長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年3月9日金曜日
今から、温泉宿を出発します。無事に帰った
「キリスト教の修道士」って言えば、どうも相手さんが、「え?なに?」って1歩、引くというか、構えるというか、こっちが感じるんですね。でも、こんな話なら、普通の日本人なら誰でも受け入れるでしょう。「みなし子の小僧さんが居った。お寺の和尚さんが、可愛そうに思って、引き取って、小僧さんはやがて師匠に付いて修業して、リッパなお坊さんになった。災害や争いで亡くなった人の供養をしている・・・。同じですよ。少年の頃、両親を失い、弧児になった私を、外国人の宣教師が可哀想に思って、引き取ってくれた。少年は修道士になった。原爆や災害で亡くなった人の冥福を祈っている。キリスト教も、お寺さんも、人間が生きる、人間が求める、その心は同じでしょうが・・・」。ああ、ここまで書いて、話はいいんだが、修道士は温泉に浸かっているじゃないか。そう言いながらも、写真は今朝、定宿『富士屋』さんを出発するときの記念です。左が宿屋の会長さん。『焼けたロザリオ』を差し上げた。右がドライバーの藤下さん(元・教頭先生)です。火曜日から、4日間、クルマを運転してお世話になった。無事に聖コルベ館まで、送り届けてくれた。「やっぱり運転しないと、ラクだね」。またお願いします。
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