食堂の脇に、人知れず咲いている「アンネのバラ」。今日は、昭和の日だそうです。
★私なんか、昭和っ子。昭和3年に生まれる。世界恐慌があった大変な年であったらしい。北朝鮮で生まれた。昭和7年には、お隣に「満州国」が成立した。軍部の台頭があったが、当時の北朝鮮は静かな良い古里だった。
★昭和は64年までつづいた。ホームには「大正生まれが何人居るだろう?」。そんな興味も湧く。昭和から平成に代わったのは1月で、1989年のことで一番、日本が豊かな時代だった。私は山の小・中学校に居た。銀行に預金を預けると記憶では、8%の利子がついた。
★昭和天皇さまが、天皇では一番ご苦労なさった。軍部の台頭、戦争に突入、敗戦、マッカーサーの支配下に置かれる。マッカーサーと一緒に撮った写真が痛ましい。昭和24年だったか、長崎の養護施設で、全国行脚の天皇さまをお迎えした。戦争中は「現人神(あら・ひと・かみ」と軍部から教えられ、キリスト信者は苦悩した。食堂で、同じ食卓の女性に聞くと、五島まで天皇さまは来られたという。その時、廻って来られた天皇さまは、疲れた背広を着ておられた。昭和はその後、大きな発展をとげる。
★北朝鮮の(旧制)中学の受験のとき、口頭試問で、「君は、天皇陛下の軍隊と、キリストの軍隊が戦ったら、どちらに付くか」と問われて、「キリストの軍隊」と答えて、泣いた。試験は合格だった。戦後、合格点を与えた先生は偉かったなァと思う。
★修道士で育った私は、昭和の歌謡曲を覚えていない。ホームに来て、「カラオケの日」があるが、歌えないのが残念だ。賛美歌やラテン語の歌ばかり覚えた。ホームの老人たちは、女性も男性も、よく歌の文句を覚えていて、楽しく歌っている。歌謡曲に青春があったのです。彼らの歌の中に入って行けないのが、もどかしい。
★長生きしたお陰で、長崎・原爆、アウシュヴィッツ、チェルノブイリなど知った。ただ1つ、気がかりな場所がある。生まれ育った北朝鮮の都市の庶民がどんな暮らしをしているか、だ。
★「人生、何が、まわって、くるか、わからない」「ああ、ソーナノ」「ダ協して、受け入れて、いくのが、チエ者か」
★アンネのバラを見ると、何だか、悲しい。
小崎様、お久しぶりです。面白い話ありがとうございました。中学の受験は、キリスト教の先生ではありませんでしたか。オーストラリアのグウィン。
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