長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年3月8日木曜日
クルマは、リッパ。親友の運転で、雲仙を走る
「オバマへ行くなら、送り迎えしますよ」。藤下さんが申し出てくれた。彼の家は、ちょうど温泉へ行く途中、『愛野』にある。聖コルベ館に勤める前、(20年以上になるが)、多良・山中の、養護施設にある(私立)小・中学校で働いていた。その時の教頭先生が藤下さん。「いいクルマ、持っているね。じゃあ、お願いね」と、この度は、4日間、お世話になった。走る車中での話は学校時代のこと。私は「6年間、子どもに接した体験も有ったが、公立の校長先生との会合や接触を持った、これが人生のタメになったね」。『キレル』『ムカつく』の時代で、小学生たちは、女の先生の言うこと聞かない。山学校ばかり。なのに、背中にオンブされて喜ぶ。男の先生が「これ、しなさい」と言えば、小4のクセに「オマエが、せろ」と口答え。「これが学校か・・・」と先生。「いろいろ有ったなあ」と、今は笑いだけ。「リッパになって、スーツ着て、見せに来たよ」と藤下先生。その先生がポツリと言った。「原爆で亡くなったお母さん、骨も、何も無いなんて、可哀想ですね。身の回りのモンとか、形見とか、無いんですか?」「なーんにも、ナカよ」。しばらくクルマは無言のまま走っていた。
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