書きましたよ。「声を、大きく、出しましょう」。よく、言われるんです。電話に出るでしょう。「モシモシ、ハイハイ」「え?小崎さんですか?ゲンキな声だな。病気じゃ、なかったんですか」「ゲンキだよ。まだ生きているよ。へ、へ、へ」。ここまで書いたら、「ピン、ポン」「あれ、誰か、来たよ」。資料室を覗くと、細身の男性1人、白髪まじりの髪が肩までたれて、胸にペンダントあり、(あれ、男性?女性?)と瞬時に思った。どうも男性らしい。彼が言った。「11年前に、来ました」「どうぞ、ごゆっくり」と言って、また日記の、この続きを考え始めたが、どうも気になる。再び覗くと、北原玲子(さとこ)の展示の前に立っていた。「若い頃、北原さん(蟻の街)を知り、ゼノ修道士を知り、コルベ神父を知った」と言う。私は10時に予定があった。まだ10分あるので、「ビデオ、見ますか」と訊ねると、「お願いします」。ビデオの後、彼が「学会で長崎へ来た」と言う。私の本も読んだという。そして次の話を彼がした。「原爆で、永井先生は重傷を負った。ルルドの泉で癒された。奇跡です。その3日前か、永井先生は杖をついて、苦しんでいた。そこへ飛田から・・・」「え?トビタですか?知らないな」「若者が助けを求めてきた。永井先生は、自分も重傷で行けない。断った。すると今度は、飛田の名のある人が頼みに来た。永井先生は、コンチクショウ、死ぬ覚悟で、意地でも行ってやる。純心の修道院長さんに出会った。院長さんは、医師は単純に、愛の心で行きなさい。治してあげたい心で行きなさい。そう言われて、飛田へ治療に行った。如己堂随筆の後ろの方に書いてある。奇跡は最初のページに書いてある」。私の知らない話だった。詳しくは分からないが、後で如己堂随筆を読んでみよう。結局、人を見て、差別するなの教訓ではないのか。そのことを、この男性か、女性か、首をかしげる人から教えてもらった。「学会」と聞いていたので、「大学の先生ですか?」と問うと、名詞を下さった。東京の著名な大学の教授だった。「経済学博士」と刷り込まれていた。時計を見ると、私の予定の時間は、15分過ぎていた。「私は失礼します」と言って、握手を求め、先に資料室を去った。私は心のなかで反省した。
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