2018年11月30日金曜日

祈る家族の像が心に残る。み旨を受け止め、祈りつつ耐える

昨日の日記に「みどり」さんからコメントが寄せられた。「克明な描写でよくわかった。。タオルの間違い、おかしくて笑った。畑で、金の十字架の発見は興味深い。『原城の宿』は外観が城の石垣を模していますね。前にいる尾の長い動物は何でしょうか。ライオンですか?」
★入浴・食事の「原城の宿」の外観を、ぜひ撮りたかった。巨大な壁の形式なので、近くでは撮れない。バスに乗って、サヨナラする時に、揺れるバスの窓から、瞬間的に撮った。それが昨日の写真でした。「尾の長い動物、ライオンですか?」の答え。みどりさん、よく分かりましたね。写真を拡大して、興味深く見たんですね。まさしくライオン「獅子喚」でした。
★ライオンの前で、写真を撮りました。彫刻家、北村西望先生の作です。長崎市の平和公園に、平和祈念像があるでしょう。右手を天空に、左手を横に伸ばし、足は「あぐら」をかいた巨大な像、年に1度は必ずテレビに出ます。製作者が北村西望先生で、先生の出身地が、この有馬なのです。西望記念館もあります。
★昨日のドライブ旅行で、1つ、印象に残った像があります。それはロザリオを祈る親子のキリシタン家族の姿です。左側には役人の手と刀が見える。「キリシタンを捨てよ、さすればイノチは助けてやろう」「いいえ、お役人さま、わたし共は、ゼズスさま、サンタ・マリアさまと、いっしょで、ごぜーます」。彼らの声が聞こえてきそうな場面です。
★昨日は、この親子の姿をジーッと見詰めて、度々脳裏に描きました。原城跡では3万7千人が殺された。悲しい出来事です。「キリストの教えを信じれば、なぜ、こんなにも苦しみ、痛みを受けるのだろう。キリストの弟子たちも次々に殉教している。イノチを捧げた。信じることは、イノチを賭ける試練だった。信仰は厳しい」と、生き方の覚悟が問われます。
★わたしの常の言葉に「生かされて、今日も、祈る」がある。次いで「苦しみは、のち、神の喜びに変わる」がある。前者は分かるが、後者は、中々人間の知恵では、理解し難い。だが、そこまでの体験に至らなければ、信仰は本物では、ないだろう。人それぞれ、与えられる苦しみ、痛みは異なる。み旨として受け止め、祈りつつ耐えてこそ、希望の光が見えるかも知れない。助けて、ください。ゼズスさま、マリアさま。

2018年11月29日木曜日

島原半島「日帰り旅行」。原城の宿で湯に入る。カラオケ謡い満足

海辺に面した「原城の宿」(写真)。ホームから、島原半島を一周する「日帰り旅行」に出かけた。20人余りが参加。ホーム⇒干拓道路⇒愛野⇒小浜温泉⇒加津佐⇒口の津⇒原城跡⇒「原城の宿」。宿では先ず、湯に入った。
★湯は広い。アワ立つ丸い湯がある。これは、ぬるめの湯。しばらく浸かった。体を慣らして、広い熱めの湯に変わった。左側に手すりが付いている。滑らないように慎重に歩く。黄色く丸い洗面器にタオルを入れて、湯に浸かった。気持ちが良い。ジーッと湯の熱さを身で感じた。
★体格がガッチリした爺さんが、洗面器を置いて、同じ場所から湯に入ってきた。爺さん、腹部まで浸かっている。しばらく時が経った。私が、上がる。もう出よう。シャンプーは使わない。シャワーで流して、タオルで拭く。洗面器でタオルをもんでいた。
★すると先き程の爺さんが、ツカ、ツカと傍に寄ってきた。「タオル、間違っていませんか」「え?タオルには、オレのは名前を書いているはずだ」。名前がない。完全に間違ってしまった。「ああ、ごめんなさい、間違いました」。なんともバツが悪かった。謝りに、あやまった。「すみません。ごめんなさい」。思わず手を出して爺さんの手をつかみ握手した。後で、考えた。あの爺さん、ふしぎに思っただろう。(なんで、握手なんか、したんだろう?)。老人の失敗、カンベンしてください。この失敗は誰にも言わなかった。
★食事をしながら、ゆっくりとした時間を過ごし、カラオケでも楽しんだ。トマは、原城にちなんで「古城」を歌い、山内園長神父さんが「島育ち」を歌うと、瀧神父さんが「島ブルース」を歌った。料理は「うちわ貝」に乗った黄色いグラタンが出た。ホームを出る。しばし違った、世間の雰囲気に浸るのも、元の気分の転換になる。部屋の外は、眺めがよい。天草灘が広がり、雲仙岳が霞んでいた。
★潜伏キリシタン関連が世界遺産になったお陰で、ここ「有馬」にも脚光が浴びた。旗や看板が立ち並び、旅人を誘う。有馬キリシタン資料館を見学した。有馬の殿様、有馬晴信はキリシタンの洗礼を受けて、口の津、加津佐を中心に文化が栄えた。弟の純忠は大村の殿となり、大村領もキリシタンで繁栄した。
★私の記憶では、有馬あたりの農民が畑を耕していると、縦4cm程の太めの金の十字架を発見した。殿様・晴信がローマから戴いた貴重な品らしい。いまは島原城の資料館に展示されているが、あの金の十字架が有馬の資料館にあれば、もっと格があがるのに、なあと思った。
★有馬資料館⇒水なし本陣⇒島原ロード⇒かまぼこ屋⇒ホーム。朝、9時に出て、夕方4時半に帰った。小型バスに揺れて、見学で歩いて、立っている時も多く、やはり足に堪えた。でも、ゲンキなうちは、歩けるうちは、出かけよう、見物しよう、体験しよう、そう思う気持ちは変わらない。

2018年11月28日水曜日

傾聴ボランティア女性が来る。何でも語って、アタマは、スカッと

ご苦労さま。待っていました。この女性が来ると、安心というか、ホットします。
★毎月1回、定期的に来て、こちらの語りを一方的に聴いてくれる人が、他に誰が居るでしょうか。2、3度は来る人も居るでしょう。でも17回ですよ。しかもボランティアで、自分のお金を使って、列車・バスを乗り継いで、後は徒歩でホームまで来る。2時間はかかる。大変ですよ。帰りも同じです。お礼金も、お茶1杯も受け取らない。1時間、ただ、相手の話を聴くだけです。女性は、話の最後の部分の言葉を相手に繰り返してあげる。意見も言わない。説教もしない。だから話す方は気兼ねがないのです。聴き手と、語る者の間に、壁も川も、ない。語る内に、ご縁が深まってくる。聴く者にとっては、以前と重複の言葉かも知れない。それでも忍耐して聴いて下さる。有り難い。
★語り始めは①生活のリズムだね。(三食完食、大のトイレ、安眠、歩ける)の様子。②老いと共に、これから先、身体的に、どうなるか、心配になり、不安もある。③生き甲斐は、あるのか。日記を書くこと、かな。これは自分のためでも、ある。④物の整理をする。不要な物は破棄していく。⑤職員や隣人とのトラブルは、ないか。⑥老いて、心境の変化は、ないか。話すことは、いろいろ有ります。
★こうして一方的に語る内に、当方のアタマは整理される。そして傾聴女性も、何らかの心的恵みを受けているらしい。お互いの恵みが成り立っていると感じた。当方は、傾聴女性については何も聞かない。何も知らない。
★この世の中に、こんな女性も居るもんだと、ただ、ただ感心して、甘えているだけです。「今度、いつ来れるの?」。次、12月の予定を決めた。
★今日は、ホームの「日帰り旅行」です。20人近くが、島原半島「天草四郎の原城」近くの宿(入浴と食事)に向かいます。帰りは午後4時頃になるでしょう。

2018年11月27日火曜日

「小崎さん、日記を読んでいます」と、突然、男性と出会いの喜び

毎日、「90歳日記」を書いている。何処で、誰が、読んでくれているか、全く分からない。ただ自分のために、ボケ防止のために、終末の心境で書きつづけている。そんな中、突然「お会いしたい」と訪ねて来る人が居れば、それは嬉しさと驚きを隠せない。
★事務室から自室に電話があった。「いま男性1人が、小崎さんのブログを読んで、お会いしたいと来られている」「自室にお連れしてください」「いや、それが時間がないそうです。お顔を見ただけで帰ります、と言っています」。メガネをかけ、デジカメを持って、玄関へ降りて行った。
★写真の男性が待っていた。東京の人、名前も告げた。「長崎空港へ着いて、レンターカーを借りて、直ぐに来ました」「日記を見ているんですか」「ハイ、2年前から毎日、読んでいます」「どうして日記を知ったんですか」「検索している内に、日記に行き当たりました」「そりゃ、どうも。何か、心に響くものがありますか」「ええ、それは、もう、あります」
★男性は、「おみやげは何も持たない。途中の花屋で、お花を買いました」。シクラーメンの鉢物だった。「ありがとう。お花まで頂いて」「これから長崎市へ出て、早くレンターカーを返すので、急ぎます。一目、お会いするのが念願でした。嬉しいです」。トマが握手を求めた。
★全く見知らない男性が、一目会いたいと、わざわざホームまで訪ねて来たのは初めてではないか。その熱意に心が動いた。男性のことは何も聞かない。訪ねてくれるのが有り難い。
★日記の、何が、人を惹きつけるのか。自分では分からない。ただ気持ちとしては、単なる日常の出来事や行事を示すのでなく、人の生き方や、苦労と喜び、悩みや困難、それらを乗り越えるひと言が欲しい。90歳。終末に向かう気持ちを正直に記したいが、限度もある。どこまで書けるか迷いもあるが、記録で吐露したいとは思う。
★「心に、ひびく言葉、手アカの、ついていない言葉、魂をふるわせるほどの、一句がほしい」。いま、一番うれしいこと、「小崎さんですか。会えて、よかった。うれしいです。日記、読みました。本、読みました」と、言ってくれる人に、出会うことです。

2018年11月26日月曜日

「尼さん」と親しく呼んでいる神戸の尼さん。思い出沢山ある

聖母の騎士でお祝い事があるとき、出席するのは、思いがけない出会いに期待している。それが秘かな楽しみです。
★左のお方、仏教の尼さん。私たちの間では、「尼さん」「尼さん」と呼んで親しんできた。今度も、本当に久しぶりにお会いしました。神戸にお住いで、6、7人の女性の親友をお連れしての参加でした。尼さん、もちろん、トマをよく覚えていてくださった。
★神戸の尼さんが、どうして聖母の騎士にご縁ができたのか。尼さんが話してくださった。あるお坊さんから、ルルドのお水を頂いた。病気を病んでいて、お水を頂くと、病気が快癒した。ルルドはどこにあるお水だろう。調べてみて、フランス。そこへ行けない。日本でも、ルルドは無いものか。探したら、長崎に、コルベ神父が造られたルルドがあった。そこでお礼に、お花を抱えて、ルルドのマリアさまにお礼の祈りに行った。それが1998年のことでした。ちょうど20年前のことです。
★その頃、聖母の騎士の受付に、修道士のフランシスコ中村さんが居た。フランシスコさんと親しくなる。この尼さんの特徴は、優しさ、誰とでも、すぐ親しくなる。相手を温かく心の内に抱擁する。慰める。オーラがあるんです。フランシスコ中村修道士を通じて、院長のコンラード濱田盛雄神父さんとも親しくなる。1999年には、濱田盛雄神父さんが主催の「ローマ・ヴァチカン・ルルド」の巡礼旅行に同行した。それを期に、「尼さん」「尼さん」と修道者仲間から親しまれた。
★トマが忘れる事が出来ないのは、アントニオ久松修道士が病気のとき、尼さんが仲間を連れて神戸から来られて、手厚く看護・介護してくださった思い出です。よく面倒を見てくださったのが、頭にしっかりと残っています。
★修道服と、尼さんのお姿で、一緒に祈ります。コルベ神父の愛の心が、私たち修道者と神戸の尼さんをつなぎます。その後も病気を病みながら、20年はお元気で、人びとの幸せのため活動しておられます。こういうお方を友に持つのは、大きな喜びです。

2018年11月25日日曜日

修道会の司祭叙階50年金祝、25年銀祝のお祝い、ミサと祝賀会

コンベンツアル聖フランシスコ修道会・日本管区の「兄弟の集い」の最終として、本修道会員の司祭叙階50周年金祝と、25周年銀祝のお祝いが、長崎・聖母の騎士教会に於いて行なわれた。
★左から金祝の①ベナンチオ水浦征男神父(77歳)=長崎・聖母の騎士。②ニコラス・スワイアテック神父(77歳)=愛知県瀬戸教会。銀祝の③チェチリアノ赤尾満治神父(52歳)=兵庫県西宮市仁川学院。
★祝賀ミサの司式は、ニコラス神父。彼の力強い先唱の声の祈りと、歌で始まった。同修道会の多数の司祭たちによる共同ミサ。沖縄のベラルド押川壽夫司教も参加された。説教は水浦神父。「15.262。この数字は何だか分かりますか。50年間、これだけ毎日ミサを捧げてきました。司祭最大の務めは、ミサを(完璧に)捧げることです。お祈りください」
★ミサの後は、教会ホールで祝賀会が行なわれる。ここでの水浦神父の挨拶。「日本に沢山の司祭が居られるが、私に自慢出来る事がある。それは体重が最も少ないという事です。生かされています」。水浦神父は療養中です。
★祝賀会のとき、押川司教は、水浦神父について、こう絶賛していた。「彼は上智大学の新聞学科を出たジャーナリズムの専門家です。教皇が来られたとき、日本の教会にとって貴重なメディアで苦労した。コルベ神父はメディアで最先端で生きたい司祭だった」
★ニコラス神父は、アメリカ人で、「日本に、33年間」宣教している、と述べた。
★赤尾神父は、壇上に家族と共に上がり、両親をはじめ一同を紹介した。生んでくれて、ありがとう。生まれてきて、ありがとう。そういうオーラーが輝いていた。赤尾家の皆さんは、「幸せな方、マリア」を合唱した。それは素晴らしい音楽だった。家族の支えで、司祭は育つ、その証を現実に目に前で見せてくれた。会場内は感動の渦に舞い上がり、喜びに満ちた。
★「順境のときも、逆境のときも、兄弟愛のうちに、一日一日を大切にしつつ、神から与えられた愛の奉仕を、これからも果たしつづけることができますように」(ミサ中の共同祈願より)
★お祝いのミサと祝賀会で、トマは珍しい女性に出会ったが、それは次に報告しましょう。

2018年11月24日土曜日

ペトロ神父。2人並んで、心は、いっしょ、だよ。仲間、だよ

「兄弟の集い」で会ったペトロ・イシトク神父。ルーマニア人。最初に聖コルベ館で会ったのは、2009年秋だった。あれから、2、3度、東京へやってきて、環境が自分に合うか確認して、とうとう日本に定着した。背丈は、トマと、イッショだよ。だから親しみが湧くんだね。「オレたち、仲良し、だもん、な」。またペトロ神父、声も、心も優しいんだ。気にいったよ。
★トマは普通、自分が小柄だとは思わない。しかしペトロ神父と一緒に写真を撮ると、ああ、こんなに自分はしているんだな、と思う。それは、それで、いいじゃないか、ネ、ペトロよ。小さくても、心は温かいさ。ヒトに負けないさ。気合は入っている。
★「ペトロ」と呼ぶと、彼は、すっ飛んで来る。彼は言った。「少年の頃から、ニッポンへ行きたい、こころがあった。神さまに祈っていた」
★歳はトマが90歳。ペトロ神父は49歳。今からが働き盛りだよ。期待しているよ。ペトロ神父、トマに聞いた。「ポーランド、何回、行った?」「10回、だよ」。フ、フ、フ、と笑う。
★実は、トマは、ペトロ神父とイッショに、彼の国、ルーマニアへ行くのが念願だった。ルーマニアは正教が8割で、カトリックは少ない。でもリッパな教会がある。修道院もある。ペトロ神父と手をつないで、巡礼したかった。2人を見れば、絵になるよ。話題にもなるよ。聖コルベ館に居るとき、手描きの色紙を売って、収益をペトロ神父の家族のルーマニアへ送金したことも数度ある。
★ペトロ神父は双子だそうだ。もう1人は女の子で、背がずば抜けて高いという。名前が、セシリア。「ペトロと、セシリア。双子の子供に、なぜ両親は名前を付けたの?」「お父さんの名前が、ペトロ。お母さんが音楽好きで、セシリア」。聖女セシリアは、3世紀に殉教したローマの貴族の『おとめ』。教会が建てられ、広く記念され、音楽の保護者として尊敬を集めている。ルーマニアへ行って、そのセシリアにも会いたかった。
★今度の「兄弟の集い」のとき、ペトロ神父が、ルーマニア織りの赤い布を、トマに、そーっと渡した。「おみやげ、もってきたよ」。前にも、もらったが、それは大事に、ホームの自室に飾っている。今度、貰ったのは、ごらんの通り、真っ赤な織物だった。縦、90cm。横、32cm。ペトロ神父さんが言った。「たぶん、これ、おかあさん、編みました」。母思いの遺品をくれるなんて、ペトロ神父さん、ありがとう。大切にするよ。
★昨日の「兄弟の集い」は不参加でした。今日は、最終日、司祭叙階金祝・銀祝のお祝いがあります。朝、朝食は湯江修道院で頂いて、8時45分に出かけます。それで日記は出発前の、早い時間に記しました。今日のお祝いのミサや説教、祝賀会の様子は、次の日に記しましょう。「真福八端を生きた聖マリア、私たちが聖性の道を歩めるよう、祈ってください」。では、行ってきます。