一日、ヒマなので、車椅子の女性は、廊下を、あっちへ、こっちへと、上手に移動して、適当に時間を過ごしている。
★「わたしは、98、です、ばい」が口ぐせ。「あと、二つで、100になる」。降参します。
★毎朝、早朝、5時過ぎに、暗い廊下を通って教会へ行くのだが、角の部屋は、この女性。既に起きていて、顔を洗っている。「はやーい」と、これにも、参ります。
★たまたま今日のお昼どき、話を交わす機会があった。目はパッチリ、アタマは、スッキリ。お顔は小さく、お若い頃は美人だったかも。ただ残念なのは、お耳が遠い。耳元で叫ばないと、通じない。
★女性は言う。子どもの頃は、心の臓が弱かった。結婚して、四国八十八箇所巡りをして、他にも、あっち、こっちのお寺をお参りをして、元気になった。兄弟姉妹は、みな、死んだよ。孫が、小遣いを送ってくれる。感心な子です。98を宣伝しながら、声は低いが、昔の歌を、はっきりと、スラスラ唄い、こちらが手を合わせると、御経を途切れることなく、唱えきる。敬服しました。それは本当に生きるリッパな信仰です。
★写真は、湯江教会で祈るホームのカトリック信徒の車椅子の女性たちです。月の礼拝の日に撮りました。思います。ホームでは、仏教の人たちも、カトリックの人たちも、何かに、おすがりしたい心情は一緒です。生かしてもらっているだけで、お恵みです。ありがたい。98歳の車椅子の女性の顔には、苦しみの影がない。淡々と、生きている。そういう人に憧れます。「えらい」というしか、ない。
★コメントくださった「ぼんすけ」さん。十七歳の夏を読んで下さり、ありがとう。ぜひ聖コルベ館へ。資料を見てください。
★昨日は、関東の男性から電話があった。「以前に、文通したことがある。騎士誌の小崎さんの記事を楽しみに読んでいた。最近は、出ていないので、寂しいです」
★朝日新聞社から、2008年12月から、1月にかけて、16回にわたって連載してもらった記者の記事「ナガサキ・ノート。小崎登明さん」についてのアンケートが届いた。その記事は、「小崎登明の部屋」(検索)に掲載している。
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