長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月16日月曜日
年賀でつながる縁。リッパに生きて花を咲かせよ
数ある年賀状のなかで、嬉しかったのが、左側の1枚だ。東京の中学生から届いた賀状だった。名前は「健晴くん」といったな。彼が小学6年生のとき、長崎へ修学旅行へ来て、私に出会った。右がその時の写真です。この学校は、東京でも名のある小学校。伝統がある。その皆さんに話を頼まれ、出会うようになって、15年ほどになる。私の本、「長崎オラショの旅」も全員が購入して、読んでくださる。ありがたい。130人ほど来るが、そのなかの1人、健晴くんが、「小崎サンに、どうしても会いたかった」と、話の後でアクシュして写真を撮った。あれは2年前のことだった。今年も年賀をもらって嬉しいよ。今朝、ラジオの深夜便で、「幼児のころ養子になって、成長して初めて真相を知り、子どもも親も苦悶する」話を聞いたが、そのとき、とっさに思ったのが次の言葉だった。『人は、誰から生まれたか、問題でない。どのように生きたか、これが問題だ』。すぐメモした。今年も、東京の学校から話の依頼があったから、これを話そう。この学校の子ども達は恵まれた家庭に育っていると予想されるからね。「どのように生きるかが問題だぞ」
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