女性職員さんが頼んだ。「手芸で、みんなで、カキの木枝を描いた。その横に一筆、書いてくれませんか」
★「甘柿も、シブ柿も、みんな」と、そこまでは浮かんだ。柿もそうだけれど、人もいろいろ、優しい人、親切な人も居れば、そうでない人もいる。ホームの人を表わしているわけでないが、一般的に、それを暗黙のうちに、あらわしている。「だけど、みんな・・・」。さあ、次に何を書くか、それが問題だ。「みんな、神の恵み」「みんな、仲良し、友だち」。『神』と書けば、あまりに、ストレート。仲良し、友だち、は、何やら、ややこしい。それで「自然の恵み」にしたわけです。
★世の中には、いろんな人がいる。だが、それぞれ、その人の人生を生きている。その人には、その人の「こだわり」がある。「考え方、生き方」がある。みんな受け止めようじゃないか。受け入れて、尊重して、仲良く暮らそうじゃないか。それが願いです。だが「小さな声でしか言えないが、これが、なかなか、難しい」
★ホームでは午後から「野外活動」と言って、バスで、コスモスの花々を見に出かけた。私は行かなかった。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2018年10月9日火曜日
2018年10月8日月曜日
余裕のある人生を歩みたい。土俵の後ろは残したい
お昼の食事。肉うどん。メンは細めん。五島うどん、です。人参白和え。みかん。私は細めん、が好きです。
★10月8日は、私が聖母の騎士へ入った日です。73年前になる。原爆後、休養していた外海・黒崎を小舟で出て、長崎へと向かった。舟はシートで被われ、長崎港へ入る時には、アメリカ軍を恐れて、隠れていた。アメリカ軍は得体(えたい)の知れない集団だった。鬼畜米英と叩き込まれていた。そんな時代だった。雨が降っていた。修道院の戸の鐘をならして、しばらく待った。姿を現したのが、ヒゲのゼノ修道士だった。ミロハナ神父から抱擁される。私の新しい人生が始まった。
★諫早の総合病院・泌尿器科へ予約の診察に行った。尿検査、血液検査、腹部のレントゲンを撮った。お医者さんは言った。「ステントの入れ換えは、前は6月でした。7ヶ月置いて、1月の中旬にしましょう。12月に、もう1度、診察に来てください。その時に日にちを決めましょう」。ステント入れ換えは、トマの十字架でも、ある。
★腎臓からボウコウまで管(くだ)が入っている。これを交換しなければ生きてはいけない。もう10年近く続いている。痛みと苦しみを、その都度、ガマン、ガマンで、乗り越えてきた。最初は3ヶ月毎であったが、半年に延びた。それでも有り難い。
★私は、いつも余裕のある人生を歩みたい。ギリギリは、イヤだ。土俵の後ろに余裕は残したい。前方には、抜け道の開ける人生が、希望と幸せをもたらすのではないか。常に未来は残しておく。そのユトリは持ちたい。
★10月8日は、私が聖母の騎士へ入った日です。73年前になる。原爆後、休養していた外海・黒崎を小舟で出て、長崎へと向かった。舟はシートで被われ、長崎港へ入る時には、アメリカ軍を恐れて、隠れていた。アメリカ軍は得体(えたい)の知れない集団だった。鬼畜米英と叩き込まれていた。そんな時代だった。雨が降っていた。修道院の戸の鐘をならして、しばらく待った。姿を現したのが、ヒゲのゼノ修道士だった。ミロハナ神父から抱擁される。私の新しい人生が始まった。
★諫早の総合病院・泌尿器科へ予約の診察に行った。尿検査、血液検査、腹部のレントゲンを撮った。お医者さんは言った。「ステントの入れ換えは、前は6月でした。7ヶ月置いて、1月の中旬にしましょう。12月に、もう1度、診察に来てください。その時に日にちを決めましょう」。ステント入れ換えは、トマの十字架でも、ある。
★腎臓からボウコウまで管(くだ)が入っている。これを交換しなければ生きてはいけない。もう10年近く続いている。痛みと苦しみを、その都度、ガマン、ガマンで、乗り越えてきた。最初は3ヶ月毎であったが、半年に延びた。それでも有り難い。
★私は、いつも余裕のある人生を歩みたい。ギリギリは、イヤだ。土俵の後ろに余裕は残したい。前方には、抜け道の開ける人生が、希望と幸せをもたらすのではないか。常に未来は残しておく。そのユトリは持ちたい。
2018年10月7日日曜日
コルベ神父のルルド清掃で働く白浜さん、恵みは働く
長崎の白浜忠美さんが来る。聖母の騎士のルルド清掃を勤めて6年になる。ルルドへの道や、広場をキレイにしておくと、巡礼の皆さんが喜ぶ、と白浜さんは嬉しそう。台風の後の清掃は大変だそうだ。
★韓国人のシスターたち10数人が参詣に来た。広場がキレイにしてあるので、シスターたちが感謝をこめて、韓国語の賛美歌を3曲も捧げてくれた。「意味がワカランしね。ハハハ」
★女子高校生が修学旅行で、ルルドへ来た。シスターから「お水を飲みなさい」と言われて、飲んだ翌年に洗礼を受けた。10年経って、お礼に来たと、そういう女性もいた。また難病で2年しか生きられない、と医師からは告げられたのに、13年も生かされて、8月15日、マリアさまの祭日に召された。お礼に来た家族もあった。車椅子の女性が、ルルドのお水を飲んで、30年生かされている。
★コルベ神父が「マリアさまへの賛美」に造ったルルドは、人知れず多くの恵みをもたらしている。コルベ神父のルルドの水は愛飲されている。白浜さんはトマにも沢山のルルドのお水を持って来た。
★話題は変わるが、先日、NHK長崎テレビで、「ロザリオの長崎編み」が紹介された。聖母の騎士の松下修道士が出演して、編み方の作業が出た。「そのルーツは、どこ?」。大浦天主堂の資料館に展示されたロザリオは、既に長崎編みで、信徒発見後、プチジャン神父が沢山フランスから取り寄せて、配布された、と説明があった。それに加えて、コルベ神父が紹介され、古い騎士誌に、「ロザリオ」の題で、執筆「コルベ」と書かれた記事がテレビで示された。コルベ神父が熱心にロザリオを勧めておられる文章に感動した。10月はロザリオの月。あの番組は適宜であったと喜びを感じた。
★韓国人のシスターたち10数人が参詣に来た。広場がキレイにしてあるので、シスターたちが感謝をこめて、韓国語の賛美歌を3曲も捧げてくれた。「意味がワカランしね。ハハハ」
★女子高校生が修学旅行で、ルルドへ来た。シスターから「お水を飲みなさい」と言われて、飲んだ翌年に洗礼を受けた。10年経って、お礼に来たと、そういう女性もいた。また難病で2年しか生きられない、と医師からは告げられたのに、13年も生かされて、8月15日、マリアさまの祭日に召された。お礼に来た家族もあった。車椅子の女性が、ルルドのお水を飲んで、30年生かされている。
★コルベ神父が「マリアさまへの賛美」に造ったルルドは、人知れず多くの恵みをもたらしている。コルベ神父のルルドの水は愛飲されている。白浜さんはトマにも沢山のルルドのお水を持って来た。
★話題は変わるが、先日、NHK長崎テレビで、「ロザリオの長崎編み」が紹介された。聖母の騎士の松下修道士が出演して、編み方の作業が出た。「そのルーツは、どこ?」。大浦天主堂の資料館に展示されたロザリオは、既に長崎編みで、信徒発見後、プチジャン神父が沢山フランスから取り寄せて、配布された、と説明があった。それに加えて、コルベ神父が紹介され、古い騎士誌に、「ロザリオ」の題で、執筆「コルベ」と書かれた記事がテレビで示された。コルベ神父が熱心にロザリオを勧めておられる文章に感動した。10月はロザリオの月。あの番組は適宜であったと喜びを感じた。
2018年10月6日土曜日
出ータッ、誕生会。ソーラン節を踊る。賑やか食堂
月の初めの土曜日は、その月に生まれた人の誕生会です。ご馳走もあれば、職員の出し物、余興もある。「待ちに、待っとりました」だよ。
★出番を待つ男子の2人。何を踊りだすやら、わかりません。食堂には、全員が集まります。普通は3箇所に分かれて食卓に向かう人も、この日ばかりは全員が集る。私の席の横には、入江さんが腰掛けていた。
★園長神父さんの挨拶、祈り、乾杯の音頭があって、3人の職員の踊りが始まった。「ソーラン、ソーラン」。ソーラン節だよ。10月に誕生を迎える人は、5人いた。「ハッピバスデイ」は5回、拍手と共に歌う。踊りが始まると、笑いが起こる。また拍手が起こる。楽しいね。愉快だね。長生きは、いいね。感謝だね。
★100歳近い女性もいる。神さまの恵みだよ。職員さんたちの介護のお陰でもある。その職員さんがサービスに踊るのだから、ホント、ありがたいよ。このカオ、アイキョウが、いいね。男だよ。嬉しそうだね。パット開いた両手、この手で介護に励んでいる。胸には、ふくらみを付けていた。その「ふくらみ」を押し付けてくるんだからね。ヤメテくれよ。
★もう1人は、ウチワを持って踊る。「踊らにゃ、ソン、ソン」。腰つきが、いいからね。みんなが一体になるよ。気持ちが一緒になるよ。そこがホームのいいトコロさ。気長に生きようよ。くよくよ、するなよ。「任せて、おきなさい」。ウチワが、そう告げている。
★歳を重ねて、老いて、ホームにお世話になって、三度の食事、入浴の介助、個室もあって、静かに眠れる。だから長生きできる。
★直接、関わる職員さん、ヘルパーさん、看護師さんも3人も見守ってくれる。週2回の医師の診察、月1度の眼科医の診察がある。食事の献立を考える栄養師さんと、炊事職員さんの優しい配慮が食事に現われている。洗濯の職員さんのご苦労、事務所の職員さんの配慮、みんなのチカラが働いているのを、誕生会では感じるのです。
★台風の接近で、刺身は無いと思ったが、ちゃんと出た。おかしら付きのタイでした。誕生会では「ノド自慢」もあった。滝神父さんも、進んで1曲歌った。「沖縄の歌です」。大きな拍手が沸いた。
★出番を待つ男子の2人。何を踊りだすやら、わかりません。食堂には、全員が集まります。普通は3箇所に分かれて食卓に向かう人も、この日ばかりは全員が集る。私の席の横には、入江さんが腰掛けていた。
★歳を重ねて、老いて、ホームにお世話になって、三度の食事、入浴の介助、個室もあって、静かに眠れる。だから長生きできる。
★台風の接近で、刺身は無いと思ったが、ちゃんと出た。おかしら付きのタイでした。誕生会では「ノド自慢」もあった。滝神父さんも、進んで1曲歌った。「沖縄の歌です」。大きな拍手が沸いた。
2018年10月5日金曜日
町の女性が来る。好物クルス・センベイ遺産格上げ
同じ町、高来町の女性が訪ねてきた。おみやげに「クルス」のお菓子を持って来た。「どうして私を知ったのですか」「長崎新聞の記者さんから聞きました。同じ町内に、原爆体験の語り部が居るよっ、て。ゼノ修道士さんの新聞記事も読みました。図書館に『焼けたロザリオ』があり、読んで、自分でも注文して、買いました」「嬉しいですね。語り部は湯江小と、飯盛西小で行なった。中学校でも語りたいですね」
★文化活動をされている。作家の浦野興治さんの「諫早少年記」を教えてくれた。高来の暮らしを少年の目で描いている。マンジュウ屋も、サカナ屋も、トウフ屋も文章になり、干潟の少年たちが生きている。女性の話に興味を持った。
★私が聞いた。「町の道路を車で通る際に、『○○大佐』の看板がトッサに見える。あれは誰ですか」。女性の説明によると、昭和19年秋、戦争の終盤、坂本大佐の飛行機が、アメリカ軍のB29に特攻・攻撃をかけた。墜落した地点に碑が建って供養している。B29は、隣町、小長井町に墜落し、アメリカ兵が亡くなった。そこにも供養の碑が建っている。「戦争は、イヤですね。戦争の怖さを、今の時代の子ども達に教えたい」。女性は終戦のとき、2歳だった。
★ホームの応接室で、1時間半、語り合った。もちろん原爆も語った。「中学校でも語りたいね」。戴いた「クルス」のお菓子は、私が以前から好きなクルス・せんべい、だった。「潜伏キリシタン遺産記念」とレッテルが貼られて、せんべいにも「長崎しあわせクルス」「外海ゆうこうクルス」と記してあった。お菓子も格上げするんだな。
★『トマさんのことば』「困った人を助ける」「困難があっても逃げるな」「アダなるニンゲンも赦せ」「それが平和の原点だ」。私の叫びを、少年少女たちの心に染み込ませたい。
★文化活動をされている。作家の浦野興治さんの「諫早少年記」を教えてくれた。高来の暮らしを少年の目で描いている。マンジュウ屋も、サカナ屋も、トウフ屋も文章になり、干潟の少年たちが生きている。女性の話に興味を持った。
★私が聞いた。「町の道路を車で通る際に、『○○大佐』の看板がトッサに見える。あれは誰ですか」。女性の説明によると、昭和19年秋、戦争の終盤、坂本大佐の飛行機が、アメリカ軍のB29に特攻・攻撃をかけた。墜落した地点に碑が建って供養している。B29は、隣町、小長井町に墜落し、アメリカ兵が亡くなった。そこにも供養の碑が建っている。「戦争は、イヤですね。戦争の怖さを、今の時代の子ども達に教えたい」。女性は終戦のとき、2歳だった。
★ホームの応接室で、1時間半、語り合った。もちろん原爆も語った。「中学校でも語りたいね」。戴いた「クルス」のお菓子は、私が以前から好きなクルス・せんべい、だった。「潜伏キリシタン遺産記念」とレッテルが貼られて、せんべいにも「長崎しあわせクルス」「外海ゆうこうクルス」と記してあった。お菓子も格上げするんだな。
★『トマさんのことば』「困った人を助ける」「困難があっても逃げるな」「アダなるニンゲンも赦せ」「それが平和の原点だ」。私の叫びを、少年少女たちの心に染み込ませたい。
2018年10月4日木曜日
アンセルモ大曾昭神父の葬儀ミサに参列。祈った
アンセルモ大曾昭神父さまの葬儀ミサ、告別式が、長崎・聖母の騎士教会で行なわれる。
★戴いた小さなカードには、写真と経歴、次の言葉があった。「戦後まもなく入会した。几帳面な性格で、しっかりとした身だしなみに努めた。教会の伝統的な精神を尊び、主に司牧や教育の現場で、誇りをもって職務を果たした」
★竹内昭彦・管区長神父が、ミサの司式と説教を務めた。「五島で生まれ、大きな恵み、召命を受け、修道者・司祭叙階で、皆さんとの出会いがあった。50年代、60年代、宣教活動の責任者であった。人の前に立つには、自分を律する。弱い存在だが、神の恵みと、皆さんと生きた。身だしなみ、ネクタイ、スーツに、こだわりがあった。聖フランシスコ園に訪ねたが、優しい言葉をかけてくれる。師父聖フランシスコは、死ぬ最後のとき、すべては神の恵み、病気も苦しみも死も、恵み。死を兄弟姉妹よ、と呼び、喜びのうちに神の元へ帰った。1226年10月4日の出来事。今日は10月4日、大曾神父も死を兄弟姉妹と受け入れ神のもとへ帰った」
★竹内昭彦・管区長神父は、告別式の後、出棺の前に、皆さんにお礼を述べ、次のように語った。「実は私と、大曾昭神父さまは親戚なんです。『昭』と『昭彦』は似ている名前なので、親しみを感じ、導きを受けました」
★ホームからは、山内園長神父、職員4人、瀧神父、トマ、信徒の2人が参加し、湯江修道院から浜田院長神父、橋口、高原の2人の修道士、信徒の1人が参加し祈りました。
★台風の接近で、朝から雨が降っていたが、ホームを出るときは止み、帰りには車窓から墨絵のような雲仙岳が棚引いて見えた。昼食はホームに帰ってから、瀧神父さん、トマ、信徒2人の4人で食堂で頂いた。ホーム聖フランシスコ園の保護の聖人のお祝い日でもある。散らし寿司、刺身、茶碗むし、など食卓にあったが、4人は黙々として食べた。寂しい気持ちで、一杯です。
★戴いた小さなカードには、写真と経歴、次の言葉があった。「戦後まもなく入会した。几帳面な性格で、しっかりとした身だしなみに努めた。教会の伝統的な精神を尊び、主に司牧や教育の現場で、誇りをもって職務を果たした」
★竹内昭彦・管区長神父が、ミサの司式と説教を務めた。「五島で生まれ、大きな恵み、召命を受け、修道者・司祭叙階で、皆さんとの出会いがあった。50年代、60年代、宣教活動の責任者であった。人の前に立つには、自分を律する。弱い存在だが、神の恵みと、皆さんと生きた。身だしなみ、ネクタイ、スーツに、こだわりがあった。聖フランシスコ園に訪ねたが、優しい言葉をかけてくれる。師父聖フランシスコは、死ぬ最後のとき、すべては神の恵み、病気も苦しみも死も、恵み。死を兄弟姉妹よ、と呼び、喜びのうちに神の元へ帰った。1226年10月4日の出来事。今日は10月4日、大曾神父も死を兄弟姉妹と受け入れ神のもとへ帰った」
★ホームからは、山内園長神父、職員4人、瀧神父、トマ、信徒の2人が参加し、湯江修道院から浜田院長神父、橋口、高原の2人の修道士、信徒の1人が参加し祈りました。
★台風の接近で、朝から雨が降っていたが、ホームを出るときは止み、帰りには車窓から墨絵のような雲仙岳が棚引いて見えた。昼食はホームに帰ってから、瀧神父さん、トマ、信徒2人の4人で食堂で頂いた。ホーム聖フランシスコ園の保護の聖人のお祝い日でもある。散らし寿司、刺身、茶碗むし、など食卓にあったが、4人は黙々として食べた。寂しい気持ちで、一杯です。
2018年10月3日水曜日
大曾神父さん、お別れの会。思い出は消えない

左は、大曾昭神父さんがホーム「聖フランシスコ園」に入居された時の写真です。左から岩田事務長さん、大曾神父さん、トマ修道士、浜田神父さん。右は、ホームで誕生会のお祝いの写真です。山内園長神父さんと一緒です。
★大曾神父さんは上五島で生まれ、昭和15年に長崎・聖母の騎士小神学校へ入学。中学2年の時、太平洋戦争が始まる。工場で働きました。戦争中も終戦直後もご苦労されながら勉学をつづけ、司祭になって、東京・赤羽教会や、愛知県春日井教会、長崎・聖母の騎士学園(中・高)の校長の要職など勤められた。
★大曾神父さんがホームに入居されて、上五島出身の入居者も何人も居ましたから、神父さんの所に寄ってきて、親しく声を掛け合う場面もありました。親戚や、地元の人たちが居るのです。大曾神父さんは食事はゆっくりと、いつも全部残さず食べていました。
★大曾神父さんの話。「むかしの聖母の騎士の教会で、いつも一人で祈っている者がいた。いつ教会へ行っても祈っている。衣服を着て、祈る姿に感心やな、と思ったよ。それがトマさんだった」。戦争中だった。「知っているよ」と言われて、少年だった頃の自分を、今の自分が眺めている感じがした。あの頃、着ていた衣服は兵隊色のボタン付きだったのか、それとも工員さん風の姿だったのか。
★トマが入居して、ホームでは、ローマン修道士(100歳)、フランシスコ中村修道士(93歳)、ピオ中島神父(87歳)、ヨハネ村山修道士(93歳)、アルナルド谷村神父(76歳)、アンゼルモ大曾神父(91歳)を神の御元へとおくり、寂しくなりました。
★ホームでは今日の午後2時から、湯江教会で、大曾神父さんとのお別れの会があります。
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