2021年3月15日月曜日

高原修道士さん、頑張ってネ。トマの足となり、介護もする。近くに転任

この笑顔、いいね」。
高原修道士さんは、トマの人生にとって大事な兄弟です。
★面会に来た高原さんが、アマゾンの大きな段ボール箱を抱えて来た。中から出て来たの「ラジオ」。トマには、すぐ分かった。「かぶらってぃ」さんからだ。日記に「ラジオが不調で不便」と書いたら、コメントに「電池式、手配します」とあった。箱には名前は無かったが、「かぶらってぃ」さん、贈り物はありがとう。ラジオから音楽が流れると、心が和みます。
★高原修道士さんの真面目な顔。トマがホームに居て、病院への送り迎えは、高原さんにいつも頼んだ。優しい表情もあるが、若いから、時折、ボゥーッと燃える。それを指摘すると、上の笑顔を後ろにまげて、「アーツ」と、更に笑う。
★幼児からシスターの施設で育った。苦労しているんですね。最近、シスターは94歳で神に召されたが、そのシスターの自慢が、自分が手塩にかけて育てた1人が教区の司祭へ、もう1人が高原修道士の存在だった。高原さんは肝に銘じて、修道士を頑張っている。
★4月からの転任で、高原さんは、長崎・聖母の騎士へ移動する。いま、トマは、長崎ホスピスだから、近くなり、便利になる。高原さんが来ると、安心はする。優しさ、思いやり、臆する事ない主張。頼もしい所もあるが、「あれ、車のキイが、ない。スマホがない」で、ヒヤ、ヒヤさせる。
★きのうは、夜8時半に眠る。キューッと、11時半まで。起きて、水1杯、また2時間ほど夢の中。痛みは無く、朝を迎えた。「深夜便」を聞く。元気が戻った。
★昨夜の「千草おやすみ電話」。「明日から2日間、教会で、年の務めがあるから、電話は
かけない」。長崎教区では、四旬節の間に、夜、教会へ行き、指導司祭のお説教を聞く。祈り、『赦しの秘跡』を受ける習慣がある。本当は3日間だが、コロナ禍で、今年は、短縮。年の務めを終えて、復活祭を喜びで迎える。長崎の、いい習慣だ。自分がカトリックであるのを強く意識し、感謝する。ホスピス病棟では、それが出来ない。ザンネンや。
★【ベッドの上で考える=生ある限り】歩くのも徐々に、困難になる。アタマは、スッキリ。ハッキリ。前方に道が有る限り、今日も、生きよう。3月も後半になるが、今年もサクラは見えそうだ。感謝だね。
★【昨日の閲覧者数=統計】1334。 

2021年3月14日日曜日

修道者は、お互いに、家族的な、キズナ。「兄弟舟よ」。孤独じゃ、ない


松下修道士さんが、首から「面会許可」のカードを下げて、病室へ来た。
手に下げたビニール袋から先ず、取り出したのが、竹で作った『花さし』だった。一瞬「ウハッ、ハ、ハ」と、笑ったよ。贈り物。又、笑って、感動したね。「崎濵神父さまから・・」「えーェ、上手に作ってあるな」。竹製の手作り。「こりゃ、嬉しかばい。器用に作ったな。崎濵神父さん、ありがとう」
★崎濵神父さんの手紙が添えられていた。
「トマさん、日記を見て、ハラハラ・ドキドキ。今は安心しています。今朝、思い出して作りました。依然、神父さまが、そちらのホスピスへ居た時、同じような竹製の花瓶を作り持って行ったところ、とても喜んでくれたことを想い出したからです。トマさんにとっては懐かしい彦山の中腹にある竹やぶの竹です。花瓶がまっすぐ立つように切ることと、上部を左右合わせるように切るのは、かなり難しいのですよ」
★崎濵神父さんは、元・管区長、今・学園(高校・理事長・校長)。「エラか、人が、よくぞ頑張るね」。神父さんの温かい心情が、トマの胸に伝わってくる。
★「学園のため、トマさんのお祈りの中に、意向を入れていただきたいです。返事はいりません。お祈りください」
★修道者は、老いても、孤独じゃ、ない。「兄弟舟だよ」。お互いに、家族以上の温かいキズナを持っている。
★昨夜は、痛みで、苦しんだ。夜8時半に眠りについて、10時半に目が覚めた。眠れない。夜中の12時、クスリを2ツブ、飲んだ。背中が痛む。ダメだ。1時半、コールで看護師さんを呼んだ。「痛い、眠れない。坐薬を頼む」。看護師さんが血圧を測り、坐薬を入れた。痛みが取れて、スーッと、しばらく眠る。3時半には目が開く。「深夜便」を聞いた。
★最近は、じょじょに、病状が進んでいる、感じ。食欲が全くない。今朝の『軟飯』も、「また、コメか」。ノリを細かく切って、軟飯に混ぜて、やっと食べた。みそ汁、吸う。缶詰の果物ナシか?、これで終わりと、ホットする。野菜、2品残した。
★食欲がない。痛む。眠れない。声はデカく出る。だが、目のチカラが失せた。「ここは、ホスピス病棟だぜ。わかっとるな」
★【ベッドの上で考える=生きる喜び】なんだ、かんだ、言っても、まだ生きているさ。今朝の『チリン、チリン』の司祭は、別の神父さんだった。顔は覚えている、名前が出ない。
★【昨日の閲覧者数=統計】1297。

2021年3月13日土曜日

シスター・フランシスカ中山和子先生の命日。福祉を貫き愛に生きた医師

昨日、12日。みさかえの園の聖母の騎士修道女会のシスター会長さんから、電話があった。「今日、シスター初代会長 ・中山和子さんの命日だった。何か、思い出を日記に書いてくれる?」「えェ、そうなの。ゴメン。お祈りします」。写真は、中山会長シスターが、聖コルベ記念館を訪ねた時のお姿です。
★シスター中山先生の最初の思い出は、戦争が終わって間もなく、聖母の騎士のルルドへの道に、木々に囲まれ、憩いの場があった。ドナト神父さんから、数人の女性がお話を聞いている姿が深く印象に残っている。(感心な女性たちや、な)
★原爆直後の冬、直ぐに、たすけを求める原爆・戦争孤児たち、少年たちだけの施設が聖母の騎士修道院(小神学校)で始まった。中学生だったトマたちは、度々、彼らと、もめ、ケンカした事もある。
★最初から、医師の中山先生は、ミロハナ神父が創立した『騎士園』の事業に参加して、小ヶ倉、大村、竹松と、姉妹会を移転させて、やがて小長井に落ち着いた。その時、トマは、結核の療養のため、小長井の騎士園修道院に居り、シスター中山先生から、病気の診察や治療を受けて、お世話になった。右腎臓は、小神卒業の修練中に、既に摘出。その後、状態が良くないので、ミロハナ神父さんに連れられて、小長井修道院で、療養する。又もや、左の腎臓が結核で侵されて、アウト。しかし大きな病院を望まず、シスター中山医師の聴診器に頼って、お任せし、奇跡的に回復した。アウトが、セーフに変わる。いまトマ修道士が、93歳まで生かされた基本は、シスター中山先生と、他のシスターの治療のお陰と感謝している。
★少し、病気が快復すると、『騎士園の新聞』をガリ版刷りで発行した。最初は、2ページ。10号ほど続いた。次いで、4ページの正式な『小長井聖母の騎士園新聞』となった。記事の中には、姉妹会の話題も出てくる。(当時は、姉妹会と呼ばれた)。姉妹会の教会献堂式や、10人が修練に入った事なども書かれている。
★昭和31年5月号『騎士園新聞』第5号にシスター中山先生の記事がある。当時の施設の男の子は、今の子どもと違って、食料困窮の時代でもあり、自立心が強く、自分を守る、食べる事にだけ、総ての興味があった。炊事場から缶詰を盗んだり、ウソ、イジメ、乱暴、文句など事件の連続。その中で、シスター中山先生は、こう書いている。「『子供に関する覚え書き』「子供を全て善導すれば、ダリア、スミレの美しさが出る」。どんな男の子でも差別なく慈愛心で接し、信頼し、優しさを示した。
★昭和31年6月、6号の記事。「子供は、自然的に、善と美を求め、愛する。これを精神的美へ発達させると、美しい夢、こころ、清らかさへと向ける。汚いものを嫌うようになる」
★昭和32年10月、第20号。フランシスカ会長さんの執筆で、『運動会の鈴わり・シスターたちの競技』を書いている。「高く吊るされた赤と白の大きな鈴。シスターたちは夢中で赤、白のタマを投げつける。なかなか割れない。5分、経った。幼年部、少年部、中学生、大人たちも馳せ参じた。遂に、白が割れた。(フランシスカさんは、白組だった)。白組が、バンザイ。赤組は小さくハクシュ。シスターの中には、『あれは、鈴を貼る時、薄い紙ではり、赤のはチョット厚めだったのよ』の声も聞かれた」
★『騎士園新聞』は、45号まで続いた。トマは、小長井に11年居り、長崎で修練をやり直して、『修道士の誓願』を立てた。原爆の後、ミロハナ神父に抱擁され、入会してから20年の歳月が経っていた。
★いま、シスター中山先生を偲ぶ時、スラッとしたスタイル、笑みの顔、優しい声が浮かんでくる。「トマスさん」と呼ばれると、何となく胸に温かさを感じた。
★「人は、神から出て、神に帰る存在である」
★創立者ミロハナ神父さんの指導を受けて、修道女会シスターたちを聖成へと進ませ、聖コルべの『けがれなき聖母』のM(エム)I(イ)の精神に生き、シスターたちを良くまとめて、心身障碍者施設を幾つも経営したシスター・フランシスカ中山和子(医師)先生は、福祉に貫いた生涯を終わり、安らかに、聖コルベ、ミロハナ神父の天国へ旅立った。
★2018年3月12日。99歳、神の恵みの天寿を全うした。
★【昨日の閲覧者数】1352。

2021年3月12日金曜日

松下修道士さん、頼りだよ。聖母の騎士の大黒柱。深夜のメールに感謝

午前中、親身な介護のシャワーに浴びる。気持ち、スッキリ。「マリアさまが呼びかける。ゆっくり休みなさい。元気を出しなさい」
★病院には、シスターが2人勤めている。朝『チリン、チリン(鈴の音)』のシスター石岡(超・長期歴)。もう1人が最近勤めた『お告げの』シスター水浦(写真)。午後の昼休みに登明著『十七歳の夏』を手に現われた。「この本、読んで感激した」とホメて、誉めまくる。
★そこへ面会に来たのが聖母の騎士の大黒柱・松下昭征修道士さん。「ベッドが、高い」と言えば、手製の『足乗せ台』を作って来た。「やあ、これは便利だ」と喜んだ。
★松下さんには姉に『お告げの』シスターがいる。シスター水浦とは初対面だが、和やかな会話がはずんだ。
★松下さんに、新品の小型ラジオを頼み、お金を渡した。「次に行く所がある」と用件だけ果たして、雑談なし、だった。松下さんが頼りになる。
★朝食、昼食、夕食。みな完食した。毎日、3人のお医者さんの回診がある。『痛み』『食欲』『困った事=足のむくみ』など報告する。「安心しなさい。任せなさい」。ここでも、マリアさまの声。
★夜、7時。ラジオならニュースの時間。入院して以来、テレビは全く見ない。テレビは壁に向かって、対面。この時間、『千草のおやすみ電話』「足のハレは、どう?」「変わらん。ただ今日は『柿のタネ』は1粒も食べなかった」。ハッ、ハ、ハ、と千草さん、電話で笑う。つい、こちらも大声で、笑う。「今日の内容は、きのう話した、そのままね」。2人して又、笑う。「笑うと免疫力が上がる」と言ったのは、神戸の尼さんだった。ホスピス病棟で、こんなに笑って、いいのかね。
★「ただ、ね。1つ、書き忘れた。背中のキズだよ。10年前、この病院で、千草がカラダを拭いた時、確かに、その時は『有った』の証言。あれ忘れた。又、ここで笑う。「おやすみ」。電話は切れた。40分、話していた。千草さんが言った。「いま、月づき、かけ放題オプション、千七百円ほど払えば、時間なしで話せるのよ。松下さんに相談してみれば」
★夜8時に寝て、11時半に目が覚めた。普通なら1時半まで一気に眠るのだが、今夜は早い。起きて、1杯の水を飲む。携帯に、白点の点滅。ヨゼフ・クリニック高木正剛先生からのメール。21:25。「体調いかがですか。しんぱいしています」
★2月5日、入院。2/6 .6:05。2/22.10:24。3/1 11:38。3/1 12:25。
3/5  22:24。  3/7 8:32。  3/11 21:25。
これだけメールが届いている。返事の仕方を知らない。開院前、電話で感謝。
★昨夜の眠りは、浅かった。ラジオも無いので「深夜便」も聞けない。
いつものように、朝、6時少し前、看護師さんが電気を付けに来る。オシメを外し、後は自分でトイレへ行き、洗浄。熱いガーゼ・タオルで拭く。部屋でも、ウエット・タオルで2度拭きする。洗顔。
★『毎日のミサ』を広げて『チリン、チリン』を待つ。松下修道士の作、『足乗せ台』をホメた第一号は、シスター石岡さんだった。「まあ、いい、足乗せ、ね」
★第二号は、9時過ぎ、回診の主治医・松添大助先生だった。「いいモノが、できましたね」。きょうも、明るく過ごそう。未来はホスピス病棟にも有るぞ。
★【ベッドの上で考える=日記に満足】日記を書くのが、唯一の楽しみ。生き甲斐。自分で、きょうの日記は上出来だ、と納得しなければ、読者は、ツマラン、思うだろう。
★【昨日の閲覧者数】1315。

2021年3月11日木曜日

希望をもって前へ進もう。ガンも個人差がある。神戸の尼さん。柿の種

看護師さんから背中を拭いてもらった時、背中の真ん中に、キズが消えていた。「おかしか、な」。右足のスネには、骨を削り取った跡が、証拠として、いま尚、残っている。なぜ、骨を植えた先の、背中のキズは消えたのか。
★きのう、瀧神父さんから電話があった。「聖ヨゼフにお願いする」。そう言えば、昨日から、聖ヨゼフの祭日前の九日間の祈りが始まった。それで瀧神父さんは知らせたんだ、と分かった。「ホームに戻れるように」と瀧神父さんは言った。ハッ、ハ、ハ、とトマは笑った。実現すれば、最大の奇跡だよ。でも、希望を持って、聖ヨゼフにお祈りしなければ、ね。
★午前中、病院のシスター石岡さんが見えた。シスターは、次のような話をした。
「すい臓がんでも、免疫力のバランスで、現状維持で、1年もホスピスに人がいた。細く生きているのね。変わらないので、自宅に帰った。それから3年、自宅で療養して、最近、ホスピスへ戻られた、こんな個人差があるのよ。あなたも腎臓1つで、何十年、生きて来られたんじゃない」
「そうだね。腎機能スレ、スレで、十何年、横ばいだからね」「そうよ、神さまのこと、わからないわよ」。シスターの言葉は、希望を与えてくれた。
★午後、神戸の尼さんから電話。長年のお付き合い。聖母の騎士の誓願・金祝など、尼さん姿で参加。修道士を看取るなどの活動も。エルザレム巡礼も参加。皆さんから親しまれ「尼さん」と呼ばれる。
★「トマさん、実は私も『すい炎』なの。背中が痛んだり、大のトイレで『シャー』と水が出たり、(今のオレと一緒や)救急車でも運ばれた。すい炎には、ツムラの漢方薬『ハンゲシャシントウ』が良く効くよ」「尼さんのガンって、それ?」「いやいや、まだ別にあるわよ。病気の総合商社よ。いま私は『十字架の道行』のロザリオを祈っているの。七連のロザリオよ。(そう言われて、台湾人の許さん、七連のロザリオ、思い出した)。の文があるので唱えやすい」「七連のロザリオって、何んね?」。(七が、2回周って、14留、分かった)。許さんに渡したのは、『十字架の道行』ロザリオだった。尼さんは病と闘いながら、祈る生活、そごいな、と感心した。「良くなったら、神戸牛、送るからね」
★寝る前、千草さんの「おやすみ」電話。「足のハレが心配よ。柿のタネ、評判ね。塩分が多いから、1日、10ツブ食べなさい。(30以上は食べている、ダメ)」「やっぱ、92と、93じゃ、こころに重みの違いがあるね。『3』になって落ち着いた。3ザンが9。3年3月1日生まれ。3,3,の,9、で、ゴロ合わせがいい。サン・キュウ―、サン・キュウ―」
★【ベッドの上で考える=電話で喜び】寝ていても、よく電話がかかる。30分、40分、話すこともある。楽しみだね。元気は、残る。
★【昨日の閲覧者数】1357。

2021年3月10日水曜日

キズだらけの背中、「拭きましょうか」。優しい手の看護師、日記OKよ

赤い服の看護師さんが、ワゴン車を押して入って来た。「え、だれ?」「手術場の看護師です。今日は手術が少ないので、来ました。おカラダ、拭きましょうか」「やあ、ありがたい。頼むよ」。ヒマがあれば応援する、その気ごころ、いい看護師さんや、な。上体、裸になる。肩にタオルをかける。(床屋さんのごと、あるな)。タオルを外して、熱いタオルを背中に、ジーッと乗せた。「熱く、ないですか」「大丈夫、気持ちがいい」。ゆっくり丁寧、背中を拭いた。
★トマの背中は傷だらけ。右下のキズは、22歳、腎臓摘出手術。「それがね。戦後まもなく、小さな医院で、医者は1人だけだよ。看護師は居ない。隣のオンちゃんか?男性が手伝って、下駄履いていてね、下駄の音、今でも耳に残っている。手術時間は2時間。それ以上になると、血液不足になる。テキ、パキ、やってのけた。『ハイ、これがお前の腎臓』って、ね。見せたよ。ポコ、ポコ、穴が幾つもあった。なぜ、手術が出来たのか。戦争中、お医者さんは軍医でね。第一戦で負傷した兵士のキズをテキ、パキ縫った。実力だよ。その医者は趣味が油絵でね、個展を開くほどの画才。エライもん、よ」。赤い看護師は黙して聞いていた。「左側のキズは肋骨2本、取った。背中にも、薄い棒のようなキズがあるはず。これは足のスネの骨を、ここに埋めた」
★「長生きの秘訣は、技術があって、心優しい医者に、看護師に出会う人生だね。泌尿器科の高橋先生、知ってる?」「ハイ、知っていますよ。優しい先生ですよ」「今日、ね。私のブログ・日記に載せるから」「へーぇ、ブログ、書いているんですか」「書いてるよ、あんたの写真、撮っても、いい?」「ああ、いいですよ」。あっさり快諾。「日記に載せても、いい?」「いい、ですよ」。これも快諾。「ブログ、読みなさい」。『小崎登明~~日記』とメモして渡した。看護師さんも別の紙片に自分の名前を書いた。名の中に『美』の字があった。(キレか、看護師やった、な)
★夕方、ホームの瀧神父さんから電話。「トマ。わたしは、あんたが、ホームに戻って来ることを、聖ヨゼフに願っている」「ハ、ハ、ハ。CTでガンが消えて、食事が普通に食べられるようになると、本当の奇跡だよ。大奇跡だよ」。瀧神父「願っている」
★夜は、2時まで、一気に眠る。起きて、1杯の水を飲む。また眠った。ラジオの故障で、『深夜便』は聞けない。今朝、足のハレはある。曲げるヒザまで影響あり。朝食は『パン食』。ジャムにチーズ付き。牛乳、缶詰・桃。(サラダを残す)
★【ベッドの上で考える=良い医者に出会う】少年の頃、大病しても良い医者に恵まれた。大学病院の外科の教授。回避しても又、大病にブチあたる。今度は軍医の医者が居た。救われて、その後も、良いシスター看護師や、晩年は聖フランシスコ病院のお医者さんに出会ったお陰で、今を生きている。「すべては良いように導かれた」ことになる。では災難をどう解釈するか、の問題も起こるだろう。「災難も、沢山、あったな」。しかし、それでも『いま』がある。『災難』に『導き』が勝ったやも、知れぬ。
★【昨日の閲覧者数】1442。

2021年3月9日火曜日

両足がムクンで、腎ゾーさん、頑張れ。高橋先生の医療技術。今ホスピス

2,3日前から、足がむくんでいる。腎ゾーさんが働いていない。もともと左は腫れていた。右が腫れだした。
22歳で右腎臓結核で、摘出。25歳で左の腎臓も血尿・高熱で、アウト。でも奇跡的に助かる。以来、55年間は、酒も飲んだ。徹夜もした。「こき使ってゴメンなさい」
2009年、ボウコウ・ガン発症。聖フランシスコ病院で、奇跡的に治癒した。
2011年、再び尿が出なくなる。聖フランシスコ病院に入院した。
★泌尿器科の高橋元先生。当時の写真です。お若いね。高橋先生の診たてでは、昔の左腎ゾーの結核の跡が『石灰化』して、軟結石が尿管に詰まっている。ステント手術を行なって治まった。
★2012年、今度は腎臓に器械を入れて、粉砕させましょう、と提案。何でも九州に2つしかない器械(ホルミニム・ヤグ・レーザー=3mmのカメラを尿管から腎臓へ入て、結石を粉砕する)を借りて、実施した。
★その時、全身麻酔。目覚めてからが大変だった。病院から徒歩3分に自宅がある『千草』さんが、徹夜の看護を尽くした。
★「小崎さん、夜中の3時頃、無心に両手を高く上げて、『コルベ神父、聖コルベ、聖コルベ』と3回叫んで、びっくりしたわよ。コルベ神父さまを見ていたんじゃない?」「覚えていないよ」
★「なんで石なんか出来たんだろう」「好物の牛肉の天ぷらよ。それが頑固な石になった」。返す言葉もないが(ああ、やっぱり食いたいな)。今は、もう残念、食欲がない。
★「愛しなさい」「助けなさい」と口で言っても、行動しなければ、何のタシになるか。『千草』さんは言った。「任せなさい」
図は、高橋元先生の筆跡です。レーザーで、14,5個の結石は取れた、しかし、まだ残っている。この10年来、ステント入れ替えの手術は、4か月毎につづいている。今は聖フラシスコ病院にも、貴重なレーザー器械は備えているそうです。
★退院の朝、シスターの看護師長さんが来て言った。「お恵み、もらっています。あなたの苦しみ、恵みを、私たちも、もらう」。シスターは患者トマに深々と礼をした。病者の苦しみが、周りの人の働きに、信仰のチカラを与えるという、カトリック。
★病院の玄関から、庭に出ると、丁度、赤と、白のツツジが見事に咲いていた。「赤い冠か、白の冠か」。お医者さん、看護師さん、ありがとう。コルベ神父さま、ありがとう。こういう聖フランシスコ病院生活を何度も経験して、いまは、ホスピス病棟でお世話になって、「ジーッと」。いや、ジーッとしては、おられん、ばい。また何やら考えとります。
★【ベッドの上で考える=自我を捨てよ】自分の努力は何もない。この歳になって、それだけは認めます。最後まで、いいように導かれるよう祈ります。マリアさま、助けて下さい。そのためには自我を捨てなければ、ダメですね。分かっているが難しい。
★【昨日の閲覧者数】1412。