ホームの「絵手紙」で描いた。先生が、春の花を幾つか持って来られた。その中の「キンセンカ」を、えらんだ。「キンセンカって、どんな字を書くのですか?」。先生も、絵手紙の仲間も、書く漢字は、あやふやだ。ネットで調べてみると、「金盞花」。難しい字だった。
★花に添える言葉を考える。ごらんの言葉にした。今年の冬は温暖化で、風邪も引かずに乗り越えた。安どした。昨年は、ニガイ経験。急性肺炎で救急車、入院して苦しみ、大変だった。それを思えば、今年は穏やかな春です。テレビや新聞では、新型コロナで大きく揺れている。ホームは平穏で、静かです。
★すっかり春めいて、屋外も、パァーッと、明るくなった。「春を、よぶ。幸せを、よぶ」。そんな感じだよ。きょうは、ゆっくりと過ごしている。
★食堂で、私の食卓の席から、真っ直ぐ前を見ると、前方の端に、いつも100歳の女性の姿がある。小さなカラダの背を前のめりにして、何も語らず、黙々と食べている。「リッパだな、エライな」という感じ。介護なし、自分で押し車を引き寄せて、確かな足取りで、サッサと食堂を出ていく。だが、一方で、正直言うと、ただ「存在している」という感じが、しないでもない。「人は、どのようになっても、生きる価値がある」とは言うが、100歳女性には、なにやら切ない気持ちも感じる。それが本音だ。100歳になっても、笑える人、語る人でありたい。
★「絵手紙」の「山吹」です。2枚目に描いた。
★ある時、シスター経営のホームで、こんな話を聞いた。このホームに100歳の男性が居た。100歳まで生かされた時、彼は決心した。「自分には先祖からの宗教があり、変わるのは良くないと思ってきた。シスターの手厚い介護に、わしは負けたよ。シスターの宗教に入りたい、洗礼を受けることにしたよ」
★それを聞いて、シスターは、ナミダを流して喜んだ。100歳まで、生きた意味はあったのだ。車椅子の男性だったが、こうも言ったそうだ。「100が、わしの人生、折り返し点。神さまの恵みを受けたからにゃ、モーゼの年令まで、生きまする」
★うちの、あの100歳の女性、今朝、ミサ後に、後ろを見たら、こんな朝、早くなのに、ちゃんと教会に来ていたよ。トマは瞬時、思った。「マイッタ」
きんせんか、山吹の花の絵のように
返信削除明るく楽しく拝読致しました。
いろいろ考えながら読んでいましたが、最後の文章に声を出して笑ってしまいました。
返信削除小崎さんのブログは、義母との暮らしに役立つお話満載です。
栄養価、食感、見た目、いろいろ考えて毎日の食事を考えていますが、案外シンプルな方が食べてくれたりして、「あれ?」って思ったり(笑)
できることなら、その100歳の女性に「まいったよ」と伝えてみてください。喜ばれると思います。
送信ミスしてしまいました。ごめんなさい。
返信削除上の分は「まゆみ」のコメントです。