長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年3月11日日曜日
アントニオ久松修道士、納骨の日。祈りのなかで
身近な出来事は何でしょうか。東日本大震災の1年目。多くの人が亡くなり、多くの人が苦しんでいます。遠い長崎にあって、ミサのときお祈りしました。原発事故は恐ろしい災難です。被爆者として、チェルノブイリ見学者として、思いは色々ありますが、今日、私にとって大きな出来事は、修道士アントニオ久松さんの納骨の日です。午後から教会でお祈りし、浦上の墓地へ行きます。今年の2月10日の日記に葬儀のことを書きました。そのとき、「90歳のトラピスト・シスターのお姉さんから、84歳の弟・修道士へ」の手紙を載せました。この日記で、手紙を読んだ女性が内容に心を打たれて、文書をコピーして、友人・信徒仲間に配りましたと、お知らせを頂きました。貴重なお手紙でした。写真は2年前の夏の久松さんです。ロザリオを手にして、「祈っていますよ」と明るい表情を見せました。「神さまが私たちを待っています。(お姉さんの便り)」。永遠のいのちを信じ、希望して、この世を去った修道士の兄弟よ、私たちに、いちまでも、つながっていてください。
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冥福、祝福を祈ります。Twitterから来ました。
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