2013年12月23日月曜日

病気に耐える女子たち。50年の時を経て、苦しみにヒカリ。

大阪から、「小崎サン」と名前を告げて、母と、娘さんが訪ねて来た。お母さんの名前が、貞子さん。娘は、小百合さん。「同じ教会のお友だちで、みどりさん。いつぞや、ルルド参詣に来て、小崎サンにも会ったそうです。みどりさんに勧められて来ました」「ウーン?、いつだったかなあ」。考えて思い当たった。「フランスのルルドへ行きなさい、と勧めて、実際に息子さんとフランスへ行った女性がいた。あの人、病気でしたよ」「その人です。お友だちです」。そして、このお母さんも、病気と言った。ガンを病んでいる。手術もしました。最近、また影が写っているといわれ、心配しています。聖母の騎士のルルドの水を飲んでいます。この間、病院へ行くと、影が消えているといわれました。感謝の巡礼に、来ました。2泊3日の旅行だそうです。長崎では、真っ先に、聖母の騎士へ来ました。そして貞子さんが修道士に見せたのが、「病床で神との出会い」の記事であった。「え?これ、むかしの聖母の騎士だよ。知っているよ、この記事」。確かに覚えている。編集をしていた。昭和41年、1966年、2月号です。この記事、覚えている。病者の特集だった。「どうして、この記事、持って来たんですか」「私は看護婦をしていましたが、看護婦になった頃、勤めていた病院に入院していたのが、この方です。信仰の熱心な方でした。結核で、苦しんでいたのに、明るく振舞っていた。決して忘れない方です」。原稿は、4ぺージ。記事の女性は、「芸大、声楽科を卒業した。病気で、20年あまり耐えられて、49歳で亡くなられた」。原稿の最後に、センを引っ張った箇所があった。記事を持ってきた貞子さんが引いた線だった。そこを読むと、次の文があった。「私たちの総ての苦しみのうち、愚かな、全く無意味に思える苦しみや、また罪すらも、最後に、キリストさまにより頼むとき、総ては生きる。........つまり、御ひとり子を賜うほどに私たち人間を愛し給う神は、私たちに不必要な苦しみは決してお与えにならないということを、心の奥の深いところで、しみじみと感じております」。この記事を書いた「佐川みち子さん」。あなたの原稿は、記事は、50年あまりの時を経て、よみがえり、私たちの心に留まっている。「すばらしい、信仰、これも恵み」

2 件のコメント:

  1. 初めてコメントさせて頂きます。
    「病気もお恵み」…よく聞く言葉で、真理だと思っています。この記事の女性、また小崎さんの生き方やお言葉からもそれは十分に感じられます。
    でも実際に自分のこととなると本当に難しい。いえ、私が病気なのではないのですが、去年子どもが白血病にかかりました。いろいろ危機もありましたが、幸いなことに兄弟の白血球型が一致し移植、今は素晴らしく経過が良好です。
    「幸いなことに」と書きましたが、これは神様の計らいです。私の信仰の弱さ故に助けて頂いた、と思っています。「助けてくれなかったら、もう信じません!」というのが本心でしたから。子どもを失っていたとしたら、どうなっていたか…わかりません。
    『どんな状況下でも主に信頼して感謝して生きる』…理想です。この憧れが私が信者になった原点です。

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  2. 池田小百合2014年1月2日 13:28

    大阪から来ました母娘の池田です。この度は日記に書いていただいて恐悦至極に存じます。私、娘の小百合は、当日お会いした時にはいいませんでしたが、10年以上重いうつ病を患っております。肺がんの母とともに、なんとか神様のお恵みがいただけないものかとルルドに参った次第です。でも、神様の計らいはもっと私の想像をはるかに超えたところにあったと気付かされました。私自身は小崎様のことは存知あげてなかったのですが、帰阪しましてから日記を拝見し、御言葉に触れるに従って、心が安らかになる自分を感じました。神様はルルドでの病気の快癒だけではなく、心の癒しも与えて下さったのかと感激する次第です。また、ルルドに参ることができましたら、また、お会いして御話を聞けたらと思います。母からもよろしくと言付かっております。ありがとうございました。良いお正月をお過ごしください。

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