2019年10月14日月曜日

お菓子の好物「九十九島センペイ」。食べれば思い出が湧いてくる

「九十九島センペイ」が、佐世保(長崎県内)の親戚から送って来た。これがボクの好物なんです。
★パリッとした「センペイ」の食感。これが、いいんだね。六角形は亀の甲羅を表わしている「海」。ウラを返せば、ピーナツの半分が、幾つも点在している。これが九十九の島なんだよね。
★九十九島には思い出も多々あるし、かみしめながら食べるよ。佐世保の山から暮れ行く海をみれば、西海の海に、小さな島々が点在して、これが又、絶景なんだよ。
★もう何十年前に、「長崎オラショの旅」を主宰して、案内していた。長崎に集合して、平戸へ行くときには、貸切バスで行く。バス内でのガイドは、平戸へ宣教した聖ザビエルの逸話だった。平戸から長崎へ戻るときは、平戸発の観光船を利用した。貸切バスは荷物を積んで、佐世保まで回送した。この観光船は、ボクが満足するガイドをするから、快適に海の巡礼の旅ができる。その辺のアイデアは、ボクの知恵だった。
★観光船は、平戸大橋をくぐりながら、やがて九十九島の美しい島々を巡る。カブト島とか、ライオン島など、ちゃんと名前が付いている。印象なのは、小さく見える田平天主堂。海岸から、かなり高い場所を確認する。天主堂を造るのに、信徒たちは建築資材を船に積んで、あの高さまで上げるのは相当、苦労しただろう。しばらく進むと、赤い塔の教会が見える。褥崎の教会であろう。下神崎教会も瞬間的に見えた。(今は移転して、見えない)。そして忘れてはならないのが、黒島だ。「クルスから、クロシマと呼ばれますキリシタンの島です」と船のアナウンスもあった。こうして船は佐世保に着く。九十九島めぐりは、巡礼の皆さんに喜んでもらえた。なつかしい思い出だよ。
★聖母の騎士修道院からも、復活祭の後の休みには、ドライブで佐世保に行き、九十九島観光船にも何度か乗った。
★そういう思い出をかみしめながら、佐世保の親戚にはお礼の電話をかけたよ。「ありがとうね。楽しみながら、いただくよ。九十九島の海がみえるセンペイだ」

2019年10月13日日曜日

着るもので悩むな。中身が大事じゃ。でもね、スズメはイヤ

「いい、柄もの、着ているね」
★もう2度も言われた。今日も、また言われたから、3度目だよ。気になるよ。「トマさんは、オシャレだね」。耳が痛い言葉だね。瀧神父さんを見ると、今日は日曜日、誰かに会うのか、黒ずくめの上下で、ローマン・カラーまでして、昼食をとっている。こっちは、このシャツだよ。
★ホームには70人程、居るが、目に付く男性は10人程かな。女性が殆どです。観察しておると、毎日、衣装は変わっている。着たきりスズメはいない。また沢山、持っているよ、女性は。
★ボクは、夏の半そで、7分そで、これらは何枚も持っている。夏の終わりから、今ごろ着る上着が、2、3枚しかない。この時期を過ぎると、少し厚めの、フワ、フワした上着になる。これは何枚も有ります。この2、3枚の時期が、これらを繰り返して着るしかない。衣類は全く買いません。以前のままの衣類、上も下着も使っている。
★「このシャツ、どこが良かとね?」「格子になっている、オシャレばい」「そんなモンかね」。ボクは、上着のシャツ類は、前にボタンが付いているのを着る。かぶりものは好まない。カブリたくない。フワ、フワの上着も、みなボタンだ。厚手の毛糸の上着も、ボタンだ。なぜか、カブリもんは、スカン。
★修道士が、そんな事を論じていいのか。中身が問題だろう。こころが課題だろう。タマシイが輝いているか。憂(うれ)うるのは、その事だろう。ホームに居て、人にもまれると、他の事に、こころが流される。
★ここで、喝(カ)ッーと、イッチョ、気合いば入れるぞ。

2019年10月12日土曜日

葬儀に告別式。午後から来客もある。ゆっくり、時間も、なし

ホームでは、午前中、葬儀・告別式が教会で行なわれた。午後から来客があります。きょうは、ゆっくりした時間がありません。
★葬儀・告別式の写真は、遠慮して撮らなかった。90歳で、15年間、ホームで生活なさった。司式した園長神父さんはお説教で、「自分は、『入居者』の言葉は使わない。『家族』です。皆さん、家族です」と強調した。家族が欠けるのは寂しい。
★逝かれた女性は、15年間、ホームの生活でした。最初の頃は、もちろんお元気で、よく屋外を散歩なさっていた。じょじょに老いて行くんですね。最近はベッド式の車椅子に身体をのばして、食堂への行き帰り、廊下で、職員さんが車椅子を押していく姿を度々見ていました。お顔も覚えている。お棺の中のお顔も一緒でした。告別式の後で、ホームの全員でお花をお棺の中に添えて、最後のお別れをしました。
★自分の影が、自室の壁に映る。きょうは、何も書けません。思いが浮かばないのです。
★上の写真は、改築されたホームの建物です。見事に朝日が当たるんですね。部屋も広く、お湯が出るトイレになっている。住み心地のよい部屋に改装されました。ありがたいことです。
★6月に、この部屋に転室しました。洗面台も大きく、広く、美しくなりました。トイレの水が溜まる周辺に、黒ずんだ汚れが付くんですね。汚れに負けないように、ゴシ、ゴシ、こすっています。ホームに入って、5年が経った。きょうの、葬式の後の会話。「90って、まだお若いのね」「そうだね、95歳ぐらいまで生きないと、寿命じゃないよね」

2019年10月11日金曜日

ホームの自室で、入居者が老いて逝かれた。寂しさに沈む

朝食の時、職員がマイクで、「〇〇さんが、今朝、お亡くなりになりました」と告げた。「今日の午後3時30分から、ホーム内の小聖堂において、お通夜が行なわれます。明日、午前中に葬儀があります」
★朝、声をかけると、眠っていたが、目を開いた。また声をかけると唇が動いた。間もなく、看取られて、静かな最期を迎えて、安らかに息を引き取られた、と聞いた。(ああ、そのような死に方を、自分もしたいな)と、つい、うらやましく思った。
★人の逝去を聞かされると、当然ながら自分自身の事と思い、心中、寂しさに沈む。安らかに逝くのが、幸いです。このような静かな最期を、望んでいる。
★人は、長い人生を終えて、この世を終わる。深い悲しみは残るが、誰かが居なくなっても、例え自分が消えても、周囲は全く変わらない。世の中は、平常に回っていく。それが世の常です。人は、それを分かった上で、舞台を降りる。
★ここまで来れば思うのは過去ではなく、これから、どのような人生になるのか、自分の終末を考える。そして神妙になります。神から出て、神に帰る。神のもとに帰れるように、ふさわしい生き方、人間になれるか。そこに人間の弱さとの戦いがあり、常に改心がある。人が生きているのは、自分のチカラで生きているのではない。沢山の、周りの人のチカラ、神の恵みによって生きている。人間には、知られない『ふしぎ』が沢山ある。
★お通夜の祈りに行く前に、そんな事を考えました。

2019年10月10日木曜日

個人1人1人が幸せになれば、ホームも良くなり、平和につながる

今朝、ホーム湯江教会の、祭壇の生け花です。
★むかし、私が出会った老人の話を思い出します。その頃、私は未だ老人ではなかった。
★トノさん(83歳)は若い娘の頃、「本当の神さんは、ひとりしか居ない。その神さんは、キリストだ」と聞いた。
★やがてお年寄りになって、お寺さんのホームに入った。同室(当時は相部屋が殆ど・今は個室)に、ユリさん(84歳)が居た。ユリさんは毎日、静かに『ロザリオ』を唱えていた。「それは何ですか?」「キリストさまです」「ああ、それがキリストさまね」。トノさんは感動して、いつしか「いっしょに『ロザリオ』を唱えましょう」
★ベルギー人の神父さんが時々ホームを訪ねるようになった。ある日、お坊さんに呼び止められ、応接間に通されて言われた。「神父さん、いい信者をつくってください。信者になればモンクを言わない。ケンカもしない。おとなしくなります。ホームが静かになります。みんな喜びます」
★私も、今はホームに入る身となった。あの話は、ホントウやなァと思います。信仰が深まれば、平和になる。ありがとう。ごめんなさい。素直に言える人がジンセイを分かる人です。ウソを言ったら、おしまいよ。
★今朝は、体操の後で、入浴しました。いつも一緒に入る大柄の男性が、先に入っている。彼が私に声をかけた。「老人の日に、挨拶した人は、誰ですか?」「ああ、理事長さんね。神父さんですよ。隣の小長井町に住んでいる」「リッパな方ですな。言われる事が、はっきりしている」
★個人の1人、1人が、幸せな人生を生きることが、世界の平和に通じる。

2019年10月9日水曜日

小さな記事が、どこかで誰かに、信じる思いをよみがえさせる

毎日、午前4時30分に起きる。5時15分に自室を出る。屋外は真っ暗です。教会で、祈りと、ミサ。自室に戻るのが、6時40分。そのとき自室のガラス戸から、美しい朝陽が上がる。夜があける。右側はホームの玄関の塔。鳥のさえずりも聞こえる。オレンジに染まった空には、鳥の姿が2羽写っていた。
★きょうも恵みの日が始まる。こんなに素晴らしい陽の出が見れるのは、大きな喜びです。
★数日前に女性から手紙が届いた。以前、発行した「写真集」の受け取りの令状だった。
★「8月に写真集を送って頂いた者です。お礼が遅くなり、大変失礼致しました。素敵な写真集をありがとう。修道士さま方の楽しそうな笑顔が沢山で、大変な時代にも喜びを見い出し、頑張っておられたことを感慨深く拝見致しました。本日、ブログを拝しましたところ、10月1日は聖テレジアの記念日とのことで、私も『テレーズ』の洗礼名を頂いております。うっかりしておりました」
★そのときトマは思った。10月1日はロザリオの月の初めで、その日の聖人・聖テレジアの記事も載せたが、ああ、やっぱり載せてよかった。どこかで、誰かが、読んで下さって、感じてくれる人がいるんだな、よかったな、と嬉しくなった。
★手紙はつづいて、こう書いてあった。「私が『聖母の騎士』誌と出会ったのは、8,9年前、家族で行った北海道旅行で立ち寄ったトラピスチヌ修道院でのことです。小さな聖堂が庭の片隅にあって、無料の『騎士誌』が置いてありました。中学生の頃に、2年程カトリック教会に通ったこともあり、その後も心を寄せてきたのですが、聖母の騎士誌は私の心を深くとらえ、コルベ神父さまへと導いて下さったのです。騎士誌のおかげで、『テレーズ』を頂きました。これからも大好きなコルベ神父さまを心に留め、信仰生活を歩んでゆきたいです」
★日記の小さな記事が、神さまの導きとお恵みで、どこかで誰かに隠れた所で、通じている喜びを感じました。祈りの『チカラ』を信じます。うれしいお手紙を送ってくれて、ありがとう。あなたと、ご家族のために神さまの幸いを祈ります。

2019年10月8日火曜日

きょう、聖母の騎士に入った日。74年を数える。恵みに感謝

2枚の絵は「まんが・焼けたロザリオ・しおうら・しんたろう作」より。
★きょうは、私が17歳のとき、長崎・聖母の騎士修道院へ入った日です。雨の降る日でした。びしょヌレの少年を迎えてくれたのは、ゼノ修道士でした。ふところの温かいぬくもり。あの日のことは忘れない。長い人生の途上で、少年でも自分で決断しなければいけない断崖があるのです。
★あの少年の足元はどうだったのか。背中はヌレて寒くはなかったか。マンガに描かれた少年の背中を見ながら考える。家も母親も失い、少年はよくガンバッタと思います。この道が用意されていたのです。
★祭壇の前で祈りました。ボクの新しい人生が始まるぞ、と決意しました。昭和20年10月8日。当時の混乱を覚えています。原爆と戦争が終わって、約2か月後です。社会は混乱し、生活難、食糧難、被爆者への差別、冷たい目もあった。少年1人が生きて行くには、余りにも過酷な状況でした。でもボクは、この道を選んで幸せだった。
★コルベ神父が創立の神学校で、勉強も生活も祈りも与えられて、戦後、4、5年は囲いの中で全く平穏に過ごしました。あの頃の出来事が一番楽しかった。数えてみれば「74年」が経っている。よく生き抜いて来られたモンですね。ゼノ修道士さんが、生まれたポーランドの村にも行きました。人生は不思議な縁でつながっている。
★人には天から与えられた何かの役柄があります。苦難があっても、喜びと希望、それだけは持ちたい。神学校では、ポーランド人のロムアルド修道士さんが、「わたしが、助けますよ」と強く支えてくれた。終戦の年のクリスマス・プレゼントは、ロムアルド修道士さんが準備した新品の「学生服」でした。あの頃、彼から頂いたローマ字の手紙は今も大切に持っています。少年が選んだ道は遠いポーランドにつながって、勲章までもいただきました。
★きょうは、ポーランド人修道士さんたちのために、感謝と祈る日でもあります。