長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年7月28日日曜日
東京、3日目。日曜日、ミサの後で、ブログの読者と出会う
毎日、ブログ(日記)を見てくれて、応援してくださる、ありがとう。「今度、休みで、東京へ出ます。赤羽教会で、出会いましょう」と、出発前に、ブログに書いてお知らせしたところ、「23人」が来て下さった。皆さんにお会いして、本当に嬉しかったよ。皆さんも喜んでくださった。出逢った順々に、聞いたお名前を記すと、渋谷の佐藤さん、川崎の山野さん、千住の清水さん、調布の後藤さん、世田谷の花澤さん、東十条の烏田先生、世田谷の北山さん夫妻、茨城の久保木さん家族3人、世田谷の阿部さん夫妻、ご夫妻でお医者さんです、さいたまの田辺さん、狛江の小栗さん、埼玉の「のび太」くず野さん、板橋の斉藤さん、埼玉の伊藤さん、松戸の駒沢さん、東久留米の竹田さん、ペトロ・イシトク神父さん、これらの方々でした。修道服の姿で、ニコニコして、挨拶して、お迎えしました。「1枚づつ、手描きの色紙を、選んで取ってください」。皆さん、喜んで取ってくれました。もちろん初めての人も居ます。顔見知りの人も居ます。懐かしい人も居ます。応援してくれて、ありがとう。来て下さって、ありがとう。「記念の写真を撮りましょう」。これが念願でもあった。ミサが始まる前と、終わってからも、撮りました。皆さんも嬉しそうでしょう。いい思い出になりました。皆さんとの出会いは、東京へ出た理由の1つでもあります。「あれ、もう、色紙は、ないの?」「ザンネン」。色紙は好評でした。色紙は、聖コルベ館で販売して、そのお金をルーマニアの、ペトロ・イシトク神父さんの国に送っています。★モニカさんからのコメント。「昨日はありがとう。たくさんの人が来ていた。わたしも、その1人です」と書いてあった。「あれ、モニカさん、名前を聞いたかな?」。挨拶をしないで、ごめんなさい。色紙を貰らいましたか。心残りがしています。
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昨日はありがとうございました。たくさんの方がいらっしゃっていました。わたしもその一人です。
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