1枚の写真が送られてきた。裏の日にちを見ると、2005年8月14日。聖コルベの祭日に写している。よく考えてみると、この日、管区をあげて、聖コルベが長崎へ上陸した75周年をお祝いしていた。セルギウス修道士さんは、まだ健在であった。聖コルベの思い出を語った。フランシスコ中村修道士さんも、長崎で頑張っていた。いまは老人ホームで静養している。写真の青色の服、岩本ヨシエさん、今年の7月に、91歳で亡くなった。セルギウスさんの左側が、娘の八智子さん。ヨシエさんが神に召されたのは、大きなチカラ落としであった。もう40年程前に、広島から、オラッショの旅に参加された。それがご縁で、長い付き合いがつづいていた。ヨシエさんは全くお医者さんに罹ったことがない。でも今年、カラダの調子が思わしくなく、お医者さんへ行くと、腹水がたまったいた。ご本人も、お腹に水が溜まるようでは、先が短い、と言っておられた。それから、もう神さまに召されるのを覚悟しておられたのであろう。信仰について、「わからん、わからん」と言っておられたが、安心した最後だったと、娘さんが知らせてくれた。11月に入った。この月は、カトリックでは死者の月と呼ばれて、祈ることが勧められる。最近、亡くなった方が多く居られる。彼らの平安を祈ります。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年11月1日金曜日
11月は死者の月。支えてくれたヨシエさんは神に召された。
1枚の写真が送られてきた。裏の日にちを見ると、2005年8月14日。聖コルベの祭日に写している。よく考えてみると、この日、管区をあげて、聖コルベが長崎へ上陸した75周年をお祝いしていた。セルギウス修道士さんは、まだ健在であった。聖コルベの思い出を語った。フランシスコ中村修道士さんも、長崎で頑張っていた。いまは老人ホームで静養している。写真の青色の服、岩本ヨシエさん、今年の7月に、91歳で亡くなった。セルギウスさんの左側が、娘の八智子さん。ヨシエさんが神に召されたのは、大きなチカラ落としであった。もう40年程前に、広島から、オラッショの旅に参加された。それがご縁で、長い付き合いがつづいていた。ヨシエさんは全くお医者さんに罹ったことがない。でも今年、カラダの調子が思わしくなく、お医者さんへ行くと、腹水がたまったいた。ご本人も、お腹に水が溜まるようでは、先が短い、と言っておられた。それから、もう神さまに召されるのを覚悟しておられたのであろう。信仰について、「わからん、わからん」と言っておられたが、安心した最後だったと、娘さんが知らせてくれた。11月に入った。この月は、カトリックでは死者の月と呼ばれて、祈ることが勧められる。最近、亡くなった方が多く居られる。彼らの平安を祈ります。
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