山の養護施設・聖母の騎士園祭があると聞いた。招待は無かったが、懐かしくて出かけた。戦争が終わった次の年の冬に、施設が出来た。ゼノ修道士さん達の尽力による。
★終戦から数年が経った25歳のときに、施設の修道院にお世話になった。11年を過ごした。当時は男子ばかりで、毎日、事件が起こり、逃亡者も多かった。近くの村も荒しまわった。それでも子ども達は成長し、子ども達と学び、運動会は野外劇で盛り上った。「天草四郎の物語」は、町の小学校の運動会でも、特別出演した。
★2度目は、昭和から平成に変わる年代で、57歳から6年間を過ごした。施設には男性も女性の子ども達も入所していた。施設の小・中学校は、入学式、卒業式、運動会などは父兄や来賓も少なく、寂しかった。後援会をつくり、諫早から十数人の女性たちが来賓として顔を出して、励まし、支えてくれた。温かい愛情を注いだ、その十数人も時代と共に老いられたが、今日はその中の1人と出会い、当時の支援を感謝した。「本当に、その節はお世話になりました。お元気で何よりです」。お名前は忘れたが、お顔はしっかりと覚えていた。
★施設が出来てから、70年が経っている。どれだけの子ども達が育って行ったのだろう。子供や孫も出来ているだろう。老年も、壮年も、幼い子も居たが、私を知る者は他には居なかった。それでも建物や、成長した樹木を眺めたとき、心に熱いものを感じた。
★ちょうど連休を利用してか、広島から岩本さんご夫妻が車で施設の私の処まで訪ねて来られた。「広島へ来たかった、いつでも連絡しなさい。車で迎えに来ます」。施設の園長・山下神父さんと一緒に写真に撮った。