今年の始まり、1月は大変な月だった。救急車で運ばれ、肺炎と心不全を患い、2週間入院した。やっと落ち着いた頃、見舞いに来たホームの事務長・岩田さんと、職員の西田さんです。「今度の入院は大変だったよ」と伝えた。
★日々、回復に向かうと、病院体験の中で感じること、考える事が出てくる。
★昔は、子供の頃は、医者は患者と向き合い、先ず診察は、目を診て、口の中を診て、アゴの下を押さえて、胸に聴診器を丁寧に当てた。両手で「トン、トン、トン」と胸を叩いた。背中も「トン、トン」。患者の話をよく聞いて、粉(こな)薬が出た。水薬もあった。注射は殆どしない。X(エックス)線も撮らない。医学はそう発達していなかったが、医者と、患者の間には、温もりがあった。あの頃が懐かしい。
★医学が発達して、今度、入院して感じたことは、患者は1個の固体として運び込まれる。患者から、尿、血液を採取し、エコー、レントゲン、CTなどの撮影を行ない、それらの検査結果を医師はパソコンに集約して、診断し、治療、薬、リハビリ、すべてを総括的に決めて、各部署で治療する。入院2日目から、リハビリを行なったのには、びっくりした。すべてパッケージに収まっている。
★患者と医師が「直接に」向き合う場が僅かしかない。最初、ICUで、顔面マスク(バイ・パック)越しに主治医の先生を見た。それ以後、主治医に話したのは、2週間居て、4,5回だった。何やら、そこに寂しさを感じた。先生も非常に忙しい。治療は指示された通りに、器具をはめ、点滴を打ち、薬を飲む。結果、患者は全体的に看護を受けて、良好に向かい、歩いて、病院を去っていく。今、この状態だが、これが10年後、20年後の、医師と患者の関わる医療は、どのように変化するだろうか。そこには「つながり=こころ」が置き去りにされていないか、を感じた。科学の力でけで癒されるのだろうか。
★泌尿器科にもステントの入れ替えで、お世話になっている。入院の次の夜8時頃、お世話になっている主治医の先生が、見舞いに見えた。声をかけてくれた。退院の前日も、同じ主治医の先生が、夜、見えて声をかけてくれた。「思いやり=こころ」のつながりを強く感じた。何十人と居る大病院の医師の中で、自分の診ている1人の病人を見舞う医師の行為は、早々出来ることではない。感動し、嬉しかった。このような患者と医師の「こころ」のつながりこそ、医療と共に大切であり、忘れてはならないと思う。
医師との心のつながり、本当に大事だと思います。患者にとっていちばん必要なもの、それは安心感だと思います。頼りになる医師が自分を見てくれている、支えてくれるという気持ち。訪問看護のお世話になることになり、本当にそう感じています。
返信削除身体の状態を数値で正確に表し、必要ならば手術や機械を用いて命を長らえさせるのが今の治療のようです。昔は「アナログ」で目と耳と手触りで患者を診たのですが、手術も薬も今ほど進んでなくて治癒率が高くなかったのではないかと思います。現在医師不足と言われ、労働時間が長くて疲労困憊している医師との心の交流は、医師自身が望んでもなかなか難しいのでは。
返信削除遅ればせながら、トマ様、ご退院おめでとうございます。これからも、ますますお元気で活躍されますよう皆様とともにお祈りいたします。
返信削除以前から「トマさんのことば」を座右の書とさせていただいていますが、「患者と医師の「こころ」のつながりこそ、医療と共に大切であり、忘れてはならない」とのお言葉、(「大」ではありませんが、病院の医師としましては、)肝に銘じなければなりません。ありがとうございます。