主の御降誕の祭日。病室で迎えた。瀧神父さんから「午後2時頃、御聖体と共に来る」と携帯に知らせがあった。
★午後、待っていると、瀧神父さんと、高原修道士さんが現れた。私はベッドに横に座る。瀧神父さんが近くに寄る。最初に私が言った言葉が「すまん、な」
★すると瀧神父が即座に応じた。「イヤ、イヤ、これは司祭の務めだ。コルベ神父まさが言った。病人の苦しみが、ニエポカラヌフ(ポーランド・日本のコルベ神父の修道院)を支える。宣教を支える力になっている。コルベ神父さまは病人を、とても大事にされた」。もちろん私も知っている実話だが、瀧神父さんから、直ぐ出た言葉に、あらためて感動した。
★御聖体を拝領した後、椅子に腰掛けた瀧神父さんに、トマが言った。
★「コルベ神父の生き方、死に方。ゼノ修道士の生き方。カシアノ修道士の生き方、死に方。彼は生涯、炊事場。その彼が最後の日にも夕食を作って、一緒に食べて、自室へ戻って、その夜、亡くなった。聖ヨゼフの篤信の信心家だった。聖ヨゼフが迎えに来た。トマには、聖コルベが、ゼノが、カシアノの生き方、死に方が、真実の出来事として、本物として、ドン、ドン、我が身に飛び込んできた。この身に、深く染み込んできた。これが真実なんだ。本物だ。だからトマは、彼らが信じたものを、信じ、希望し、愛したものに、付いていく。それが自分の道だと、はっきり分かった」
★瀧神父が応えた。「トマよ、今度の入院で、大きな恵みを受けたな。元気な声で、トマの話が聞けて、よかったよ。声も大きく、安心した」。瀧神父さんは、足は、ヨロ、ヨロしながら、高原修道士の介添えで、これから長崎の「兄弟の集い」に、と去った。
★彼らが帰った後で、トマは思いめぐらした。
★自分は、今までの生涯において、自分が本当に体験し、触れて、見て、真実なものを信じたい。本じゃない。人の言葉でもない。自分が本当に受け入れたものだけが、トマには真実だ。ポーランドへ10回。ダテじゃない。毎度、あの餓死室の中で、祈った、壁を触れた、コルベ神父の空気を一杯飲み込んだ。それが、ボン、ボンと、トマに身に入ってくる。
★命を助けられた男性にも3度会った。「ジンクーエン(ありがとう)」。言わなかったのが一番残念。しかし聖コルベは、優しく「ほほえみ」で、安心しなさい、見詰めながら連行されて行った。男性はトマの前で、3度涙を流した。その男性の現実も、聖コルベの「お礼を求めない愛」の現実も、ドン、ドン、トマに入ってくる。これは真実だよ。
★ゼノ修道士の生き方。トマが原爆後、聖母の騎士で最初に迎えたのが、ゼノさんだった。そのゼノさんの生き方。貧しい人のため全ての愛と、生きる力を与えた。師父聖フランシスコの行動力です。こうしたゼノさんの生き方も、ボン、ボン、入ってくる。
★カシアノ修道士の生き方、死に方。これも凄い。トマが小神(高校生)のとき、カシアノさんはポーランドの雑誌から聖ヨゼフの記事をローマ字で原稿を書いて、トマの処へ持って来て、日本語に訳すよう頼んだ。月に1度、夜の小神生の祈りの後で、「聖ヨゼフの御働きと御徳と実話」の記事を読んでいた。100人からの小神生がいた。この記事は、後に本となる。カシアノさんの聖ヨゼフへの篤信の信心に惹かれる。それが優しく、トマの現実が入ってくる。
★なぜ聖コルベが命を捧げたか。捧げた御方が居たからです。その御方に完全に倣いたい。そのためには「けがれなき聖母」を通して行けば、最も近道になる。「マリアを通してイエスへ」。それが聖コルベの生き方だった。聖コルベや、ゼノ修道士、カシアノ修道士の生き方に従いたい。本物だからです。
★ありがとう、聖コルベ、ゼノさん、カシアノさん、本物を自ら見せてくれて、ありがとう。あなた達の生き方、死に方に、真実、真理がある。それにトマも従って生きたい。この入院中の苦しみ、痛みの中で知りえた、弱いトマだが、しっかり、付いて行きたい。
年を取り、体に故障ができ、行動が制限され、
返信削除会話をする人も少なくなり、長生きをしている事が、まるで、悪い事でもあるかの様に
愚痴をこぼしてしまう人達は、多いと思います。私もそうなるかもしれませんが!
登明さんが実際に接してこられた方々の
生き方と、死に方を知り、
感動してしまいます!
そんな方々に、ついて行こうと
される、登明さんにも感動します!
退院されて間もないのに
長い文章を書かれて、
思いがいっぱいですね!
ホームに帰られ、本当に良かったです。
無理をされずに、新しい年を
お迎えください(^.^)
瀧神父様はお優しいです。
返信削除この度も無原罪の御宿りのご聖母様にお祈りを
ヨゼフ様、コルベ神父様にお取り次ぎを願いました。
お祈りさせて頂くお恵み頂きました。
トマさん 瀧神父さまが来られたんですね。
返信削除トマさんの事を心配された事でしょう。元気なお姿を見て安心したでしょうね。