2019年1月28日月曜日

カメラは写真機といった。「ジンジ」「バンバ」の写真が残る

これは昭和29年頃の写真です。カメラを持って何かを撮っているボク。何を撮っているんだろう。
★当時、修道士は個人でカメラ(写真機といった)を持つことは出来なかった。病気をしたお陰で、山の修道院で暮らすことになり、そこに少年のための養護施設があった。施設長の濱田増治神父さんが記録のために興味があり、録音機や写真機などを購入して、少年達の成長を見守っていた。その手助けをしていたのが、ボクと、同じく療養中の木下修道士だった。お陰でカメラは手元にあった。
★この山の修道院に11年暮らして養生したが、中でも忘れ得ない夫妻がいる。五島の信徒で、中島優神父さんのお父さん、お母さんである。1人息子の優さんが神父になったので、自分たちもマリアさまに生涯を捧げようと、山の施設に牛をつれてやってきた。当時は「ジンジ」「バンバ」と親しみを込めて呼んでいた。
★中島夫婦は、私が小神(高校生)の時から知っていた。夏休みになると、私には帰る家がない。中島神父(当時は大神学生)の五島の家にお世話になった。五島で暮らした、あの頃が懐かしい。着いた日と帰る日が米の飯で、日々、イモか、カンコロだった。家のすぐ傍に美しい海があり、泳いだ。お父さんと一緒に、舟で魚釣りにも出かけた。中島さん夫妻は、親のような親しみを感じていた。
★五島を引き上げて、山の施設に来ると、牛乳や、農作物を作り、130人程も居た少年達の食料の糧にした。食料が不足の時代である。「ジンジ」と「バンバ」の存在は、皆さんから「ありがたい」と感謝され、慕われた。牛は何頭にも増えた。
★ところが「ジンジ」には、悩みがあった。焼酎と、タバコが、どうしても止められない。バンバは言う。「キセルのガン首は、ひとつも冷めるヒマのなかごと、喫みよったとよ」。山の施設に行くと決心したとき、表向きは焼酎は、何とかやめた。しかしタバコは「気晴らし」の元だ。やめられん。畑で、隠れて、こっそり、すうて居た。
★ある夜、「バンバ」が、こんな話をした。「毎日、お祈りしている聖ヨゼフ様の夢をみた。オレが、こんなにして祈ると、ヨゼフ様がオレが顔のこんなふうに見て、御子様に何かを言い、御子様は1つ1つ、うなずいて、みんな聞いて下さるようにあったとよ」
★その後、「ジンジ」が胸を痛めて、ゼンソクを起こし、熱が出て、道も歩かれないようになった。「バンバ」はお医者さんに頼んで「タバコ、止めるようにお願いします」。「ジンジ」は「バンバ」に頭が上がらない。とうとう煙草はやめた。
★思い出すのも、楽しい夫婦です。「ジンジ」も「バンバ」も昭和50年にホーム「聖フランシスコ園」に入った。ホームでも畑を作って収穫を得ていた。12年後、バンバが88歳で神に召された。3年後、ジンジが88歳で逝去した。26年後、中島優神父さんも、ここのホームに入って、87歳で神に召された。
★人の働きは小さいが、神の恵みで大きく広がり、周りの人に慰めと励ましを与え、懐かしい楽しい思い出となって、いまも残っている。

2019年1月27日日曜日

見なさい、すばらしい朝じゃないですか。希望の1日が明ける

ホームから見る朝あけ。何度も、何度も、同じ場所からの風景を載せている。だが、前の朝あけと、今日の朝あけは違うんですね。見ている人間の気持ちが違う。
★1月の日曜日、午前5時だった。まだ朝はあけていなかった。救急車に乗せられ、「今度は、ヤバイぞ」。ちょうど2週間入院し、治療して、ホームに戻ったのが土曜日だった。
★今日は、日曜日。波乱の1月でしたよ。「イノチを、もらった」1月でしたよ。退院して、ちょうど1週間が経ちました。病院に居たとき、リハビリで、足元は自信がなく、ふら、ふら、でしたが、ホームに帰れば調子が出ますね。
★「今、有る苦しみは、何時までも続くと、錯覚するな。その苦しみは、そんなに長くは、続かない。事態は変わる。何時か、その苦しみは、無くなる」
★「苦しみから強いて逃れようとすると、ますます、がんじ、がらめに、なる。強迫観念に取りつかれる。私には、その経験がある。有りのままに、受け止めよう。有っても、いいのだ。そのままの姿で、生活を続けよう。道は開ける」
★「生きていることが、不思議に思う。自分が生きたとは思わない。誰にでも、その不思議な、実感はある。実際ではなく、想像でも、いい。広い草原に、両手、両足を広げて寝てみよう。自分を最も低い存在として捕らえてみよう。その存在の目で、上を見る。空を、地を、草を、花を、恵みは輝いて見える。それが幸福だ。歳をかさねれば、長い年月をかけて、それがわかる。今朝の、朝あけも、ありがたい」

2019年1月26日土曜日

こんな絵をスケッチした旅もあったんだな。振り返れば楽し

古いスケッチ帳を開いた。2001年8月とある。当時のメモ帳を見ると、夏休みで、甲府から中仙道(なか・せん・どう)の旅に出た。懐かしい。忘れない旅だった。めったに、あの道を通ることはない。江戸時代の裏道を行ったわけだ。裏道は、1本の細い流れに過ぎなかった。
★木曽路の「奈良井宿」で泊まる。ここで「マリア地蔵」なるものを見た。高さ60cm。十字架にカギがあり、幼児の左手に一流れのジュズがあった。手にも蓮華の先が十字状。隠れキリシタンの観音像か。興味深くスケッチした。こんな山奥で、マリア観音に似た像に会うなんて、思ってもみなかった。どこにでも人の思想、信仰は入り込む。
★翌日は、「馬籠宿」に泊まった。少し上に、島崎藤村の生家、館と詩がある。宿の傍に赤いポストがあり、小さな郵便局もあった。なんと言っても、水車が目を惹く。「みはぎのが美しく咲いていた」「山の清流で、無心に水車がまわる」と添え書きしている。「もち焼せんべい」に、ワラジもあった。坂道が、なんとも言えぬ風情がある。「こんな素適な所があるんだな」。東海道ばかり通って、江戸へ行ちゃダメだよ、なんて思った。
★中仙道は「多治見」に出る。多治見の修道院。絵になる建物だった。院長はポーランド人の神父。他の神父さんが案内してくれた。修道院の入口の上を見ると、鐘が上に9つ。下に3つ。面白い並びをしていた。ここは葡萄酒の造りが有名で、修道士がワインの制作を担当している。ブドウ畑にも入った。水墨画でブドウを描いているので、近くでブドウを観察するのは興味深々だった。
★ちょっとしたメモやスケッチがあれば、思い出は過去として記憶に残る。寄る歳なみの人を見れば、言っている。「足腰、しっかり、しているうちに、旅に出て、いい思い出をイッパイつくりなさい。それが幸せです」

2019年1月25日金曜日

初めての朝のミサ。自分に甘えるな。介護の風呂は上等です

退院してから、もう何日になるだろう。朝のミサに行かないから、滝神父さんに御聖体を自室でいただいていた。
★今朝は、5時に起きる。「自分を、甘やかすな」。そんな声が聞こえる。身支度して、押し車に頼って、教会へ行った。修道者が、祭壇の近くの席に座っている。修道服を着て、黙想をしている。「その姿、いいなァ」と思うよ。自分も、その1人だが。
★5時40分から、信徒も交えて、「教会の朝の祈り」が始まる。今日のミサは「聖パウロの回心の祝日」だった。キリスト教徒を迫害し、あるいは殺害していたユダヤ人のパウロは、突然、光に打たれて声を聞く。「パウロ、なぜ、私を迫害するのか」。パウロは、それをきっかけに回心し、熱烈なキリスト教徒となる。「改心、いつも改心、私にも、その恵みを与え、道を示してください」と祈った。
★写真にあるのは、ホームの介護用のお風呂です。初めて今日は、このお風呂に入った。ホームには広い浴場がある。いつも、それを利用していた。退院後の自分の足取りを考えると、あやふやで不安を感じる。1人では湯に入れない。介護の風呂をお願いした。左側のシャワーで身体を洗う。白い椅子に腰掛けると、前方の枠の中に、はまるようになっている。お湯が出てくる。アワも出てくる。湯の温度も設定され、私は41度、時間も出る。私は10分間、お湯に浸かって、温もりました。こんな設備がホームにあったんですね。ありがたいことです。
★午後、長崎の千草さんと蓉子さんが、私の様子を見に来た。ホームでは、インフルエンザに注意している。「10分だけね」と言いながら、マスクをして、近況を語っていた。パソコンを持たないから、日記は見ていないという。時々、見る機会があって、入院も知った。「3月1日、誕生日、お祝いしようね」と希望を持たせてくれた。10何年になるか分からない。毎年、誕生会を祝ってくれる。去年は、ロシア料理店だったかな。
★いま「トン、トン」と戸をたたく者がいる。「開けん、ね」。女性が居て、「イモを、ふかしてきた。食べんね」。沢山の、ふかしたイモ。1つ貰った。これがホームの生活です。

2019年1月24日木曜日

長崎へ定期の診察へ。若い人にも出会う。一緒に食事をしました

早朝から、高原修道士の運転で、長崎のヨゼフ・クリニックへ定期の診察に行く。高木先生に、12月末と、1月の入院の報告をした。心電図を調べ、胸のレントゲンを撮ってくれる。早めに診察は終わった。
★浦上の電車通り、「ココオーク」という大きな商業施設がある。食事から、子供の遊び場から、買い物から、だいたい用が足せる。4階の大きな窓から見た長崎の家々です。坂が多いんです。長崎の人は墓も大切にする。家々に混じって、墓地もある。「ながさきには、サカも、ハカも、バカも、多おかと、たい」。そんな笑い話も耳にする。
★「ココオーク」で、野々村哲さんと、塩沢美樹さんに出会った。高原さんを入れて、4人で昼食をとった。3年前になるか、ホームの庭で、偶然に出会った。あれからご縁がつづき、「トマさんのことば」の出版にもなった。何かとお世話になっている。ホームで暮らす私だが、助けてくれると本当に嬉しいし、頼もしいです。何かの、また新しいアイデアも浮かぶでしょう。若い人たちには期待しています。
★[ココオーク」に以前、通った食事処がある。きょうは、そこへ行きました。長崎和牛の重箱です。長崎和牛は結構、有名です。ホームの食事もおいしいが、たまにはゼイタクしても、許されるでしょう。「おいしいもの、なんか食べて」と言わないでください。若者2人は別のメニューを食べた。
★ホームに帰ったのは、午後2時頃でした。車の中では、疲れてか、眠っていました。「きょうの1日、神さまが下さいました。あした、また稔りがありますように」

2019年1月23日水曜日

廊下から見える多良岳。あの山にも思い出がある。過去に元気を

ホームの、自室の前の廊下の窓から、いつも遠望できる「多良岳」です。横長の白い建物は「いこいの村」です。
★退院して、じょじょに元気を取り戻しています。退院する時は、本当に足がふら付いていた。「大丈夫かな」と不安を感じていた。それがホームで生活すると、元に戻ってくる調子です。食堂に行くときは、押し車を頼りに歩いています。
★私のスケッチ帳に、丁度、30年前に、小学生16人(小6-小3)を連れて、先生5人で多良岳・山頂に登った絵がある。頂上には、祠(ほこら)があった。983mとある。あの頃は元気でした。小学生にも対応して生活していた。山も登れば、殺風景ですね。
あの頃は楽しかったなァ。人生、喜びも、汗も、楽しみも、山頂からの素晴らしい眺めも、沢山あったよ。それで希望をつないで生きてきたんだね。
★山頂から少し降ると、「金泉寺」という小さなお寺がある。ここは小学生、小1から小6まで、21人。昼食後、庭で遊ぶ、と記してある。ツゲの立派な木、とメモしてある。
★あの頃の小学生たちは成長して、いま、どうして暮らしているのか、そういう思いも浮かんでくる。
★廊下の窓から見詰める多良の山並み、ここには平凡な老いの生活の連続があるが、「ジーッ」と眺めれば、山はいろんな事を語ってくれる。過去の思いに慰められ、励まされ、今日も楽しく生きよう。
★明日は、長崎・ヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ出かけます。高原修道士が運転、介助をしてくれます。朝のミサには、いま行ってはいない。瀧神父さんがミサ後、自室へ御聖体と共に来て下さる。しばらく、その朝の行事がつづくでしょう。

2019年1月22日火曜日

ジャムさんからの便り。電話で聖コルベ像の予想外の件もある

フランスのジャムさんから、写真が届いた。昨年の暮、ホームで出会った3度目のジャムさんだった。子供たちが2人居ると聞いていたが、写真を見ると、息子と、娘さんだ。1人はパラグアイへ、もう1人はカナダへ居ると小さな日本語で書いてあった。また「山田」という字もある。日本人の奥さん、故人となった「りか」さんの姓であろう。ジャムさんは、たくましい、新たな出発をしているような、ファイトに満ちた顔をしている。
★出会いは、本当に恵みであり、喜びである。人生には、苦しみ、痛み、悲しみもあるが、希望をもって、それを乗り越える。喜び、愛も、いっぱい、ある。次の時代を受け継ぐ若者は、何と、夢と希望に満ちていることか。
★午前中、県外の大学生から電話があった。長崎の聖母の騎士修道院の庭に、聖コルベ神父の立像がある。像の基礎の部分に、「寄進・アメリカ・チェシラ市・聖スタニスラオ教会・第三会」と書いてある。「どういう関わり合いで寄進を受けたのか」と質問があって、思いも寄らない質問に戸惑いを感じた。そのような細かい事は、いま覚えていない。理由も定かでない。
★早速、聖母の騎士の修道士に電話をかけて確認してもらった。「やっぱり、書いてありましたよ。つづいて、次の言葉も記してあります。『私が愛したように、あなた達が愛し合うこと、これが掟である。友人のために命を与える以上の大きな愛はない』(ヨハネ・15・12-13)」。庭の聖コルベは語らず、あの場所に立っているだろう。かつて教皇ヨハネ・パウロ二世が、白と赤の花束を捧げたご像だった。