長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月26日木曜日
訪ねて来るだけ、エライなあ。希望は失うなよ
神父さんのお勤めは大変です。精神的にも大きな負担がある。神父さんのお勤めの内容を詳しく述べる気持ちはないが、人間の力では出来ない。中には聖職を離れていく人も居るのも事実です。そのような人に対して、修道士の私の視線は厳しいものがある。なぜか、理由がある。それは私が司祭になろうと頑張ったが、長年の病気のため、道が断たれた。折角、いただいた聖職を離れるなんて、私に言わせれば、「意気地がない」「オトコじゃない」。これまでは、そうでした。ところが昨日、聖コルベ館の閉館まえに、1人の男性が飛び込んできた。「〇〇です・・・」と言った瞬間、私が、「ああ、〇〇出身の・・・」と、すぐ浮かんだ。彼も私を覚えていた。「トマさん」と気安くいう。「50年ぶりに来ました。すっかり変わっていてビックリ」。彼の頭は立派なシラガ、顔はテカテカ、いいカオ、している。私の心は一瞬に、なごんだ。彼を厳しく、しばることが出来ようか。私が誘って、夕食へ、普通はこんなサービスはしないのに、軽を運転して出かけた。注文の料理はきれいに食べた。昔のことは語らない。苦労ばなしをポツポツと。「教会へは行っている」。そんな彼を励まして、「人には、いろんな生き方もある」
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