詰所のすぐ前の、個室に名前があった。自由に入れるように、扉がない。彼は眠っていた。点滴が、2本。彼は口をあけて、自力で呼吸し、目は閉じて、体は動かない。頬が落ちて、「ああ、痩せたなあ」「がんばっているなあ」の感じ。人は意識がなくなっても、言葉は聞こえると、聞いたことがある。彼の顔に口を近づけて、大きな声で、呼びかけた。「〇〇さん、トマだよ。トマが来たよ。〇〇さん」。すると、彼の両目の、マツゲが、ピクピクと大きく動くではないか。「ああ、やっぱり、わかっている」「〇〇さん、お祈りしているからね。神さま、愛しているよ」。ピクピク、反応する。確かな、証拠だ。声は出ないが、「わかった、わかった」と言うように、マツゲは微妙に動いていた。「こんなことって、あるんだな」。ニンゲン、誰でも、このような道を辿る。厳粛な雰囲気を感じた。お見舞いに寄って、よかったなあ、と彼のために祈って、病室を去った。
 

2013年1月30日水曜日

3日目。この日に帰る。ゲンキにジンセイを送りたい

オバマ温泉、定宿・富士屋さんの玄関です。いつもお世話になっている入口です。左に、掛け軸。女将さんの心づくしか。右側の奥が、フロント。左は狭いが、売店。おみやげ物は、湯せんぺい。海産物など、「オバマに行ったよ」の証拠の品を買います。温泉で、1人、ゆっくり。ゼイタクですが、これもストレス解消です。人の顔は、いっさい浮かばない。言葉を気にすることもないし、楽です。ただ祈りだけは、忘れない。朝に、夕べに、聖務日祷を唱えている。朝、起きるのは、6時。すぐ入浴するのが楽しみ。日中は、部屋で、メモの整理や、書き物などで時間を過ごす。昼になると、近くを散歩し、昼食を、外食する。部屋に戻って、入浴し、しばらく眠る。夕食には、牛肉のテンプラは必ず出ます。もう食べる量が減りました。夜は、早めに、9時には、もう眠る。3日目の朝になると、午前9時過ぎに、白浜さんが迎えに来ます。自分で運転はしません。昼ごはん前には、聖コルベ館へ戻っている。「温泉に行くと、顔が、つやつやになるね」。肌も、輝く、心も、輝く、元気にジンセイを送りたい。

2013年1月29日火曜日

オバマ温泉、2日目。共同湯の温度は、43度。こりゃ熱い

温泉街の裏通りを歩いて、山沿いを行くと、共同湯がある。山の学校に居た時代は、よく通った穴場だった。久しぶりに訪ねてみた。昔からのお湯。地元の人たちだけが入る。帽子をかぶって行った私を、皆はジロジロ見た。男湯、女湯。がたピシ、木戸を開けて入ると、低い番台に男性の老人が毛布に包まれ、背中を低く呼吸している。「いくらですか?」「150円」。板の間にあがると、着物入れの箱があった。年代を思わせる。「このハコは、いつ作られた?」「昭和12年」「ええ、そーなんだ。12年といえば、小学3年だったか」。ハコに着物を押し込んだ。この共同湯は、湯の温度が高温な事で定評がある。湯船は、2m四角の湯が、2つある。1つは、43度はあるだろう。もう1つは、それより熱い。「たまらんわい」。直ぐには、入れない。ゆっくり、入ったり、出たり、踊ったり、初心者には時間がかかる。4,5人の男が、じーっと、こちらを見る視線を感じる。背中を彼らに見せた。大きなキズが、3箇所もある。「参ったか」と自慢はしないが、暗黙のうちに、威厳を示した。湯につかると、広い窓から、朝陽が、さーっと光がまっすぐに入って、湯に、キラキラと揺れていた。癒される朝となった。この日は、富士屋さんの湯には入らなかった。

2013年1月28日月曜日

オバマ温泉へ。1日目。シスターの墓参り。心に生きる

今年の冬は、寒い日々がつづきます。今朝は、気温、1度でした。「トマさん、今年になって、お元気になったね」。そう言われる。「ハイ。調子は、いいようです。昨年は苦労しましたけどね。タツ年だったので、いい年になるかと、張り切っていたのに、6回の入院で、苦労しました。今年は、気合を入れるよ」「カゼ、引かないようにね」。長崎から、42km離れた、島原半島・オバマ温泉へ出かけます。2泊3日の予定です。軽で送ってくれるのは白浜さんです。途中、寄り道をして、行きましょう。シスター永松ミツエの墓参りに行こうと思い立った。県境の山の上にある。少し遠いけどね。花を買い求めた。バラを先ず買った。春らしいから、梅もいい、サクラもいいね。墓に着いて、花立を見たとき、瞬時に思ったね。「ああ、来て、よかったぞ」。なぜなら、花立の花は、いつ入れたのか、色があせて、みじめに思えたからだ。早速、入れ替えたのが、この姿です。シスターが亡くなって、もう何10年になるか。彼女のことは、もう誰もが忘れているだろう。しかし私が生きている限りは、大げさだが、生きているのを感じる。死者との「つながり」は、固く結ばれている。天国から守ってくれているに違いない。これも小さな信仰です。

2013年1月27日日曜日

孤独の人、苦しむ人を助ける、本当に寄り添うことの難しさ

今朝、考えました。ヒトは、ほんとうに、他人の痛みや、苦しみに、寄り添えるのでしょうか。人は愛を語ります。殉教者の温かい心を褒め称えます。それは模範意なる手本です。その通りに、今度は、自分が、実際に、実行面で、他人の悩みや、困難、失望を受け止めて、寄り添えることが出来るか、と言えば、これは中々難しい。実行できない悩みがあります。自分も、キズつき、迷い、痛手をうけるかも知れない。それらを語り合う場所はないでしょうか。自分は「実行しました」。イヤ、「失敗しました」と、そのような率直な体験を分かち合う所、機会、集まりは、ないのでしょうか。「信仰の体験を語る」のです。何かの冊子で、こんな体験を読んだことがある。被災地へ援助へ行った。当事者たちの、あまりの苦難に圧倒されて、言葉も出ない。苦しんでいる人たち、現実の人たちに、何と言って慰めていいのか。戸惑うばかりだったと、言うのです。それはホンネでしょう。自分が信じている信念があったも、言えません。告げる雰囲気ではない。もし言えば、シラケてしまう。ニンゲンには、そういう現実があるのです。先ずは何とか助ける。せめて、その人の苦しみ、痛みに、同化し、寄り添う。幾分でも、背負ってあげる。これらの体験を語り合い、分かち合う機会はないのでしょうか。★ここまで書いた時、電話がなった。「1つ、聞きたいのですが」と女性の声。「いま受験で、大変です。希望の大学に合格できるか、心配している。ある人から、勧められた。メダイを捨てなさい、仏壇も捨てなさい、献金をしなさい」。答えました。信念を持ってください。惑わされては、いけない。全力を尽くして、あとは、どの道に行くか、お任せする。メダイは身につけておけば、お恵み、安心になる。お金は安易に応じない。周りの人に相談を。今の時期、誘うヤミがあるのを感じました。

2013年1月26日土曜日

汝、殺す勿れ。イノチは最も大切だ。悲しい思い出の写真

42年前に、1971年の秋です、ポーランドを初めて旅行し、チェンストホーバのシスターの修道院で、壁に掛かった額の写真を見せられ、衝撃を受けた。説明してくれたシスターを写真に撮った。今も手元にある。いつになっても、その写真は忘れない。忘れるモンですか、こんな残虐な出来事がありますか。ニンゲンって、こんなにも非常に落ちるものでしょうか。ナチス・ドイツ軍が攻め込んできて、修道院も占領された。シスターたちは殺された。殺す前に、シスターたち自身に深い穴を掘らせて、1人、1人、ピストルで撃ち殺して、穴に、見ている目の前で、放り込んだ。自分の運命を目のあたりにして、どれほどシスターたちは苦しみ、恐怖にかられ、神に祈ったことか。こういう出来事が、世の中に、起こっていいのか。許されていいのか。戦争のむごさが、わかる。「人を殺しては、なぜ、いけないのですか?」。いま、このように問われて、答えが見つからないという。「汝、殺す勿れ」「あなたは、殺されても、いいのですか。ダメなら、他人も殺してはいけない」「イノチは一番大切だ。人が手をかけてはいけない」。戦争は、人を殺すことを目標にした。敵なら、誰でも殺しても、いい。戦争は恐ろしい。核兵器も恐ろしい。戦争になれば、人間のアタマも、ココロも、狂ってしまう。目に見えないところで、戦いは、つづいている。

2013年1月25日金曜日

ルルドの梅はマダ咲かぬ。早く、来い、来い、春のぬくもり

テレビは報じた。「長崎に、梅の開花宣言。去年より、10数日早かった」。え?そうなの?ルルドに登る坂にも、梅の木が数本あるが、どうかな?咲いているだろうかな?白浜さんに見てもらった。デジカメで写してください、頼んだのが、ごらんの写真です。まだルルドの梅は、ツボミです。写真の背後の道は、左へルルドへの細道です。ジンセイには、大きな道筋が、ある。カトリック信徒の両親に生まれた。突然、原爆が、頭上で、バクハツする。孤児になって、放り出される。少年に残された足の先に、何があったのか。選択は、1つの道しかなかった。それが「この」ルルドの道だった。これ以外に、選択の道はなかったのだ。ジンセイには、そういう運命というか、流れというか、そうだ「定め」が、ある。コルベ神父が創立した小神学校で学ぶ。修道士の道に、自然に、つながった。ニンゲンは、自分が歩いてきた道を振り返って、「これで、よかったのか?」「他に、別の道が、あったのではないか?」と悩む時が必ず有るが、「悩んでは、いけない」「君には、この道しか、なかったのだ。これで、よかったのだ。この道で、幸せになりなさい」。それしか、答えはない。★1人の修道士が、病床にあり、呼吸が低下し、食事が取れない状況になったと、知らせが届いた。お祈りください。あなたの祈りが、必ず彼に見えない形だが、届きます。神さまが、いつの日か、あなたに教えてくださるでしょう。そういう気持ちで、私たちは生きているのです。