★戦争、真っただ中の出来事です。16歳の私は、カリエスの病気上がりで、身体を慣らすため、大学病院の耳鼻科の「博士論文研究室」のお手伝いをしていた。耳鼻科の教授が「長谷川先生」だった。長谷川教授は愛妻家で、よく自宅に、お使いに行くよう頼まれた。自宅では、奥さんから丁重なお茶とお菓子の接待を受ける。帰りには、お駄賃まで頂いた。そのとき、自宅に居たのが、この娘さんだった。10歳違うから、6歳だったのであろう。あの頃のご縁が、今につながる。このように長いご縁が他にあるだろうか。忘れずに声をかけてくれたのが嬉しい。私の元気な姿を見て、喜んでくれた。
★長谷川先生は、大学病院で被爆する。女性は言った。「その日の夕方、からだ一杯にガラスの破片を受けて、自宅へ帰りました」。長谷川先生の記事で、その後、天草で療養して、原爆病症状で苦しまれたが、確か、被爆8年目、フランス・ルルドのお水で癒された、と記憶がある。長谷川先生の家族は、カトリックの洗礼を受けた。
★確か、私のアルバムに、先生ご夫妻と、修道服姿の私と、一緒に撮った写真があるはずだが、見つけることが出来なかった。長崎へパパさまが来られたとき、長崎・聖母の騎士に、長谷川先生をお招きした記憶がある。奥さんを亡くされた後、先生とご一緒に、お墓参りをした。娘さんも近所から出てこられた。長谷川先生の思い出は貴重な記憶で、忘れられない。
★ホームに帰って、年賀状の束を探したら、女性のハガキはあった。つながりは大事にしたいと思う。
★きょうは、東京から3人の来客があって、食事に出かけた。午後からは、「91歳の10年日記」の放送のNBC長崎テレビの女性ディレクターがDVDを持って来た。日記を書くのが遅くなった。
トマさーん雨になっちゃいましたね(・・;)
返信削除トマさんとの出会いは皆んなの宝物になってると思います。私もママもそうだから(^^)
毎日 トマさんの日記をママに読んでもらって元気になるよ。私もママもトマさんが大好きです。