長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年8月3日日曜日
みごとな桃を手にして、いのる。カンシャのお礼です。
★リッパな、桃が届きました。普通の桃じゃないのです。広島の桃です。6月24日、広島へ出かけたとき、岩本八智子さんのお宅にお世話になった。日記にも書きました。長男さんが、広島空港の近くに、一山、桃の山を持って、栽培しておられる。以前からある農園を引き継いで、ここ数年、長男さんが作っている。見事な桃が実りました。八智子さんが送ってくれた。「食べて、ゲンキを出してください」。食べごろの桃でした。★日曜日。教会で、ミサを祈った。「なぜ、祈る?」。心に問いかける。「なぜ、オレは祈るのだろう」。個人で色々理由はあるでしょう。祈るのは、なぜ?イノチを与えられている。カンシャです。イノチは神さまのことです、と思っている。生かされているでしょう、今日まで。長い年月、イノチを与えられた。お恵みですよ。お恵みならば、お礼の祈りをささげる。★毎朝、5時に起きます。聖堂へ行って、声をあげて祈ると、身が引き締まってくる。「祈れる自分」。ありがたいと思う。声をあげて祈ると、健康にも、精神にも、いいのです。★ああ、そうだ、まだ桃のお礼を言っていなかった。電話をかけよう。お礼を、言おう。これも1つの祈りです。
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お元気でお祈りのご様子に安心致しました。(^-^)
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