山の女子修道院を訪ねた。1人のシスターから、終戦直後の話を聞いた。終戦のときは、14歳、大阪に住んでいた。戦争で、どこも、かしこも、焼け野原になった。「神さまは、こんなことを許されるのだろうか」。神に対する疑いさえ起こった。
★長崎で、親戚が結婚するというので、興味もあって、長崎へ向かった。洗礼は既に受けてはいたが、浦上の惨状を目の当たりにしたとき、更に、神に対する疑いは深まった。「神さまは、こんな悲惨を許されるのだろうか」
★長崎駅に着いたとき、ゼノ修道士に出会った。汚れた修道服に、やぶれそうなカバン。孤児たちが駅に降りると、ゼノさんは、父親以上の愛撫をする。短い言葉、とぎれ、とぎれの言葉で、ゼノさんは誰彼なく話しかける。日本人じゃない。外国人が、です。「神さま、浦上の人たち、みな天国。残った人たちを、助けるのは、私たち。マリアさまが、すべてのことを、して下さいます」。少女は、ゼノさんのことばに興味を持った。
★ゼノさんの懸命な姿に接したとき、14歳の少女は、「神さまは居られる」と直感した。少女はゼノさんに聞いた。「こんなに子どもたちを抱いて、お世話を誰がするんですか?」。すると、ゼノさんは直答した。「あなた、です」
★ゼノ修道士に、子どもたちと一緒に、聖母の騎士修道院へ連れて行かれた。それから福祉の仕事が始まった。数年後、シスターとなり、原爆孤児、戦争孤児の施設で働いた。あれから何十年、いまは障害者施設の修道院で14歳からの仕事を続けている。86歳になった。
★[天国に行くには、この人たちのために、働くこと。みんな救われます」「恵んでください。マリアさまのお恵み、必ずあります」。みんなは「ドーゾ」「どーぞ」と下さる。ゼノさんは、もらった物は一切食べない。使わない。修道院の固いパンだけ食べた。
★その印象が、シスターの心に強く残って、励ましとなっている。
ゼノさんを思い、シスター、小崎さん
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