ホーム内にひびくスピーカーで、「電話です」と呼ばれた。半分、(世話かけるな)。半分、(誰からか、なんだろう?」の気持ち。自室を廊下に出て、10歩ぐらいの所に電話はある。
★ひさしぶり、靖子先生から、だった。「どうして、おられるか、かけたのよ」。元・高校の先生。30数年前になる。「もう、クルマに乗らないから」と、白色の普通車をくれた。その思いが、よぎる。もらった途端に、小長井町の施設の学校に転任になって、結局、乗らなかった。「教会に行けないから、さびしいわ」「買い物に行っていますか」「自転車で行きます」
★ご主人は、長崎大学の哲学・平和学の教授だった。靖子さんは「マリア・コルベ」。ご主人の真司先生は「フランシスコ」。2人は、自宅を改築して、一晩泊りのホームレスの受け入れをしていた。入浴させ、食事を提供し、畳の上で眠らせる。今も、つづけているか、訪ねなかった。真司先生も、自転車、と靖子さん。
★「ご主人さんは、居られますか」「電話の横に居ます」「代わって下さい」。真司先生の懐かしい声。哲学の先生に聞きたいことがある。
★「いま、『赦し』を考えています。今の世の中、赦されない事ばかりじゃないですか。事故や事件や、サギや、イジメや、赦されない。コルベ神父は、強制収容所で、ナチの兵隊を赦しただろうか。イノチを頂いた男性。『身代わりの愛』『お礼を求めない愛』『無償の愛』、本当の『愛』を貫いたからこそ、本当に赦し得た。愛と赦しが、うら、おもて、になっている。お互いに、対等に、和解して、平和が来る。赦しが平和の原点」
★「家族でも、親を誰が見るか、兄弟姉妹で、憎み合いがある。赦せない、と怒る。その姉妹に聞いた。『どうしたら、赦せるか』。答えは『時間と、祈り』と言った」
★「先生、教えてください。『赦しの構造』を」
★「いや、いや、小崎さんが考えている事が、哲学の先端ですよ。聖書の言葉、祈り、大事ですね」と、交わされた。
★仲の良い、靖子先生、真司先生、お声を聞いて、なんだか、ぼんくらアタマが、すっきりしました。足が、こわばって、自室に戻るのに、用心しました。
★「ヒトは人に抱かれて人になり、ヒトを抱いて人になる」(真司先生)
霊的な関わりは、いつどこからもたらされるか
返信削除わからないものですね。
全てが、トマさんのこれまでの行いによるものです。
素晴らしいことです。神に感謝です。
私は最近、赦しには “直接的な赦し”と“間接的な赦し”があるように
イメージしてみております。
空気の入ったフワフワとした風船のような赦しの姿が、
重なり合ったり、ふーっと離れたり、大きく膨らんだり、
“間接的な赦し”が“直接的な赦し”を包み込んだりしながら、
どうにかこうにか、時のうちに、フワフワと静まるべき所へ
納まっていくのかなぁなどと、考えます。
せめても私は、私の「スミを焼く」ことで、
赦されない事象の起きそうな場所が 何とかギリギリでも治まるように
努めたいと思います。
今日も、救いをありがとうございます。
かぶらってぃさん、折々のコメントありがとう。考えさせられるお言葉、ありがとう。「スミを焼く」など、覚えて下さって、隅々まで読んでいてくださる。よく、わかります。つづけて、支えてください。
返信削除トマさん
返信削除がぶらってぃの 勝手な追い回しのようなコメントに
返信をくださって、恐れ入ります。
救われております。ありがとうございます。