「あなたに問う。①神にめぐり合った日、神を感じたときは、いつでした?②信じると、どんな体験があるか?」
★自分の人生で、即、いえるときは、浦上・原爆の日でした。トンネル工場に入るときは、緑があった。家があった。人が歩いていた。被爆後、1時間あと、トンネルを出て、おどろいた。腰を抜かした。営々と築いたものは、すべて破壊される。青空を仰いで、神を感じた。次いで、修道士になった日、誓願を立てた日、50年前になる。やはり神を感じた。大きな体験は、それだろう。その間も、多々、神を感じた日、事があったに違いない。
★信じると、どんな体験があるのか?日々、何者かに守られている。導かれている。そう感じる日々、事があるだろう。思い出すのは、コルベ神父の生涯である。自らに対する問いかけは易しいが、答えは難しい。それだけ、まだ信仰の確信が足りないのだろう。
★午前中は、整骨院の車が迎えへにきた。「調子は、どうですか?」。毎度、聞かれる。「ハイ、いいようです」。大きな声で返事した。両ヒザに電気をかけて、電気棒で両ヒザをこすって、治療を終わる。車で送ってくれる。原爆手帳があるので、治療費は払わない。おかげで助かります。
★昼前、携帯に、「教えてください」と問いかけがあった。「なに?」「日本26聖人は殉教のあと、遺体はどうなったのですか?」。いきなり、400年前か、そんな時代に引き戻される。おそらく26聖人は神を体験し、神と交わり、神がすべてと、イノチを捧げたのであろう。
★26聖人が殉教するや、信者たちは竹矢来を押しやぶって乱入し、したたる鮮血を衣に受けたり、十字架を削ったり、衣服のすそを切り取ったり、血で染まった土を掘ったりして、一瞬、場内は混乱した。聖人たちの遺体は、40日間、西坂にさらされていた。言い伝えによると、鳥は全く寄り付かず、夜になると聖骸から光が出ていたという。遺体は、信者たちによって大切にされ、国外へ移送された。明治になって、プチジャン神父と信徒のドミンゴ森松次郎がマニラに渡り、半年あまり調査して、遺骨や資料を発見することができた。
★ドミ二コ森松次郎の姉が、カタリナをせさんで、をせさんの息子がイグナシオ森与重さんで、その与重さんの息子さんから、もう昔に聞いた話であった。
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