長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年8月1日金曜日
8月。熱い夏。被爆の月。どんな家庭を望むか。
「少し、やせた、ね」と言われる。「ビクッ・・」と、しますよ。体調が良くないのか、なあ。ひざ・関節の治療に出かける。両ひざ、電気をあてて、保温をして、注射をしてもらう。筋トレも頑張ろう。歩行の大切さを知るようになる。★熱い夏の8月が始まった。終戦、69年。原爆、69年。母が被爆死して、69年。これだけ並べれば、熱い夏の意味がわかるでしょう。わが人生の原点になった夏です。マンガ「焼けたロザリオ」。この本にまつわる夏です。★「今度、生まれ変わったら、どんな家庭に生まれたいか」。夜中に、ふと、目がさめたとき、考えた。寂しい家庭だったからね。1人っ子。父は、7歳のとき病死。母は、17歳のとき原爆死。孤児になって、寂しい人生だった。にぎやかで、兄弟姉妹が多くて、じゃれあって、ケンカしながら、愛を感じて育っていく、そんな家庭に生まれたかった、よ。修道士の道を進んだから、自分で家庭を作ることもなかったし、ね。悔いは、ないよ。しかし、賑やかさのは、あこがれる。
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30日、31日で子供たちを連れて長崎に行きました。純心大学博物館であっている原爆展や文教キャンパスの永井隆先生の「燔祭のうた」が刻まれている慈悲の聖母像にお祈りしてきました。
返信削除カトリックセンターに泊まって浦上キリシタン資料館にも行きましたよ。トマ修道士は天草に行かれてるとの事だったのでコルベ館にはまた次回、ルルドにももう少し涼しくなってから行きますね。それにしても暑かったです(>_<)原爆がおとされた日もこんな暑い日だったんだろうなーと思うと胸が締め付けられる思いがしました
小崎さんは暑い中ご旅行出来るのですもの。
返信削除お元気な証拠です。
私も腎臓の働きが悪いのですが体調が悪くなると浮腫み太ってみえます。
小崎さんがスリムに見えたのは
浮腫みがなく体調が良いのだと思います。
膝に負担をかけないためにもスリムな方が良いですよ。
いよいよ原爆投下の日が近づいてきました。
今年も原爆投下の日が近づいてきました。
返信削除小崎さんに感化されて日帰りの旅をしてみました。
返信削除赤羽教会のミサで神父様に祝福していただき、騎士誌の7.8月号を購入してカバンに入れました。
次は蟻の街のマリアの潮見教会へ。昔の木の十字架や、先日の漫画も置いてありましたよ。
その後、どうしてもルルドのマリア様にお会いしたくて、東京カテドラル聖マリア大聖堂へ行きました。本河内のルルドを思い出しながら、ゆっくり過ごしてきました。
で、翌朝(今朝)、騎士誌8月号を開いてびっくり!小崎さんの記事、エリザベト北原怜子さんではありませんか。
もう出勤時間なので、お昼休みにあらためて読みますね。
7月号の記事もゆっくり読みます。