2018年12月27日木曜日

入院中、3つの「ムチ」で、ビシッと、やられる。苦しみは恵み

先週、日曜日からカゼ気味だった。火曜日に予約の入院があったので、特に、からだに気をつけていた。
★火曜日の午前中に、高原修道士さんの介添えで入院。担当は、ごらんの看護師さんだった。熱は7度2分。大丈夫かと不安になる。午後、先生に外来に呼ばれ、説明の後、すぐ外来の処置室へ。「ボウコウに、石があって、ステントが抜けない。ここには石を粉砕する道具を置いていないので、中止」と言われる。気合抜けというか、失望感というか、その夜は、熱が、7度4分、7分、8度と上がり、ついに8度4分にまで達した。先ず、最初、1度の「ムチ」で、ビシッと、やられる。
★次の朝は、8度4分の熱が不思議に7度に下がっていた。これには、ちょっと驚いた。小さな奇跡の恵みさえ覚える。その日は、さすがに休養し、心電図、心エコー、腹部のCTを撮影した。次の日が木曜日。午後2時頃、先生から外来へ呼ばれる。浜田神父さん、高原修道士さんも同席した。先生から、CTの断面写真を見せながら、詳しい説明を聞いた。「ボウコウの石は排除しても、ステントの先の腎臓にも石がある。うまく、ステントが抜けるか、わからない」。厳しい判断だった。一旦、病室へ戻る。そして、いよいよ3時過ぎ、車椅子で手術室へ。改装された立派な手術室だった。準備は整い、顔の前に青色の幕を垂らされ、いよいよ麻酔へ。エビのように曲がるが、先生の麻酔が、どうしても入らない。隣の手術室から専門の麻酔医師が来て針を刺すが、これも入らない。懸命に、ガマンし、耐えていた。ついに出血が出はじめて、手術は中止となった。車椅子で病室へ帰ってきたから、浜田神父さんも高原修道士さんも驚いた。トマの方が、ショックだよ。ガックリきた。2度の「ムチ」で、又またビシッと、やられた。
★翌、金曜日。午後4時に手術の予定が決まる。3時頃に、浜田神父さん、高原修道士さん、木村明子さん、3人が来る。4時になっても呼ばれない。病室は静かで、会話は全くなく、4時半になっても、まだダメ。イヤーな感じが漂った。4時50分、呼び出しがかかる。車椅子で病室を出る。トマは3人に「シッケイ」と、手を上にかざして笑った。手術室が並んでいる。10室もある。奥の方、9番目の明るい部屋に入った。先生は待っていた。今度の麻酔は、お尻穴から20cmほど上の辺りに、一発で入った。何度か麻酔薬を足している感じがした。完全に、ヘソ以下の部分が麻痺する。1.5cmの石を砕く音、10分位は響いたであろう。コンクリートの道路を修復のためドリルで、ガ、ガ、ガと壊すのと同じだ。トマにとっては3度の「ムチ」で、これまた、ビッシと、やられる。すると「ウ?、ム?、腹の辺りが、なにやら、ムクムク」。先生が「抜きますよ」。スーッと「抜けましたよ」。手術室に歓声があがる。腎臓にステントを引き止める石の影響はなかった。「先生、ありがとう」「ハイ、おわりましたよ」。安堵の中、ベッドに寝せられて病室へ。木村明子さんがちょっと顔をみせ、高原修道士が残っていた。
★その夜は全く動けない。腎臓からボウコウまでクダがあり、ボウコウからベッド横の袋までクダがある。この格好を考えれば、笑っちゃうよ。8時半から水だけが飲める。1人で寝たまま、水が飲めるように、机を引き寄せ、高原修道士さんに、小瓶の水と、ボトルの水を買ってきて貰った。「楽飲み」も手の届く所に置く。高原さんは、もう帰りたい、その気配。その高原さんに「高原さん、もう1つお願い。アンパンを2個、買って来てください」。そう言われて高原、迷っている。部屋を何度か歩いた。「帰りたい、でもトマも」。心境も分かるよ。高原は居なくなった。しばらく経って高原さんが戻り、アンパン2個を机の上に置いて、帰った。
★この「アンパン」が、次の朝、特異な経験から、トマが、今までのホームでの考えを大きく変える恵みとなった。苦しみの中で体感した「ホンモノ」の、底辺に行き当たった思いがった。「アンパン」の袋の裏には「本社で選り抜いて作ったアンコ」と書かれていた。

2 件のコメント:

  1. ホームでの考えを大きく変える「恵み」とは。本物の底辺とは。明日のブログを読ませていただきます。この病室の写真を例のごとくズームしました。トマさんの背後の若い看護師さんが親指を立てて「いいね!」をしていらっしゃるのに救われた気がします。献身的看護をされる看護師さんだとわかります。この「いいね!」のポーズ、若いって「いいね!」です。

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  2. 浜田神父様、高原修道士様、木村明子様に見守られての手術だったのですね。本当に恵み溢れる幸せな方だと思います。

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