2020年3月8日日曜日

日野原先生の本を読む。「イノチ」とは何か?10年前のメモから

2月22日の日記のコメントに、匿名さんから、日野原重明先生の著書の紹介があった。本の題名は、「愛と、ゆるし」。早速、ネットで注文した。昨日、その本が、手元に着いた。読んでいます。
★なぜ私が、この本の題名に惹かれたか。いまの世の中、「赦せない出来事」が余りにも多すぎる。イジメがあり、殺傷事件も、無謀な運転事故や、ダマすサギ、テロ行為、などなど多々ある。当事者にとってみれば、どうしても「赦せない」「赦すことは出来ない」
★だが一方で、悲しいことには、赦さない人の心は、安らぎがないだろう。苦しむだろう。一方では、「赦しなさい」の声も聞こえてくる。人は、逆境の環境に落ちても、本当に、赦せるのか。私は、「赦せる人」は、その裏付けに、「愛」があると思うのです。そこから「愛と、赦し」の興味が出てくるのです。
★ネットで調べたら、癒しの医師、日野原先生の言葉集に「残された日々、なにより大切なのは、これまで以上に『深さ』を求めることではないか」があった。
★日野原先生が、テレビに出て、小学生たちに話したメモが、私の手元に残っている。2010年1月のことだった。小学生たちに次の話をしている。
★「命を持っていると思う人は、両手をパッと上げて下さい。どこに命を持っているの?(小学生は、ここ、と胸を指す)。命は心臓にあると言ったんだけど、心臓は、命では、ない。私たちの命は、ね。目には見えないの。空気、見える?サンソ、見える?大切なものは、目に見えないんです。命を目で見ようと思っても、さわろうと思っても、できないでしょう。だから命というものは何かというと、皆さんが持っている時間のことを命というの。生きているということは、皆さんが持っている時間を何かに使えるということ。死んでしまったら、自分で使える時間もなくなる。一度しかない自分の時間、命をどのように使うか、しっかり考えながら生きてほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」
★この話を聞いて、当時の私は次の感想を書いている。「これで良かったのかな、という誘惑に落ちた。なぜ、だったのか。残り時間が少ないから。未来がある時は考えない。イノチは生かされた時間だと、わかったとき、ナゾは、とけた。生かされた時間を与えられたのは、なぜか。我が人生が有ったからだ。(もう、10年前になる)
★癒しの医師・日野原先生は、2017年7月に逝かれた。105歳。「愛と、ゆるし」の本を開くと、冒頭に、2ページにわたって、ペトロ手紙1、1章3-12が載っている。しばらく読むと、フランスのルルド巡礼印象も書かれている。愛読できそうな書だ。

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