2019年1月31日木曜日

聖ドン・ボスコ。サレジオ会。ブリ神父さんの思い出、一杯

朝、ミサの前に、司祭が言った。「聖ヨハネ・ボスコ司祭の記念日です。サレジオ修道会の創立者です」
★サレジオ修道会と聞いて、すぐに思ったのが、愛野教会(下の写真の赤い教会)に居た「ブリ神父さん」だった。去年の春に、県外へ転任した。お元気で、明るく活動しておられるだろう。ポーランド人の神父さんだったから、特に親しくしていた。
★「サレジオ会です。幼稚園の園長です」。愛野教会は、ホームの湯江教会から一番近い教会で、ブリ神父さんとは、度々の交流があった。「お魚の、ブリだよ。タイには、まだ成れません」。ユーモアもある、心温かい仲良し司祭だった。トマに、ポーランド政府・外務省の勲章を授けるよう、大使館に働きかけをしたのも、ブリ神父さんだと思っている。
★ブリ神父さんには、忘れない教訓がある。母親の教えだ。父は、3歳のときに天国へ。1歳から7歳までの子供を抱えて、お母さんの人生は苦労の連続だった。お母さんを安心させたいと、「大工さん」を望んだが、サレジオ会の司祭となり、ニッポンへ。母の教えは身に沁みている。
★幼稚園で、園児たちに、保護者の皆さんに、伝えているのは、ママから受けた教えだよ。母の教えは「常に神さまが見ておられること」。善悪のこと。「いいことも、そうでないことも、神さまが見ておられるよ」。そして「夢を持たせること」。夢とは、守護の天使の見守りです。1人1人に守護の天使が付いている。だから安心して眠りなさい。1人じゃないよ。今日の1日はどうでしたか。守護の天使は神さまに報告する。良いことがあったら、神さまは金のハシゴの棒をくれる。そうでないときは木のハシゴの棒をくれる。金の棒を重ねたら、神さまの所へ登っていける。木の棒では登れない。守護の天使は悲しんで、帰ってくるよ。
★保護者に対しては、「子どもは、授かった大切なイノチです」と強調する。「愛とは、心のドアを開けっぱなしすること。子どもは、汚れても、罪を犯しても、どんな状態になっても、そのドアに戻ることができる。よい母は、倒れ転んだことを数えない。立ち上がるのを数えて喜ぶ。神さまも同じです」
★親愛なるブリ神父さん、ドン・ボスコのサレジオ会で、あなたのことを思い出しました。お世話になった、優しい、ポーランド人の神父さん、忘れない。

2019年1月30日水曜日

昔の医師と、現代の医療。「こころ」のつながり。寂しく思う

今年の始まり、1月は大変な月だった。救急車で運ばれ、肺炎と心不全を患い、2週間入院した。やっと落ち着いた頃、見舞いに来たホームの事務長・岩田さんと、職員の西田さんです。「今度の入院は大変だったよ」と伝えた。
★日々、回復に向かうと、病院体験の中で感じること、考える事が出てくる。
★昔は、子供の頃は、医者は患者と向き合い、先ず診察は、目を診て、口の中を診て、アゴの下を押さえて、胸に聴診器を丁寧に当てた。両手で「トン、トン、トン」と胸を叩いた。背中も「トン、トン」。患者の話をよく聞いて、粉(こな)薬が出た。水薬もあった。注射は殆どしない。X(エックス)線も撮らない。医学はそう発達していなかったが、医者と、患者の間には、温もりがあった。あの頃が懐かしい。
★医学が発達して、今度、入院して感じたことは、患者は1個の固体として運び込まれる。患者から、尿、血液を採取し、エコー、レントゲン、CTなどの撮影を行ない、それらの検査結果を医師はパソコンに集約して、診断し、治療、薬、リハビリ、すべてを総括的に決めて、各部署で治療する。入院2日目から、リハビリを行なったのには、びっくりした。すべてパッケージに収まっている。
★患者と医師が「直接に」向き合う場が僅かしかない。最初、ICUで、顔面マスク(バイ・パック)越しに主治医の先生を見た。それ以後、主治医に話したのは、2週間居て、4,5回だった。何やら、そこに寂しさを感じた。先生も非常に忙しい。治療は指示された通りに、器具をはめ、点滴を打ち、薬を飲む。結果、患者は全体的に看護を受けて、良好に向かい、歩いて、病院を去っていく。今、この状態だが、これが10年後、20年後の、医師と患者の関わる医療は、どのように変化するだろうか。そこには「つながり=こころ」が置き去りにされていないか、を感じた。科学の力でけで癒されるのだろうか。
★泌尿器科にもステントの入れ替えで、お世話になっている。入院の次の夜8時頃、お世話になっている主治医の先生が、見舞いに見えた。声をかけてくれた。退院の前日も、同じ主治医の先生が、夜、見えて声をかけてくれた。「思いやり=こころ」のつながりを強く感じた。何十人と居る大病院の医師の中で、自分の診ている1人の病人を見舞う医師の行為は、早々出来ることではない。感動し、嬉しかった。このような患者と医師の「こころ」のつながりこそ、医療と共に大切であり、忘れてはならないと思う。

2019年1月29日火曜日

明るいシスターの笑顔で、慰められ、励まされる。希望ありだ

朝のミサに、シスターの姿があった。岩田事務長さんの次女、真里亜さんだ。日中、事務室の岩田さんに頼んだ。「シスターに、時間があったら、自室に来るよう、声をかけてよ」
★午後、シスター真里亜さんが、この笑顔でやってきた。愉快で、話好きのシスターなんだな。おもしろい。30代に入ったばかりの若さだよ。信仰も、あるしね。五島の特別養護老人ホームに勤務している。
★シスター志望は、幼稚園の頃から。12歳で志願者になった。ホームの園長、初田徳一神父さんや、濱田増治神父さんに温かい愛を受けた。洗礼名は、コルベ。福祉・介護の専門の大学を出て、最初は養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、そして今のホームになる。
★私は言った。「このホームに来て、5年になる。ホームの良さは、設備や環境もあるけど、結局は入居者と介護する職員との家族的な信頼関係にあるね」
★シスターの話によると、特別養護老人ホームは仕事が大変なんだそうだ。介護の仕事は本当に苦労が多い。暴力や、暴言もある。心も、からだも、キツイ。それでも苦労を乗り越える秘訣がある、とシスターは言う。「楽しくする、自分が。冗談を言ったり、チョッとしたこと、何でも笑いに変える。とにかく笑う。声に出して笑う。みた夢でも、いい。一寸した出来事を、笑わせて、皆と分かち合う。子供の頃からの性格で、楽しい事が見つかるんです」。30代のシスターは、しょっちゅう笑っていた。こっちも笑らっちゃうよ。
★濱田増治神父さんの思い出を語った。病気で入院しているとき、見舞いに行くと、ベッドでロザリオを編んでいた。その姿を忘れない。いま自分もロザリオを編んで、配っている。祈りを込めてロザリオを編む。お恵みを皆さんに配りたい、そう言いながらシスターは又、笑うのだった。
★「アン、アン」としか言わない90代の女性入居者がいた。辛抱強く話しかけると、「水、飲みたかよ」「眠むたかよ」「何か、してくれんね」。言葉が出て来る。1年位で、編み物もするようになった。仕事にも希望がある。

2019年1月28日月曜日

カメラは写真機といった。「ジンジ」「バンバ」の写真が残る

これは昭和29年頃の写真です。カメラを持って何かを撮っているボク。何を撮っているんだろう。
★当時、修道士は個人でカメラ(写真機といった)を持つことは出来なかった。病気をしたお陰で、山の修道院で暮らすことになり、そこに少年のための養護施設があった。施設長の濱田増治神父さんが記録のために興味があり、録音機や写真機などを購入して、少年達の成長を見守っていた。その手助けをしていたのが、ボクと、同じく療養中の木下修道士だった。お陰でカメラは手元にあった。
★この山の修道院に11年暮らして養生したが、中でも忘れ得ない夫妻がいる。五島の信徒で、中島優神父さんのお父さん、お母さんである。1人息子の優さんが神父になったので、自分たちもマリアさまに生涯を捧げようと、山の施設に牛をつれてやってきた。当時は「ジンジ」「バンバ」と親しみを込めて呼んでいた。
★中島夫婦は、私が小神(高校生)の時から知っていた。夏休みになると、私には帰る家がない。中島神父(当時は大神学生)の五島の家にお世話になった。五島で暮らした、あの頃が懐かしい。着いた日と帰る日が米の飯で、日々、イモか、カンコロだった。家のすぐ傍に美しい海があり、泳いだ。お父さんと一緒に、舟で魚釣りにも出かけた。中島さん夫妻は、親のような親しみを感じていた。
★五島を引き上げて、山の施設に来ると、牛乳や、農作物を作り、130人程も居た少年達の食料の糧にした。食料が不足の時代である。「ジンジ」と「バンバ」の存在は、皆さんから「ありがたい」と感謝され、慕われた。牛は何頭にも増えた。
★ところが「ジンジ」には、悩みがあった。焼酎と、タバコが、どうしても止められない。バンバは言う。「キセルのガン首は、ひとつも冷めるヒマのなかごと、喫みよったとよ」。山の施設に行くと決心したとき、表向きは焼酎は、何とかやめた。しかしタバコは「気晴らし」の元だ。やめられん。畑で、隠れて、こっそり、すうて居た。
★ある夜、「バンバ」が、こんな話をした。「毎日、お祈りしている聖ヨゼフ様の夢をみた。オレが、こんなにして祈ると、ヨゼフ様がオレが顔のこんなふうに見て、御子様に何かを言い、御子様は1つ1つ、うなずいて、みんな聞いて下さるようにあったとよ」
★その後、「ジンジ」が胸を痛めて、ゼンソクを起こし、熱が出て、道も歩かれないようになった。「バンバ」はお医者さんに頼んで「タバコ、止めるようにお願いします」。「ジンジ」は「バンバ」に頭が上がらない。とうとう煙草はやめた。
★思い出すのも、楽しい夫婦です。「ジンジ」も「バンバ」も昭和50年にホーム「聖フランシスコ園」に入った。ホームでも畑を作って収穫を得ていた。12年後、バンバが88歳で神に召された。3年後、ジンジが88歳で逝去した。26年後、中島優神父さんも、ここのホームに入って、87歳で神に召された。
★人の働きは小さいが、神の恵みで大きく広がり、周りの人に慰めと励ましを与え、懐かしい楽しい思い出となって、いまも残っている。

2019年1月27日日曜日

見なさい、すばらしい朝じゃないですか。希望の1日が明ける

ホームから見る朝あけ。何度も、何度も、同じ場所からの風景を載せている。だが、前の朝あけと、今日の朝あけは違うんですね。見ている人間の気持ちが違う。
★1月の日曜日、午前5時だった。まだ朝はあけていなかった。救急車に乗せられ、「今度は、ヤバイぞ」。ちょうど2週間入院し、治療して、ホームに戻ったのが土曜日だった。
★今日は、日曜日。波乱の1月でしたよ。「イノチを、もらった」1月でしたよ。退院して、ちょうど1週間が経ちました。病院に居たとき、リハビリで、足元は自信がなく、ふら、ふら、でしたが、ホームに帰れば調子が出ますね。
★「今、有る苦しみは、何時までも続くと、錯覚するな。その苦しみは、そんなに長くは、続かない。事態は変わる。何時か、その苦しみは、無くなる」
★「苦しみから強いて逃れようとすると、ますます、がんじ、がらめに、なる。強迫観念に取りつかれる。私には、その経験がある。有りのままに、受け止めよう。有っても、いいのだ。そのままの姿で、生活を続けよう。道は開ける」
★「生きていることが、不思議に思う。自分が生きたとは思わない。誰にでも、その不思議な、実感はある。実際ではなく、想像でも、いい。広い草原に、両手、両足を広げて寝てみよう。自分を最も低い存在として捕らえてみよう。その存在の目で、上を見る。空を、地を、草を、花を、恵みは輝いて見える。それが幸福だ。歳をかさねれば、長い年月をかけて、それがわかる。今朝の、朝あけも、ありがたい」

2019年1月26日土曜日

こんな絵をスケッチした旅もあったんだな。振り返れば楽し

古いスケッチ帳を開いた。2001年8月とある。当時のメモ帳を見ると、夏休みで、甲府から中仙道(なか・せん・どう)の旅に出た。懐かしい。忘れない旅だった。めったに、あの道を通ることはない。江戸時代の裏道を行ったわけだ。裏道は、1本の細い流れに過ぎなかった。
★木曽路の「奈良井宿」で泊まる。ここで「マリア地蔵」なるものを見た。高さ60cm。十字架にカギがあり、幼児の左手に一流れのジュズがあった。手にも蓮華の先が十字状。隠れキリシタンの観音像か。興味深くスケッチした。こんな山奥で、マリア観音に似た像に会うなんて、思ってもみなかった。どこにでも人の思想、信仰は入り込む。
★翌日は、「馬籠宿」に泊まった。少し上に、島崎藤村の生家、館と詩がある。宿の傍に赤いポストがあり、小さな郵便局もあった。なんと言っても、水車が目を惹く。「みはぎのが美しく咲いていた」「山の清流で、無心に水車がまわる」と添え書きしている。「もち焼せんべい」に、ワラジもあった。坂道が、なんとも言えぬ風情がある。「こんな素適な所があるんだな」。東海道ばかり通って、江戸へ行ちゃダメだよ、なんて思った。
★中仙道は「多治見」に出る。多治見の修道院。絵になる建物だった。院長はポーランド人の神父。他の神父さんが案内してくれた。修道院の入口の上を見ると、鐘が上に9つ。下に3つ。面白い並びをしていた。ここは葡萄酒の造りが有名で、修道士がワインの制作を担当している。ブドウ畑にも入った。水墨画でブドウを描いているので、近くでブドウを観察するのは興味深々だった。
★ちょっとしたメモやスケッチがあれば、思い出は過去として記憶に残る。寄る歳なみの人を見れば、言っている。「足腰、しっかり、しているうちに、旅に出て、いい思い出をイッパイつくりなさい。それが幸せです」

2019年1月25日金曜日

初めての朝のミサ。自分に甘えるな。介護の風呂は上等です

退院してから、もう何日になるだろう。朝のミサに行かないから、滝神父さんに御聖体を自室でいただいていた。
★今朝は、5時に起きる。「自分を、甘やかすな」。そんな声が聞こえる。身支度して、押し車に頼って、教会へ行った。修道者が、祭壇の近くの席に座っている。修道服を着て、黙想をしている。「その姿、いいなァ」と思うよ。自分も、その1人だが。
★5時40分から、信徒も交えて、「教会の朝の祈り」が始まる。今日のミサは「聖パウロの回心の祝日」だった。キリスト教徒を迫害し、あるいは殺害していたユダヤ人のパウロは、突然、光に打たれて声を聞く。「パウロ、なぜ、私を迫害するのか」。パウロは、それをきっかけに回心し、熱烈なキリスト教徒となる。「改心、いつも改心、私にも、その恵みを与え、道を示してください」と祈った。
★写真にあるのは、ホームの介護用のお風呂です。初めて今日は、このお風呂に入った。ホームには広い浴場がある。いつも、それを利用していた。退院後の自分の足取りを考えると、あやふやで不安を感じる。1人では湯に入れない。介護の風呂をお願いした。左側のシャワーで身体を洗う。白い椅子に腰掛けると、前方の枠の中に、はまるようになっている。お湯が出てくる。アワも出てくる。湯の温度も設定され、私は41度、時間も出る。私は10分間、お湯に浸かって、温もりました。こんな設備がホームにあったんですね。ありがたいことです。
★午後、長崎の千草さんと蓉子さんが、私の様子を見に来た。ホームでは、インフルエンザに注意している。「10分だけね」と言いながら、マスクをして、近況を語っていた。パソコンを持たないから、日記は見ていないという。時々、見る機会があって、入院も知った。「3月1日、誕生日、お祝いしようね」と希望を持たせてくれた。10何年になるか分からない。毎年、誕生会を祝ってくれる。去年は、ロシア料理店だったかな。
★いま「トン、トン」と戸をたたく者がいる。「開けん、ね」。女性が居て、「イモを、ふかしてきた。食べんね」。沢山の、ふかしたイモ。1つ貰った。これがホームの生活です。