三度の食事の時間が近くなると、自然に、食堂の入口の長椅子に、毎回、同じ顔ぶれが集る。扉が開くのを、ジーッと待っている。食堂内では既に介護が必要な人たちが食べている。歩ける人も、どうしても食事に時間がかかる人は、早めに入れてもらえる。健康な人たち、車を押している人も辛抱強く待っている。
★誰かが、「ゼンザイが食べたかね」と言った。そういえばホームに入っている人たちは、自分の好みの食事は食べられない。私は、ぼんやり、「そう言えば、夏に、トウモロコシの蒸かしたのを食べたかったな」。テレビで食べている姿を見たのだ。食事に対して、特別な好みや思いは無いが、やはりホームの生活は寂しいと思う。
★お昼のメニューは、さつま芋ご飯、柔らかチキンソテー、ゴボウのおかか煮、つけもの、こんぶのすまし汁、ブドウ、だった。食事のときは、皆さん、会話も無く、黙々と食べている。食べる時間が早い。もっと、ゆっくり、くつろいで食べたいと思うが、そうは行かない。あと片付けがあり、洗いがあり、掃除もある。
★やっぱり、自宅で、一人ででも、自由に暮らしたい思いは起こるだろう。ホームに居れば、食事はカロリーで計算され、健康が保てる。独り暮らしは、そうはいかない。ホームの人の長生きは確かだ。自由を選ぶか、管理を望むか。結局、人間、最後は歩けなくなります。前にも書いた。「人は、オシメで始まり、オシメで終わる」
★何んか、暗い話になった。屋外では、雨の降る音がしきりにしている。「アッ、ピカッと、いなずまが光ったよ」
いつも読ませていただいています。お祈りしています。
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