2013年11月3日日曜日

巨人が負けると、塩なし料理。いつも思い出される修道士。

昨夜、野球の日本シリーズがあった。楽天と、巨人。あと1勝すれば、楽天が優賞。地元・仙台の球場で、試合は盛り上がった。強いものには、応援しない。弱いものに、応援したくなる。それが気性だから、仕方がない。当然、楽天に勝たせたい。いよいよ試合が始まった。テレビを見ていた。「おお、いいぞ」。楽天が、点を入れる。「よし、よし」。しかし試合の中途で、巨人が点をいれて、雰囲気が逆転した。「ああ、もう、試合は、見られない」。負けた試合を見ると、心臓によくない。結局、やっぱり巨人は強いな。底チカラが、ある。最初は負けていても、最後は必ず勝つのが、巨人。だから巨人は、スカン。あとの試合は、どうなったか、見なかった。楽天の逆転は、ないだろう。今朝、早朝のラジオで、楽天が負けたと、知った。「ああ、やっぱり、ザンネンだったな」。日曜日。ミサが終わって、朝食の食卓に、6人がいた。「巨人が、勝ったね」。野球の話が出た。食卓には、ほとんど野球の話は出ないのだが、今朝は、めずらしく出た。長崎では、巨人の話が出ると、その、つながりで、必ず、1人の修道士さんの名前が出る。巨人のダイ・ファンで、彼は炊事の担当だったが、巨人が負けると、おかずに影響した。手元が狂って、塩を入れない。入れたかと思ったら、2倍も、3倍も入れる。当時、食卓には、20人以上の数があった。巨人が勝って、困るのは、みんなだった。今朝の食卓にも、その修道士さんの名前が出たというわけだ。「彼は、71歳で亡くなった。いま生きておれば、87歳になる」「ああ、もう、そんなに、なるか」。今朝は、巨人が勝ったことで、その修道士さんが思い出された。外海出身の、話題の多い修道士さんだった。

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