2020年12月7日月曜日

従弟・修道士ユスチノさんの命日。8年前、73歳で逝った。思い尽きず

従弟の修道士の命日。名前は、田川幸雄。修道士名は「ユスチノ」。2004年、東京で、逝った。73歳。
写真は、イタリア・アシジの聖フランシスコ大修道院の回廊に立つ、ユスチノ田川修道士。この修道院に、6年、勤めた。
ユスチノ修道士は、弁が立った。トマも入れての話だが「田川家は、『話が大げさ』『整理整頓がジョウズ』『心臓が弱い』」と、そんな声を聞いたことがある。
現地、アシジで、ユスチノ田川修道士の語る「聖フランシスコ大聖堂」の説明は、それは流ちょうで、中世期の貴重な壁画を通して、聖なる感動を多くの訪問者に与えた。洗礼を受ける人までいた。
彼が着任した年の日本人巡礼・観光客は、1万4千人だった。それが2年目、2万5千人。3年目、3万3千人。4年目、4万4千人。5年目、5万4千人と増え、6年目、彼が帰国する9月までに、5万8千人と増加している。実は、数字は、一桁・単位まで分かる。これも『整理・記録』する、田川家の一面を示している。「ユスチノ」さんは、アシジの地元の、おばちゃん、おじさん、ガイド仲間に、好かれた修道士だった。気楽に、だれ、かれ、となく、イタリア語で声をかける。トマも、その実態を見た。
アシジの修道院では、聖フランシスコのお墓と、遺品室の係りをしていた。日曜日には、信徒の間をまわって、献金を集めた。トマも何度か、ユスチノさんを訪ねたが、献金集めを強いられた。いまは思い出になる。大修道院の食堂の彼の席は、院長の至近距離だった。
★アシジへ行く前は、ユスチノさんは、養護施設の指導員を20年近く勤めた。子供たちは、彼の話を好んで聞いた。『大げさ』な話が心を引きつけた。夢があったのだ。
★アシジから帰国して、東京の修道院付きとなった。お通夜のとき、ホームレス達が、焼香に来た。逝った後、彼の部屋に入ると、タンスの中は、靴下、ハンカチ、タオル、下着など、『整理・整頓』きれいに分けて、乱れがなかった。感心したよ。
★トマは、彼の遺骨を抱いて、飛行機で、長崎へ。修道会の納骨堂に納めた。
★トマが、聖母の騎士へ入って、その後、彼も聖母に騎士に来た。2人とも、司祭を目指していた。2人とも、病いのため、修道士の道を選んだ。トマの父と、ユスチノの父が、兄弟になる。もっと、優しく、親しくしてやれば、よかったな、いま悔やんでいるトマが居る。 

2020年12月6日日曜日

20年勤めた介護の職員さんとの別れ。世話になった記憶。幸せを祈る

介護の職員さんが、退職することになった。
山内園長神父さんと、お別れの写真。
20年勤めた介護の職員さんです。
退職が惜しまれる。介護の主任を勤めていた。
看護師の資格も持っている。テキ、パキと仕事をこなし、頼りになる職員さんでした。
トマが、肺炎に罹った冬があった。夜中に、呼吸困難になる。ちょうど、その夜の勤務は、この介護・職員さんでした。自室に、大きなサンソ・ボンベを持ち込んで、看病してくれた。その朝、救急車で運ばれる。
★この職員さんは、芸達者。誕生会での「出し物」では、芝居がウマかった。
昨日の誕生会の「出し物」にも出演した。左側が、そうです。
声掛け、元気、明るさ、親切などで、ホームの人たちを介護した。20年だよ。その愛情は消えない。
★人、それぞれに、その人の人生がある。家庭もあり、事情もある。20年は、人生の足跡で長い歳月だが、別れは辛い。「幸せになって下さい」。それが願いです。
ホームと聖フランシスコ、忘れないで下さい。
★日曜日。待降節第二の主日。今朝のミサは、瀧神父さんが司式して、お説教を行なった。マイクに声が大きく通る。老人たちは、聞きやすい。「どんな話だったのか」。いま、アタマをしぼるが、思い出せない。サンタ・クローズの話はあった。
★ホームに居ても、人と、人の、つながりは、ある。特に、介護してくれる人との「つながり」は大切だ。どのような状態になっても、その人には、潤沢な過去があった。介護されて、動けなくなっても、その人にも、生きる価値はある。尊敬の念で、見詰めたい。皆さんのイノチ、誰でも、尊く、長く、生きてほしいと思う。
★「次は、何を、するのか。新しい、自分を、見つけたい」

2020年12月5日土曜日

誕生会と忘年会。今年は、いっしょに。出し物とゴチソウで、盛り上がる

月の初めの土曜日は? もう、皆さん、わかりますよね。ホームの誕生会です。
誕生会といえば、職員の出し物です。ホームの伝統の名物ですからね。
「おや、おや、そぎゃん、顔して、何んば、すっと?」。今は、準備中、後のお楽しみたい。事務長さんが、真ん中。介護の職員さんも居れば、看護師さんも居る。大きなマユ、おハナの上のチョン。それだけで、こんなに人相が変わるとタイね。なんか、楽しそう。誕生会は、スキばい。
★「や・すき・ぶし、ばい」
「なんで、安木節なの?」
「きょうは、誕生会と、忘年会も、いっしょ、たい。派手に、パアッと、やらんばね」
「ホントウは、ウナギば、食べさせたかった。ウナギの代わりの、ドジョウ・すい」。食堂には、ホームの全員が集まった。今月、誕生日を迎える人は、3人。みんなで、「ハッピバスデイ」を歌い、祝った。
★いよ、いよ、食堂に、入ってきた。
音楽に、合わせて、踊るよ。オドル。
床(ゆか)に、黒か、モンが、落ちとろう? それが、ドジョウたいね」
のぼせ上がって、踊るから、写真が、ウマク撮れんタイね。職員さんは、名・役者が多いからね。踊りが、ウマイ。
セリフなしだよ、ただ、ただ、踊る。見ている人たち、唖然、爆笑、拍手、それしか、ないよね。今年も、ホームは平和な日々だった。来年にも、希望を持とうよ。
「アンコール」で、又、入ってきた。
★ごちそうは、3組に分かれた。いろいろ有るよね。牛肉が好きな人、豚肉がいいと言う人、サカナが食べたいという人。
好みによって、席が変わる。トマは、牛肉だね。席は、いっしょ。瀧神父さんは、遠くの席に居た。何・組か、わからない。
栄養士さん、調理の職員さん、70人からの人に、一挙に食べさせる、大変だよ。感謝しかないね。
★きょうは、又、ホームの創立記念日でもあった。紅白の大きな箱入り饅頭も頂いた。めでたし、めでたし。

2020年12月4日金曜日

生きて下さい。生きる事に価値がある。短い一言が元気。聖ニコラオの日

大粒のブドウ。好んで食べるブドウ。
長崎の千草さんが送ってくれた。
「ゲンキを出しなさい。まだ、まだ生きて、皆さんに、希望と勇気を与えて下さい」
★今度の入院中に、ほど、ほど考えました。片方の腎ゾーで、70年、この歳まで頑張った。残る腎ゾーも、病んだり、ステントで突かれたりしたけれど、腎機能も、スレ、スレの所を維持して、よくぞ、この歳まで生きた。自分でも、『ふしぎ』としか思えない。呼吸しておれば、また、いい事も、ある。
★入院中、看護師さんに聞いた。「この病院で、ステント入れ替えの人、居る?」「ええ、居ますよ。きのう、退院されました」「え?そうなの。お歳は幾つ、ぐらい?」「80歳代ですかね」。この一言が、トマに、ググっと、希望と勇気を与えた。「ああ、居るんだ。じゃあ、オレも、がんばらんと、ね」。ジカに、心に入ってくる言葉って、有り難いよね。下を見れば、まだ、まだ、苦しんでいる人が居る。生かされている事に、感謝ですね。
★昨夜は、疲れが抜けたのか、ホントに、充分な眠りが取れました。気持ちが、明るくなる。
★きょうは、教会では、聖ニコラオ司教の記念日でした。4世紀のこと。貧しい家族がいて、父親は病気。生活に困窮し、娘が身売りの悲しい話が出た。すると、ある男性が、窓からお金が入った袋を投げ込んだ。その家族は助かった。
男性は、その後、司祭になり、司教になった。『ニコラオ』は、オランダ語で、サンタ・クロースというそうです。
北欧では、子供へのプレゼントは、きょう、渡すそうです。
★戦後、昭和20年代、30年代、聖母の騎士では、サンタ・クロースは、司教さまの姿をしていました。上の写真が、そうです。天使の姿は、神学生たち。ゼノ修道士の姿も見える。戦災孤児の施設の子供たちに、プレゼントを渡して、喜ばれた。懐かしい写真です。トマも、何度か、司教姿のサンタ・クロースを勤めた思い出もある。
★「人は、一人では、生きていけない。助けたり、助けられたり、お互いに、共存する社会でありたい」

2020年12月3日木曜日

フランス本場のルルドの聖水が届く。箱は良くぞ耐えた。トマも耐えよう

フランスのジャムさんから、「ルルドのお水」が届いた。
まあ、段ボール箱を見て、おどろいた。ボロ、ボロ。よくぞ、届いたな、と感心しての大きな喜び。箱には、追跡バーコードも貼ってある。どこを飛んで来たのか。中に、ジャムさんの便り。「夏に、日本へ行くつもりでしたが、コロナ禍のせいで中断。フランスでは、10月中旬に、ルルドへ行かれた。ルルドの泉の聖水を送ります。下旬からは再び外出禁止令が出ました」
★ホームに、4回、面会に来られたジャムさん。出会いは、トマが、長崎・聖コルベ館に居た時、夏の暑い日に、ジャムさんが訪問に来た。トマは、冷蔵庫で冷やした「聖母の騎士のルルドのお水」を飲ませた。ジャムさんが飲んだ一杯の水。その一滴、一滴が、細くつながって、この日に届いた「本場・ルルドの聖水」となる。
★出会いとは、どこで、どういう展開をするか、ふしぎなご縁です。それこそ「ルルドの聖水」のお恵みです。
その間、ジャムさんは「トマさんのことば」(野々村哲さん・塩沢美樹さん・編集)をフランス語に翻訳して、フランス人の皆さんに読んでもらっている。
今日の便りには「日本の皆さんのためお祈り致します。早く再会出来るのを期待しています。ジャム・ブリュノ」とあった。ジャムさん、聖水、有り難う。無事に届いたよ。
★ホームに帰った昨夜は、深刻でした。普通は、疲れたら、よく眠れる。老人は、疲れ過ぎると、寝つきが良くない。朝から病院での退院準備。自室に戻ってからの片づけ。知らない所で心身ともに、過酷になっていた。突然、心臓が、パク、パク。呼吸が増して、苦しくなる。様子がヘンだ。「このまま、死ぬのかな」と思う程。初めて、呼び出しコールの線を延ばして、枕元に置いた。呼吸を整えて、安ど感を与えた。
★何とか、収まったが、今度は、室内が冷える。肩の周辺が、寒い。ネルの肩掛けで包んで、やっと眠りについた。いつもの通り、4時30分起きる。平常の生活が始まった。
★日本に、キリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルの祝日。鹿児島に上陸し、平戸に宣教した。平戸の高台に、平戸カトリック教会がある。巡礼者を案内して、何十回となく教会で祈った。ある時、ミサ後、庭で、主任神父さんに挨拶したが、その時、神父さんが言われた言葉を忘れない。「平戸の人びとは、ザビエルの後ろ姿に惹かれて、キリシタンになった」

2020年12月2日水曜日

退院しました。やっぱり、ホームの「めし」がウマか。生かされる、感謝

今朝の病院での、朝食です。
明るい顔、しているでしょう。
手術の夜は、3回、看護師さんが巡回するのが分かった。
昨日の夜、主治医の先生が病室に来られて、「退院して、よろしい。次の診察日を決めましょう」と告げた。早速、濱田院長神父さんに電話をかける。「退院の許可が出ました」。高原修道士さんに変わってもらい、「10時、退院ね」
昨夜は、巡回の看護師さんを知ることなく、眠った。
★病室から見た諫早の町です。右側、遠く、山の白い建物が、カトリック教会でしょう。
10時、濱田神父さんと高原修道士さんが、出迎えに来られた。病棟・病室には入れない。エレベーターの前で、「有り難う」
濱田神父さんはご高齢なのに、来て下さる。「きづな」を感じるじゃないですか。修道士をわすれちゃイカン。別の泌尿器科の医師から「ああ、テレビ、出たね」と肩を撫でられる。苦しみがあっても、乗り越えて行こう、そんな気持ちになるよね。
★ホームに帰って、先ずは、ホッとした。「ああ、ここが、居場所だ」。ホームの人たちの中へ「スーッ」と入って行ける。昼食は、皆さんと一緒。食堂の皆さんの顔を眺める。自分の顔を、窓の外の、陽のあたる横長の建物へ向ける。「落ち着くな」。小さな感動だよ。
★洗濯係りの職員さんの温かい言葉。「洗濯物、出しなさい」。2日分の下着と、毛布を、洗い、乾燥させ、仕上げてくれた。「やっぱり、ここが居場所だよ」
★「イノチは、神さまのことです」。手術の日、無事に終わった後、手術台の上から主治医に言った。「先生のおかげで、イノチが伸びました」。これは、これで本当だな。与えられたからにゃ、まご、まご、しては、おれんぞ。「感謝する人が、まだ居るでしょう」「ハイ、日記を読んで、支えて下さった皆さんです。ありがとう」

2020年12月1日火曜日

入院2日目 無事にステントの入れ替えが終わりました

 手術時間は今までの半分くらいで平穏に行われ、ステントの汚れも無かった。
高原修道士さんが付き添いました。
今日は体の調子も良くゆっくり休んでいます。午前中に皮膚科の診察もありました。
多分、明日は退院出来るでしょう。
皆さんの支えと見守り、そしてお祈りを有り難うございました。