歳をとって、微妙に、迷っているのです。若い頃は、良心に背く行ないをして、本当に悪かった、ダメなオレだ、そう思いました。ハッキリしていた。だから告白もしてきました。正直に。ウソを言っては、いけません。恥ずかしい罪でも、正確に打ち明ける。踏んだら、ワルイですよ。罪の意識がある。踏んで、平気なら、キリシタンじゃない。罪の意識が、有るか、無いか。これは大事です。有りましたよ。それでも、また踏んでしまう。コンチリサンを唱える。決心は、します。踏みたくない。イヤです。拒否する。ところが最近、歳をとって、過去を思い出すとき、良心に背く行ないを成したこと、単純に、ああ、ダメだったと、思えないのですね。人生に、そういう体験が有って、良かった。肯定する気持ちさえ、有る。これは、どういうことですか。歳をとって悩むことがある。ハッキリ、わるかった、認めなさい。降参しなさい。人間って複雑と思います。そのとき、罪の意識が有って、ごめんなさい、と述べて、何年たっても、あれは悪かったと思わなければ、本当じゃない。むずかしいです。
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