長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月18日水曜日
季節はずれのヒマワリがナミダを流している
1つの原稿を書き上げた。騎士誌3月号のためで、2月10日頃、発行になる。3年ほど前、私が病気で落ち込んだとき、京都の女性から「ゲンキを出してください」と、ヒマワリの花の写真が送られてきた。ご主人が写真家で、このヒマワリも撮影したという。それから女性のことは忘れていたら、昨年、2011年4月に、また便りがあって、おどろいたことに「主人が側頭部に腫瘍が見つかって、抗がん剤の治療を行なっている。聖母の騎士のルルドのお水を送って下さい」との願いだった。ヒマワリの花のカードをカラー・コピーして、「祈っています」と水と共に送った。一筆添える。「ルルドの水は薬ではない。水の効果は分量ではなく、聖母マリアさまへの愛と信頼による。祈りながら神さまのお導きを願ってください。ご主人の回復を祈ります」。それから5月、6月、7月と水をつづけて送った。「主人はお水を大切に飲みながら、仕事にも復帰し、病巣も少し小さくなった」とあった。ところが9月以降、女性から便りが来なくなった。12月半ばに、心配して、お水を送ると、すぐ返事があった。クリスマスの直前だった。「主人は68歳で神に召されました。亡くなる前に、洗礼のお恵みを頂きました。お水が着いたのは葬儀の翌日でした」。4月に手紙をいただき、12月に神に召される。あまりにも早すぎた悲しみに、私の心は小刻みにふるえた。私の机の上の「ヒマワリ」がナミダを流している。(つづく)
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