待降節第2主日。朝のミサ。祭壇の前のローソクに、2つの灯がともされた。主の降誕が近づいているのを感じる。
★昨日は、8日。誕生会を日記に書いたが、教会では「無原罪の聖マリアの祭日」をお祝いした。ミロハナ神父の教えによると、コルベ神父は、この祭日を最も大切な出来事として迎えていた。コルベ神父がこだわったのは、「けがれなき聖母=インマクラタ」だった。このタイトルを常時、使っていた。コルベ神父は、マリアの呼吸で生きていた。
★コルベ神父の言葉「私が、マリア、マリアというのは、マリアの心をもって、イエスを愛したいからです」「けがれなき聖母のために、私たちは喜びをもって全てを行ない、喜びをもって苦しみましょう。私たちが日常生活において出会う全ての辛さを、けがれなき聖母に対する私たちの愛を深めるために受けとめましょう」
★もう1つ、8日は、「太平洋戦争が始まった=真珠湾攻撃の日」だった。私は、当時、13歳。長崎大学病院の外科病棟で、入院中に、このニュースを聞いた。「いよ、いよ、戦争だ。ニッポンが勝つぞ」と皆が勝どきを揚げていた。今、考えると、「井の中の蛙(かわず)」で、日本人は外国のこと、アメリカのことを全く知らなかった。敵を知らずに、勝算は無かった。戦争は2度と起こすべきではない、老人は頭を下げて、強くそう思う。入院中に、私のベッドによく見舞いに来ていた娘さんがいた。永井隆博士の妹さんだった。遠い過去の思い出である。
★昨日の朝日新聞に、心引かれる1文を読んだ。ある訪問診察のお医者さんの小文である。「長生きの秘訣は何ですか?」と問われると、次のように答えている。「『きょういく』と『きょうよう』です」と。
★きょういく=(漢字の)教育ではない。「今日、行く」。今日、行く所がある。つまり自分の居場所がある。次の、きょうよう=教養ではない。「今日、用」件がある。つまり生活者として、自分が必要とされる役割がある、というのです。
★この発想が、強く心にひびいた。何かのコメントにも使えるな、と思った。きょう・いく=今日も行ける場所がある。きょう・よう=きょうも人のために何かを尽くす用件がある。結局、『きょういく』と『きょうよう』が、その人の生きる喜びになり、生き甲斐となる。つまり、これが長生きの秘訣となるのです。
★ホームに居ると、受ける側で、人に与える機会がない。動ける間は、自分が出かけて行って、人のため何かを尽す場所、そんな役割が欲しいと願う。
★自分に存在感が、ない。そりゃ、人との『つながり』がないからだ。「喜んで、お手伝いします」。行動する者が長生きする。人は老いても、生き甲斐は欲しい。
トマさんの日記を毎日読んでいます
返信削除受け取らせて頂いています
18日入れ替えの痛み少き事、無事退院を
お祈りさせていただきます。